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個人事業者の時代

これからの中古&ヴィンテージ時計業界は「個人売買の時代」だとつくづく思う。法人経営者が何を言うかと思われてしまうかもしれないが、私の本音は実にそうである。時計は「個人売買の時代」だと。前に、皆さんのような個人も「時計売買の事業者」であり、私らとは同業者だと書いたが、その思いはあれからもまったく変わっていない。それどころか時計市場は直接・間接問わず、日増しに個人と法人の境界線があいまいになっている。直接とは知り合い同士の売買であり、間接とはヤフオクやトケマー、ショップの委託などを通じて行われている。これらをすべてひとくくりに「個人売買」と私は定義している。私のショップにおける委託販売もそう。私は場を提供しているに過ぎず、値段も委託者さんの自由設定なので実体は個人売買である。

インターネットの普及によって、どのジャンルであろうとも卸と小売業界は壊滅的な打撃を受け、スーパーもデパートも専門店も青息吐息である。ネットで世界がつながった今、リアル店舗が生き残るのは簡単ではない。特に中古品。これなど完ぺきにヤフオクやAMAZONマーケットプレイス、メルカリ等を始めとする個人間取引が主流になり、ブックオフなども苦しんでいる。ヤフオクは間にヤフーという企業が入っているとは言え、売買の責任を一切負わないという座組によって、実質は個人売買である。こういう広義の個人売買普及の本質にあるのは、無駄な中間マージンを「店(=仲介者)」に取られたくないという思い、つまりは強い損得勘定であり、また仲介者が高い利益を得ていることへの反発でもあろう。売りたい個人は出来るだけ高く売り、買いたい個人は出来るだけ安く買いたい、ただの仲介者が20%、30%もの大きな利幅を取るのは不当である、そんな思いがここまで個人売買を発展させた。

もうひとつ大事なこと。今の市場を支えているのはもちろん時計愛好家であるが、もう少し正確に書くと「時計売買が好きな人たち」でもある。買った時計を短期でどんどん手放して回していくという、そうではない人々からすれば結構驚くような個人売買者が大勢いて、程度の差こそあれその人たちのお陰で時計中古市場が成り立っている。小野さんが愛情をこめて「変態」と呼んでいるような人々。ありがたい存在である。時計を何本も何十本も売買する彼らを私は同業者であると認識し、「個人売買の時代」が本格的に到来したのだという強い実感と確信を込めて今この原稿を書いている。彼らを生み出したのはインターネットである。ネットが発達する前の時代、時計愛好家たちはショップに足を運ぶか、ショップの宣伝満載の雑誌からぐらいしか情報を得ることはできなかった。当然だが極めて限られ、操作された情報でしかない。買い取り価格だって横の比較はとても難しかったはず。圧倒的に売り手優位だった時代。あらゆる市場がそうであった。だが今は違う。インターネットが世界を変えた。覆われていた多くのことが露わになり、たくさんの情報が個人によってネットで発信され、交換され、それらは瞬く間に広まってゆく。個人(顧客)は受動から能動へと変わり、やがて積極的にモノの売買に乗り出し、その多くが事業者ともなる。メルカリなどを見るとそれを実感する。今、現実に起きていること。時計業界も例外ではなく、いや、むしろこれからさらに大きなダメージを受ける業界かもしれない。長年店を経営してきた側にとってはありがたくない時代の到来だろうが、多分この流れには誰もあらがえない。インターネットの出現によって顧客は変化した。いや、それは変化ではなく進化だと云ってもいいのかもしれない。

法人経営者でもある私は個人売買の時代到来を嘆いてはいないのだが、それは法人の構えを取っていても私自身が最初から個人事業者という感覚でこのマーケットに入ったからだ。再度書くが、私は個人の時計好きだった過去もそして現在も、自分を時計の個人事業者であると位置づけている。皆さんと同様に、である。皆さんと同様と書かれてもきっと皆さんの側にまだ実感はないであろうが、私は時計を買ったり売ったりすることにおいて、皆さんと何ら変わらないのだということをくどいがここにしっかりと書いておきたい。皆さんは時計を手放すにも買うにも中野の時計店を何軒も回り価格やモノを比較する、トケマーやヤフオクで転売する、「売ると買う」を繰り返す。そんな皆さんは、「時計を売買する」というその本質において正しく私の同業者である。他にも例えば皆さんは(当たり前の話だが)欲しくない時計は買わないであろう。これ、私も同様である。時計屋は時計であれば何でも買い取る、あるいは買い取るべきだと思っている人もいるがそんな考え方は、間違いというよりはもはや時代遅れである。あなたが要らない時計は、大抵他の人も欲しくはなく、私も同じである。個人事業者間による売買の時代、それは時計もまた淘汰される時代だということ。長くなったので今日はこの辺りで。
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前回の続き

