セールのお知らせ

ショップを昨年10月にオープンした最初の商品はエルプリデイトナU番ギャラ有りだった。当時エルプリデイトナの相場は黒のA番で150万円台の後半ぐらいだったが、今は250万円を軽く超える相場。この9ヵ月で世の中の景気にも為替にも大きな変動がない中でのこの価格の上昇をどう説明すれば良いものか。時計好きにとってはまるで何かの罰ゲームのようである。こういう現象が世の中にロレックス以外にあるかと問うてみてもまったく見当たらず、本当に特異な世界だと改めて痛感する。金(ゴールド)や株に近い金融商品のようなものと言いたいところだが、それらにだってなかなかここまでの大きな変動はない。時計に限らず相場というものは上がることもあれば下がることもある。自分の物差しをしっかりと持っておきたいもの。

もうすぐ7月。夏である。夏と言えばスポロレの季節。夏のボーナス時期はさぞや盛り上がると思っていたが、その前に一気に相場が騰がり、つまりはそういうことかと。

デイトナからスタートしたショップははや8ヵ月が過ぎようとしており、ここまで本当に多くの人にお世話になった。この場を借りて感謝申し上げると同時に、ささやかだがそのお礼の気持ちとして、明日から値引きセールをおこなうことにした(委託品はのぞく)。ただ、今ある在庫はどうしても早期に売り切りたいというわけでもないので、値引きは3日間限定とさせていただき、金曜日の夕方には価格を戻させていただく予定(残ったものの一部は一度店頭から引っ込める)。対象は、ディープ黒、チュードル青サブ、オメガ限定3500、GMT16710 Z番cal.3186、114270ランダムの計5本。ディープはいつどこでも買えるが、他4本はどれも結構レア品。全部ではないが、原価割れ、つまり赤字でも出すつもりである。明日の午後にWEB公開するので興味をお持ちいただける方はぜひHPへご来訪を。抽選ではなく先着順、HOLDは正式注文の方のみというのは前からの規定。そこら辺はよろしくお願いしたい。では、梅雨真っただ中だが、みなさん健康にはじゅうぶんご留意のほどを。また次の更新で!
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6月、梅雨、やっぱりシード

ニッポンの夏はイイなあ、などと能天気に書いたら、いきなり関東梅雨入りである。そうなのだ。日本の夏にはその前にきわめて鬱陶しい梅雨というものがある。梅雨と言えば雨、降らなくても曇天、ジクジク、暑くて蒸し暑い。まあやっぱりシードだろと書きたくて更新。

それで終わるわけにはいかないのでたまには新しいシードについて書いておく。後継でディスコンとなった116600は、確かにあそこまで不人気であるべき時計ではなかったように思う。6桁サブに比べるとラグはすっきりしていたし、高級感もグンと増していた。それでも売れなかった最大の理由はやはり1,069,200円という驚きの定価だったに違いない。忘れてはいけない事実だからしっかりと書いておくが、前作の16600は税込で609,000円である。175%アップ。この1,069,200円という定価は原価から積み上げたというよりは、闇雲に値上げしたサブデイトとディープシーの間で設定するしかないという事情によるものであろう。サブよりは高くしなければいけないし、ハイスペックなディープよりは安くしないと辻褄が合わない。「まあ他も上げちゃったし、こんなとこでいいんじゃね」と決めたに違いないと私は確信している。メーカーの定価設定なんていい加減なものだ。あなたや私がいい加減なのと同じように、ロレックスの社員や役員だっていい加減なのだ、きっと。ついでに書いておくと、あなたの上司とかだって偉そうに振舞っているかもしれないが、かなりの確率でいい加減なはず。ちなみに、「いい加減」という言葉には、良い湯加減などと同義に良い意味を込めて使われることもあるのだが、私がここで言う「いい加減」とは、「適当」とか「だらしない」とかそっちの方であるよ。

この時計は生産期間が短かったこともあり、プレミアム化を期待している所有者も多いかもしれない。どうだろうか?可能性はあると思う。特に保護シールが付いたデッドストックはそうなる気はする。が、数年後に実際どうなっているかは正直なところは、梨地・鏡面含めてよくわからない。