先日突然 iPhone が壊れて買い替えたのだが、そのiPhone x の価格は何と14万円である。前回記事のきっかけはこれ。世界中の人が14万円も出して買うのかよと。もちろん256GBと最も容量が大きく、又8ではなく X(テン)なので一番高い機種であることは先に書いておくが、安い機種でも一括ではほぼ10万円はする。世界中の一般ピープルがこんなお金で買うのだろうかと疑問に思い、そこでiPhoneの海外での価格をネットで調べてみたのだが、日本は決して高くないのだ。むしろ他国はもっと高い。ますますおかしいぞと。デフレということの本質を我々は知らないのではないか。我々は何かにひどく騙されているのではないか。基本的に、10代の頃からお上(おかみ)のことは信用しない生来の反骨心がむくむくと頭をもたげてきたのだ。

同種の違和感は、時計についても日々感じていたこと。5桁GMT-MASTER 16710のF番あたりは、日本では110万円(アメリカでは1万ドル、欧州では8,500ユーロあたり)程度が相場で、随分と慣らされてしまったが冷静に考えるとむっちゃ高い。世界で人気の16710だが、では世界中のロレ好きも10年以上型遅れの中古時計に110万円も払うのだろうか…。それが皆さん、払うのだ。どこの国でも人気があってすぐにSOLDになる。iPhoneの14万円とともに私の心中での疑問がふくらむ。世界は一体いつそんなに豊かになったのだ。

いきなり結論めいたことを書くが、もし他国では110万円(1万ドル)の16710が日本での価格感としては70万円ぐらいだったら?新型デイトナが80万円。新型エクツー214270が38万円とか。妙に納得できる数字ではないだろうか。前回記事からの私の仮説と推測はそれ。もしそれがビンゴなら、これまでの違和感はすべて氷解する。iPhone が5~7万円ぐらいで売られている世界。中古16710のF番が60~70万円で売られている世界。

スイスの人々の昨年度の平均年収は世界1位で1,073万円(95,002ドル)である。2位のノルウェーが921万円、3位がルクセンブルク、4位がデンマークでともに800万円台。アメリカは8位で645万円。我が日本はと云うと先進国ではドイツやイタリア、イギリス、オーストラリア、オランダなどにも負けて下のほう、トホホの18位429万円である。そしてデフレから脱却できないため、給料も上がらないが物価も上がらない。マクドナルド社は各国の景気や指数を見て販売価格を決めているのだが、前回記事の日本でのビッグマック価格370円というのは、スイスやアメリカはもちろん、実はタイや韓国、スリランカよりも安く、日本と同額なのはリトアニアである。リトアニアはGDP世界85位の国であるよ。今年の春にマクドナルド社は日本でのさらなる値下げを断行したほど、日本はインフレへの入り口どころか、まだデフレの出口すら見えていない。

そんな日本の状況にお構いなく、ロレックスの価格は新旧問わず、世界中で騰がっていく物価や給与にあわせて上昇していくが、ずっと円安デフレの日本人にとってはひたすらロレックスの価格が騰がっていくのを呆然と見ているの図式。

スイスは世界一物価の高い国で比較対象としてフェアではないため、ニューヨークと東京という日米都市部で比較してみたい。ニューヨークで働く私の知り合いのワンルーム(studio)の家賃は2,600ドル(約28.6万円)。そうここでもやはり日本よりはるかに高いのである。ランチ、地下鉄、ホテル、たばこ…、まあ高い高い。当然だがその分給料も高い。一方、日本。調べてみたが都心新宿で30㎡のワンルームは大体15~18万円ぐらい。先ほどのアメリカの平均年収は600万円台、400万円台前半の日本の約1.5倍。ビッグマックのアメリカでの価格580円(5.28ドル)もやはり日本の1.5倍で符合する。アメリカでは16710を買うお金でビッグマックが1,893個買えるが、日本では2,973個も買えてしまう。

ニューヨーカーにとって家賃の3.84ヶ月分がGMT-MASTER 16710のF番の価格である。一方家賃15万円の3.84倍では57万円、18万円の3.8倍では69万円。これがニューヨーカーにとってのGMT-MASTER 16710 F番の価格感というのがこの記事の、付加価値税や消費税を丸め込んだ乱暴な推測である。家賃ではなく、平均年収でもビッグマックの価格でも何でもいいが大体こんな価格に帰結していく。こうして比べてみたときに、円安デフレの日本におけるロレックスの価格感がべらぼうに高いことがわかる。ここからさらにスイス・ロレックスが設定した各国の定価についておかしいと思われることがあり、それはVAT(付加価値税)の扱いなのだが、長くなるので省略する。興味のある人はヨーロッパのロレックスの定価を調べてみるといい。VATが20%超えのヨーロッパの価格を。ちなみにスイスはEU非加盟国。

間違いがたくさんあろうが、感覚でとらえればじゅうぶん。今回の主旨は、我々が売り買いしているロレックスの価格感は世界の中でも飛びぬけて高いということ。「日本のロレックスは海外に比べたらこれでも安い」という記述をよく目にするが、それはロレックスが安いのではなく、日本の物価が安いに過ぎず、他の日本国内物価との比較ではひっくり返るぐらい高いのだ。欧米で収入を得て欧米で平均レベルで暮らしていればロレックスは日本で買うよりもはるかに安いと感じることができる。国内消費物価が今の1.5倍ぐらいになり、年収もやはり1.5倍になったとき、ようやく我々日本人は欧米の人と同じ、16710が110万円する世界を体感することができる。その頃、私たちは1,800円ぐらいのランチを食べ、3LDKで40万円ぐらいの物件に住んでいる。アジア諸国との比較までは手が回らないので興味がある人は、その国のロレックスの価格と、その他物品との比較をしてみると良い。私の勝手な推測だが、おそらくヨーロッパ人にとって都合の良いことになっているはず。

日本は2000年ぐらいからデフレ傾向にあるから、もう20年近くそこから脱却出来ていない。失われた20年はあまりにも大きい。少年時代に高度経済成長を、青年期にバブルを経験した私からすると、信じがたい停滞である。残念ながら日本はとっても貧しくなりつつある。日本という箱庭の中で生きていく分には感じないが、グローバルな世界に出れば痛感するはず。平均年収もそうだが、絶望的な少子化と高齢化社会、国の破滅的な借金、脆弱な年金制度、これらを鑑みると先行きは決して明るくない(お先真っ暗でもないけど)。面倒なので今回はもう書かないが、このデフレに加えて円安が大きな影響を与えている。対ドル110円の今の相場で、10,000ドルの時計を買えば110万円だが、円が80円なら80万円である。と当たり前のことを書いておく。今や世界はつながっているどころかがんじがらめだ。だから、「並行ショップが値を釣り上げて」はやめよう。時計の価格上昇が腹立たしい気持ちはわかるがあまりにも無知だ。

最後に、矛盾するようだが日本は今も世界3位の大経済大国で株価は2万円を軽くオーバー、企業の内部留保は過去最高。笑い話のようだが好景気の真っただ中にいる。庶民の生活は苦しいまま。もちろんこれは偶然でも結果論でもない。それが長い時間をかけて計画的に作ってきた(作られてきた)今の日本という国である。

隠されていること~高騰を続ける意味

各国の物価比較にマクドナルドがよく用いられることをご存知の人も多いと思う。マクドナルドは世界のあらゆる国に進出し、共通のメニューを提供しているからである。ロレックス本国スイスでのビッグマックの価格は約750円である。随分と高い。日本では370円。この数字から、スイスの物価は日本より2倍ほど高いことが推測され、事実マック(関西ではマクド)でのアルバイト時給はスイスでは2,000円、日本では980円である。スイスではランチ2,000円はざらだが、マックでのバイト代と比較すると別に高くはない。そしてスイスは収入も高い分、税や社会保障費も高い。

ロレックスの時計はそんな国で作られている。新型SSデイトナは11,800スイスフラン。スイスフランとドルはほぼ等価なので、円ドル110円で換算すると、スイスにおける新型デイトナの価格は日本円にして約130万円ほどである。日本での正規定価もほぼ同等の127万円。一見整合性が取れているこれって何かおかしくないか??

もう一度書くが、スイスでのビッグマックは750円、日本では370円。バイト時給はスイスでは2,000円で、日本はその半額。だが新型デイトナの価格はほぼイコール。

物価比較でこれもよく採用される手法、マックでのアルバイト代に換算してみた。スイスのマックでアルバイトした場合、650時間で新型デイトナを買うことが出来るが、日本のマックで650時間働くともらえる総額は637,000円である。消費税やVAT、所得税、社会保険料の違いなどをすっ飛ばして書いていることは承知しているが、それでもやっぱり何かおかしくないだろうか?

出かけるので今日の算数はここまで。それと、みなさん、台風には気をつけて。

久々に更新を

久しぶりの更新である。お店への訪問時の店長への言葉やメールにて「早く更新してください」のメッセージはたくさんもらっていたのだが、いかんせん「さぼり癖」というのはやっかいなもので、2月から桜やGW、梅雨までぶっ飛ばして今や夏真っ盛りである。時には「オーナーさんはご病気ですか」と心配してくれた人までいたようで、ありがたいやら恥ずかしいやら申し訳ないやら。すみませんでした。

ブログの記事は書いていないのではなく、むしろ定期的には書いていて、そうした書きかけの記事はたくさんあるのだが、商売をしているため公表できない(しづらい)内容が多くなり、ほとんどがお蔵入り・非公開の自分用日記状態とになってしまっている。個人の時代からどちらかというと自分を含む顧客の側を揶揄することが多かったので、例えば、正規店を日々回って時間を無駄にするなど何と馬鹿馬鹿しくもったいないことか、などと気軽には書きづらくなってきている。店のお客さんにも新しいデイトナが欲しくて実践している人がいるかもしれないので。いわゆる「忖度(そんたく)」というやつ。

病気と云えば、あながち嘘でもなく、だがそれが未更新の理由ではないので少々書きづらいのだが、「突発性難聴」というのになってしまい、左耳は中度難聴でよく聞こえず、かつ耳鳴りとひどいめまいに悩まされている。めまいはひどいと10時間ぐらい起き上がることはできずとても難儀である。3月にちょっと多忙な時期があり、ある日倒れた。文字通り倒れた。頭を上げると目眩で気持ち悪く結局7時間伏せっていたのだが、その日から左耳がアウト。以降はお医者に罹るも今のところ効果なし。難治病らしく、この半年ぐらいは少し仕事をセーブしている。

今日は復帰戦なので、過去記事をアップしてお茶を濁す。4月上旬に書いて下書きに入れていた記事。

一昨日、世の中は4月の新年度。例年より早かった東京の桜はピークを過ぎ、花粉なのかPM2.5なのかいつも空が霞む今日この頃である。4月は我が着用時計衣替えの季節。私にとっては少し残念なこと。ヴィンテージ時計は深まる秋までお預けだからだ。個人的な志向はヴィンテージ一本鎗で、この冬は古いヴィンテージをよく使った。それらは水でじゃぶじゃぶというわけにもいかないのでひとつずつ丁寧に拭いて収納。ここからは最強の旧型シード16600の出番。久々に付けたら重い重い。何かの罰ゲームのように重いが、これでも現行6桁に比べたら軽いほう。昨夜の帰宅時、駅を2つほど歩いて帰宅。途中で重さにはすぐに慣れた。この時計には何というか独特の存在感がある。やっぱりいいなあと再認識したのであった。

当店は委託がメインと思われているようで、特にそれを否定するものでもないのだが、実際には結構な「一般商品」があり、WEBに出す前に店頭で売れることも多いし、常連さんにご案内することもある。詳細は避けるが、結構な大物が売れていたりもする。いま「常連さんへご案内」と書いた。やはりこういう商売をしていくとありがたい常連さんというのができる。その人たちによって経営が支えられる側面は間違いなくあって、小規模なお店はどこもそうであろう。当店に時計を売ってくれるお客さん、買ってくれるお客さん。そしてうちを信用してくれて、またこちらもそうである良好な人間関係、これほどありがたいものはない。お金や損得だけではなく、「このお店をやってよかった」と思えるという精神的な意味も含めて書いている。モノや金をやり取りするのが商売だが、そのベースに在るのは結局人のこころとこころの触れ合いや交流であり、それは時計屋ではなく、例えば飲食店を経営しても同じことだと私は思う。皆さんの会社での仕事もきっとそうでしょう。

脱線した。話を戻すと、委託もありつつ買取り品や海外からの仕入れ品もそこそこある。平日しか空けていないし、私自身が滅多に店には出ていないのでこう書くのは何だが、やはりぜひ店に足を運んでいただきたい。入荷したばかりの品や、思わぬ掘り出し物があるかもしれない。そういえば先日委託で取り下げになったチュードルの79160前期型は買い取らせてもらって今は金庫にある。あれは非の打ち所がない個体だった。カマボコ(クロノタイム)は元々安価で取引されたモデルであったことと、ぶ厚くてぶつけやすいため、ケースが傷だらけだったり、ベゼルにぶつけた際のゆがみがあたっりする個体が多い。また裏蓋を開けてみてびっくり中がサビだらけという難のある個体も多いのだが、あれは文句のつけようがなかった。このあと更に歳月を重ねていくと、ヴィンテージ時計は個体によって大きな価格差が出てくる。理想的なセミ・ヴィンテージ。メンテの必要もなさそうなので近々HPに出す予定だが気になる人は早めに店に問い合わせを。(←売却済み)

たまには他のお店のことを。リベルタスさんで売っている「バートシンプソン」。あの文字盤の雰囲気、ロング5ベゼルの褪せ方など最高。あのベゼルだけで5桁・6桁の中古エクスプローラーぐらいは買えるのではないか。見れば見るほど惚れ惚れする。時計などどれだけ客観で語ろうが、最後は主観である。税込みだと300を超えるが決して高くない。決して高くない。と2回書いておく。あとはどこかの店のHPで良さげな赤サブを見かけたのだがどこだか忘れた。イルソーレさんで旧グリサブのG番が出ているが、やはり日本正規モノである。旧グリーンのG番は世界で日本正規にしかない激レアという見立てでほぼ間違いなさそうである。

冒頭に書いたように、ここ東京の桜のピークは過ぎた。本当に短い。近場だけだが、今年は時間を惜しまず見に行った。昨日の朝も、図書館に行く高校生の娘と一緒に歩いていたら団地の桜が風に吹かれて視界のすべてで花びらが舞っていた。きれいだねーと私が言うと、娘は「私は団子があったらそっちに行っちゃう。花より団子」と言ってけらけらと笑った。うんうん、若いうちはそれでいいんだ。何となくこのやり取りは一生忘れないのだろうなあと思った。

2018 sakura

駒カット

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この写真を見て何か気づいてもらえるだろうか?シード16600とチュードルの青サブ79190。そうである、そうである。ピンポン!ピンポン!と、待ち切れないので勝手に話を進める。ともに6時側のブレスが4駒しかない。5桁時代のロレックスのハードブレスは最大5つまでしか減らすことができず、これが細腕のロレ好きを悩ませてきた。手首が細い人の左腕を見ると、大抵は時計本体が手首の出っ張った骨がある向こう側にビロ~ンとだらしなく落ちている。これはみっともないし、ブレスもすぐに伸びる。

そこで駒カットである。これまで自己所有品をOHに出すたびにロレックスのカウンターでもずっとそれを薦められてきた。クラスプが手首の真裏にきた際に時計の文字盤は真上か、やや手前(顔のほう)に向くのが正しいと。6時側が長いと時計は顔のあっち側に行く。以前からシードは4駒にしたものを愛用してきたのだが、今回チュードルの青サブもOH時に駒カットしてもらったのだ。しかも、ややマニアックな話になるのだがオリジナルの巻き9315から無垢に交換しての駒カット。非常に珍しいチュードル78500のブレスなのだ。私はまさか78500が今さら入手出来るなど思ってもみなかった。さすがに日本には在庫がなくスイスからの取り寄せでOHに3ヶ月もかかったのだが、念願のチュードル刻印のハードブレスを入手できたのですっごく嬉しい。ポカ~ンの人も多いだろうが愚にもつかない話題なのでスルーしてもらって構わない。

ところで、駒カットとはリセールを無視した考えでもある。時計市場においてはオリジナルであることが最も重要視されるが、あるべき姿ではなくすという意味において、そして二度と元には戻せないという意味において、駒の切断は間違いなく時計のオリジナリティーを損なう。つまり価値が下がる。従って、売却のことを考えたら大きなマイナスであろうが、私は基本的には時計を手放すことをやめたのであまり気にならないのだ。気にならないどころか、その行為によってより時計を自分の側に引き寄せた気さえする。オイスタージャンキーの彼がサブの裏蓋に OYSTER JUNKY と刻んだのにちょっと近い感覚かもしれない。

いつか時計に興味がなくなったりバカバカしくなったりして手放す時が来るかもしれないが、それまでは出来るだけ手元に置いておきたいと思うようになった。人でも物でも、つながった縁は大事にしたい、年を取ったせいかつくづくそう思う。
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時計の思い出

本日、ショップのHPのトップに掲載したシード16600(すでにHOLD)は1年前の開業時の目玉として用意した懐かしい個体である。HPの左側で店名ロゴと一緒に写っている写真の被写体となった個体でもある。お世話になったありがたい方々を経由して今回戻って来てくれて、そして又旅立っていく。「時計は回るよ、ぐるぐると」である。

そして何を隠そう、この個体は実は過去に私が所有していたものだ。何年前のことだろう。燦燦と太陽の日差しが眩しいであろう地中海はコルシカ島のお店からこの時計はやって来た。向こうのイタリア人はとっても陽気な男で、メールの末尾はいつも「チャオ」。交渉の途中で彼はバカンスに入ってしまったのだが、そこでのきれいな写真を送ってきてくれるような男だった。この時計を思い出す時にはいつも、訪れたことなどないコルシカ島の真っ青な海と白い雲や波頭が脳裏に浮かぶ。おそらくは一生縁がないであろう地中海に浮かぶ島の景観をイメージとして届けてくれたのは「チャオ」の兄ちゃんなのだ。

時計には思い出がいっぱい詰まっている。だが、私に関して書くなら、その思い出の多くは購入時の人とのやり取りやふれあいであることが多い。私は国内外の時計ショップさんからたくさんの良い思い出をもらった。ここで書き表すことなどできないぐらいのお世話にもなった。この年になって時計屋稼業を志したのもそういう思いがベースにあるからだ。

V44シリアルのシードは帰ってきて又すぐに旅立つ。せっかくなので、もう一度書いておく。この時計はコルシカ島からやってきた。地図を見ると地中海のニースやジェノバの南方に位置する海に囲まれた大きな島だ。行ったことはないが、きっと地中海を吹き渡る風は気持ち良く、真っ青な海に太陽の光が反射してきらきらと輝いていていることだろう。楽園のような場所に違いない。この時計はそんな島からやってきた。

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まだコルシカにあった頃「チャオ」が送ってくれた写真

σ(シグマ)文字盤

このブログを自分の確認用に使うことが多く、先日もシグマ文字盤のσの位置について確認をしようと探すも見つからない。あれ?とさらに深く探すと非公開のまま過去の下書きに埋もれていたのを発見。アップを忘れていたようだ。当該文章の時事案件がいかにも古いので文章を丸ごと公開するのはやめるがシグマ(σ)について簡単にだけ記しておきたい。

この謎の文様σはΣ(シグマ)の小文字。ある時期の時計の文字盤に見受けられる。70年代前半のヴィンテージをお持ちの方はぜひシゲシゲと眺めてみていただきたい。目を凝らさないと見えない小ささ。驚くほどのプレミアムはついていないがレアはレア。このマークの意味について、ずいぶん前に海外在住のマニアに質問して以下のような回答をもらった(メールそのものは失くした)。記憶をたどって書くと、1970年代前半にスイスの時計業界だか素材供給側だかが、素材に貴金属を使っている高級品の証として記載。ロレックスに限ったことではなく、スイスの他ブランドにも見受けられる。その記載は非常に短い期間で終了した。確かこんな内容だったと思う。調べてみると確かに1974年前後製造の時計に集中している。ただ、そらに詳しい経緯やその文様がなぜシグマの小文字のこれ「σ」なのかについてはよくわからない。知っている人がいたらぜひ教えていただきたい。

遊び心というわけではないだろうが、こういうのが付いていたりいなかったりというのは面白い。それをまた世界中のロレオタたちが追求や解明する様もまた。他にもセリフダイヤル、ロリポップ、パンチラ、アンダーバーなど多くの細かい仕様違いがあって楽しい。

下記がσダイヤルだが、このマークがTの真横、28・29および31・32のラインの中に収まるパターンもある。

6263 σ

徒然に

今日は日記のごとく徒然に。冬は決して好きではないが、真夏にヴィンテージ時計の使用を控えている私にとっては楽しみな季節でもある。高温多湿の日本の夏は古い時計には劣悪な環境だと私は考えており、5月から10月ぐらいはほぼ16600一本で通している。さすがに毎日つけていると新鮮味もなく飽きてくるが、そこはグッと我慢。10月に入り涼しくなると、普段は棚の奥に収納し月に2回だけ除湿を実施している時計ケースをおもむろに取り出し、一本一本の竜頭をゆっくりと巻き、そしていつでもピックアップできるよう乱雑にトレイの上に並べる。それが私の少し早い冬支度の儀式であり、これら発売から30年、40年経った古い時計たちの出番となるのだ。逆に半年近くの時をともに過ごしたシードとは暫しの別れ。来年の5月までさらば。またあのキラキラと輝く初夏の日差しとともに会おう。

そして今は12月。大して寒くはない東京の12月。師走。いやはや早いものだ。

先々週六義園に紅葉を見に行った。東京住まいではない人に説明すると六義園(りくぎえんと読む)は忠臣蔵に出てくる柳沢吉保が所有していた庭園で今ではライトアップで楽しめる紅葉の名所。若いころは花や木々になどまったく興味はなかったのだが今はやばいほど胸にしみる。無常を想うということか。時計ブログゆえ写真のアップは控えておく。多忙な人こそ、たまには立ち止まって、今の季節をしっかりと感じ取ったほうがよい。時はあっという間に過ぎ去ってゆく。

話題を変える。最近のウォッチ・ザ・ウォッチでの販売では何といってもオメガのジェミニ4号が個人的にはピカイチだった。あれは仕入れに苦労したのだ。随分と前から自分が持つ海外のネットワークにオメガ・スピマスの「イタリア限定」と「青ジェミニ4号」の網を張っている。開業直後だからかれこれ1年。これらは中々引っかかって来ないのだ。高額で商談が成立しないのではなく案内そのものが来ない。つまり売りに出ない。前者は500個限定、後者は2005個限定と元々数が少ない上に、モノが良いので所有者が手放さない。ようやく入ってきた青ジェミニはマジで格好良く店に出すのが惜しいと思ったものだ。でも、これは開業時からとってもお世話になっている方に買ってもらえたからすごくうれしかった。ナイスガイだからあの青は似合うだろうなあ。スピマスの限定モノは本当に格好良いのが多い。カードギャラのエルプリデイトナなどもそうだったが(こんなのもう二度とお目にかかれない)、これからもみなさんに「おおっ!」と言ってもらえるものをがんばって仕入れていきたいと思う。
omega gemini 4 apollo 11 -2
写真は販売商品とは別。左がジェミニ4号、右がアポロ11号。

文化としての時計ビジネス

私は時計ビジネスは文化だと本気で思っている。そう思って参入した。様々な解釈や定義はあろうが、文化とはシンプルに「人の心を豊かにする表現」というのが私の定義。ひとつひとつの時計に歴史がある。傷があり、経年があり、思い出があり、人の気持ちがある。私が稚拙ながら毎度時計の紹介文を書いているのは、それが文化だと思っているからだ。このブログを続けていることもそう。力量不足ゆえ、人の心を豊かに…などは到底成し得てはいないことは自覚しているし、時間が無く、なかなか個々の時計にじゅうぶんな時間とともには向き合えていないのが現実だが、そういう思いだけはいつも我が心中にある。オノマックスさんの文章。あれは名文である。文法がどうとか、そういうことではなく、あれはレベルの高い漫談や落語のよう。書こうと思って書けるものではない。私は絶対にかなわない。あの店が繁盛するのはよくわかる。あの人はもはやアーティスト。時計界のアーティスト。ケアーズのオーナーさんもそう。いくつかのヴィンテージショップのHPなど、時計への愛情にあふれていて本当に読んでいて楽しいし参考になる。これらはやはり真の商いであり文化であるとやはり私は思うのだ。皆さんが親しいお店を訪問した際の会話の多くもまたそうであろうし、お店の側もまた同様に楽しませてもらっているはず。時計へのこだわりや蘊蓄(うんちく)は楽しい。この時計の値段は幾らとか、どれだけ儲かるとか損するとか、そればかりではつまらないではないか。時計ビジネス、いや時計そのものが文化であるなら、ゴールが損得であろうはずがない。終わり。今日は短いがたまには。補足。こだわりや蘊蓄は楽しいが度を過ぎると実にウザい。と自戒を込めて書いておく。ほどほどが大事。

本当に欲しい人

先々月のある休日、ロレックス某正規店でのこと。ある顧客が店員に語った言葉が耳に入ってきた。「一部の不届きな転売者のせいで本当に欲しい人の手に渡らない状況はけしからんですね」。

一見(一聴)正しいかに思えるこの主張を私は全否定する。

転売者とは、買ったものをそれよりは高く売って差益を得る者、あるいは得ようと行動する者と定義付ければ、あなたも私も結局のところは転売ヤーである。時計好きの多くはそうであろうし、時計ショップなどは100%転売者である。オノマックスもクォークも宝石広場も、そしてウォッチ・ザ・ウォッチもだ。スイスから仕入れて卸す日本ロレックスだって実はそうだ。そして冒頭の言葉を語った本人も生涯純増を貫かない限り実は結局のところ転売者である。いや、買ったその足で売るのと、購入してから数か月、あるいは数年後に売却するのとでは違うというかもしれないが、本質的には同じ。しかし、その議論は一旦脇に置く。

私が問題にしたいのは転売うんぬんの下りではなく「本当に欲しい人」という箇所だ。「本当に欲しい人」とはおそらく消費者としてその時計が欲しく、かつ購入したら使う人を意味しているのだろう。その行為は正しいというニュアンスが言外にある。正しい購入者、あるいは正当な消費者。その対極に、欲しくもないくせに購入して転売し儲ける「不届きな奴」がいて、それは不正行為、あるいはインモラルだというニュアンスがある。

不届きな転売者がいるせいで「本当に欲しい人」が新型デイトナを買えないことはけしからんこと。そうだろうか…。私は違うと思う。

100万円を超える高級時計を「個人で所有したい人」と「差益を得たい人」。どちらも強い欲望の支配下にある。両者とも、ロレックス・新型デイトナ116500が欲しい。正規店で買いたい。その欲望があまりに強烈であるがゆえに何度も何度も正規ショップに足を運ぶ。時計に興味のない人から見れば、言葉は悪いがどちらも同じ穴のムジナではないのか。私はそう思う。試しに女房殿にどちらが×(バツ)か聞いてみればよい。意外と女性は、コソ買いのアンタ(=本当に欲しい人)の方がよっぽどけしからんと言うかもしれんゾ。

どちらも同じだと私は思う。そしてどちらも否定しない。いや否定どころか肯定する。人の欲望こそが市場を活性化し、極論を言えば社会を発展させていると思うからだ。だが、買えないからといって、欲しい者同士で一方が他方を批判するのはおかしいだろうということを言いたかった。更に書けば文句を言うべき相手が違うだろうとも。デイトナが手に入らないこの状況を作っているのは「転売者」ではない。多くの人を困らせ、疲弊させ、失望と徒労を味あわせているのはみんなが大好きなロレックスなのだ。いくらロレックスが好きで、そのブランドを愛し、自らをロレ病などと自嘲しても、人はその奴隷ではない。例え相手が大好きなロレ様だろうとおかしいことにはおかしいと言うべきだし、伝える手段がなかったとしても心中でずっとそう思い続けるべきではないか。供給がないことだけではなく、自分が金を出したわけでもない店員が、客の目の前で新品時計の保護シールを剥がすのとか絶対におかしい。嘘か本当か、店で見つけても銀行に金を下ろしにいく間もHOLDしてくれないとか、電話で確認したら奇跡的に在庫があったが取り置きしてくれないのでその店のある街まで2時間車をぶっ飛ばしたとか。わはは。これマジだったら相当だな。血相変えてハンドル握っただろうな。危ないなあ。「待ってろ、俺のでいとな~~~~~~~!」。

私は新型デイトナに興味がない。個人の時計好きとしてまったく興味がない。上に書いたように今現在のロレックスという会社のやり方に腹も立てているので現行品を買おうとも思わないし好きではない。もしフラっと正規店に行って新型デイトナが売っていたってもちろん買わ、う。ハハハ。どっちだよ。買う。絶対に買う。誰に何といわれようがやっぱり買うだろ。これを読んでいる人もそうだと思う。そして、使ってホクホクの人もいるだろうし、中古屋へ持ち込んで差益を手にしてウハウハの人もいるだろう。ホクホク、ウハウハどっちもいいではないか。その人がハッピーなら尚のこと。これら行為は果たして「けしからん」のだろうか。ロレックスにとっていびつな状況をロレックス自身が作り上げてしまっているくせに、後者の顧客をまるで違反者か悪徳者であるかのように扱うことにやっぱり私は納得がいかないのである。

悪い癖でまた私の話が逸れつつある。ということで、最後にもう一度今日の本題について書いておきたい。人が時計を欲しいと思う気持ちに本当もくそもない。みんな欲しいのだ。そして手に入れた人をやっかむことはやめよう。「良かったな。おめでとう」って気持ちよく言ってやれる男であろうよ。いくつになろうとも。プラス、長いものに巻かれるんじゃなく、おかしいことはおかしいと言い続けよう。これもまたいくつになろうとも。
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