そして最新の赤シード216600。定価は更に騰がって1,166,400円成り。この時計はまだ現物を手に取ったことがないから詳細は書けないのだが、おそらく質感は前の116600と似ているはず。セラミックベゼルに大きなドットインデックスと太い針。6桁以降の正統派ロレックス。いまだになぜこの時計にサイクロップレンズが付いたのかよくわからないが、まあ付いているものは今さらあーだ、こーだ言ってもしょうがない。いや別にロレックスの時計にサイクロップレンズが付いていても構わないのだが、これまではそれの有無がサブとシードのすみ分けだったのは確かなので、この会社の考えていることはよくわからない。だが、正直なところ行き当たりばったり(要するにいい加減)の会社でもあるので、実は深く考えていない気がする。世界中のロレオタたちの方がよっぽど深く(無駄に)考えている。このキャリバーがどうだとか、字体がどうだとか、マークいくつだとか。そこが面白くもあり滑稽でもあり、そんなこんなを喧々諤々やりながら、日々が流れていくのも悪くない。とりあえずの私の関心は早く梅雨が明けて欲しいということである。

6月、初夏、シード

6月に入ってしまった。もう日差しは夏の気配。先月はほとんど更新できず。下書き原稿はたくさんあるのだが、私の嫌いな写真アップの作業が残っていたり、記述の裏取りがやはりまだ出来ていなかったり、などの理由で遅れている。日々訪問してくれている人もいるようで本当に申し訳ない限り。と詫びながら今日も大した内容ではない。

GWが明けると私は時計の衣替え?をする。従ってヴィンテージは秋までケースの中で休み。私は汗かきということもあり、時計は頻繁に水道水でじゃぶじゃぶと洗いたい。特に夏は。だが製造から半世紀近く経った古い時計ではそうはいかない。ということでチューサブ94010, 94110、GMT1675、サブ5513、スピマス145.0022、手巻きデイトナ6263、ポール6239、赤シード1665などはケースに仕舞われてしまうのだ。と、今、ジョークで嘘をついた。最後の3つは持っていない。ちょっと試しに見栄を張ってみた(笑)。

で、初夏の太陽が眩しい今の季節は何を使うかというと、それはシードしかないだろう。夏はシードである。実際に使う時計はもうこれ一本でいいかもしれない、私にはそう思えてしまった時期があった。もちろんこれからも時計を買うだろうが、実際に使うのはシードゥエラー16600だけで良いのではないかと。前にも書いたように、私は「使われない時計はかわいそうだ」などとはまったく思わない人間で、実際のところ16710とか2年ぐらい腕に巻いていない気がするし、エルプリデイトナもそうだ。まあ、それは単に面倒くさいのである。日々使っている時計は帰宅したらその辺に置く。翌朝それを手に取って仕事に出る、その繰り返し。秋から冬を経て春先までは1ヵ月ローテぐらいで古い時計を付けたりもするが、夏はとにかくシード一本。鉄板。

自己所有のシードは、色々な経緯があって、6時側コマカットの4駒で装着、腕周りの細い私にはこれがジャストフィットで長年のストレスから解消されている。もういちいち時計を見るたびのトキメキなどは無いが、その自然さのほうが今は心地よい。前にも書いたように、これは一度手放してから戻ってきた個体。コマカットのブレスは「この先はこの時計をずっと所有し続けよう」という自己表明のようなもの。色々と手を出したが、やっぱり16600は最高。そう思える時計と出会えたのだからシアワセ者である。

今、仕事場では外の祭りのお囃子がトントン・シャンシャン鳴っている。さっきポストに手紙を投函しに外へ出たら、テントの中でじいさんたちが酒で顔を赤くしていて、はっぴを着せられた小さい子たちがとても可愛い。みんな笑顔で楽しそう。見知った顔があったので挨拶したらビールを振る舞われ、紙コップのそれをグビグビと。旨いなあ。まるでヤクルトみたいに飲むねえと見知らぬじいさんに冷やかされ、もういっぱい、ホレと。「あー、いや、すみません」。うわ、ウマー。もう仕事やめよう。ということで今日更新した。夏であるなあ。ニッポンの夏はイイなあ。ではまた次の更新で!

消えたシード4000

今日も休めることになり、今の内にがんばって更新、更新。

いやはやすごいなと感心していることがある、何がって、シード4000のことである。絶版になり後継が43mmにサイズアップされ赤文字が復活したことに何も驚きはないが、そのお蔭で不人気だったシード4000がお宝になったとか。これも並行ショップが煽ったとか言われているのだろうか。私もその端くれだが、煽るどころか知らなかった(笑)。クォークさんや宝石広場さんが煽ったのだろうか。以前に安く売りに出していた4000を隠すぐらいのことはしたかもしれない。前に、個人の時計好きも「時計事業者」と同じだと書いたが、私は今回のことでやはりその意を強くしたのだった。売り手も買い手も、法人も個人もみんな「時計事業者」のようなもの。時計市場に存在する多くの意思、それは個人の消費者も含んで、皆の意識(つまりスケベ心)が市場を形成する。

面白いと思う。心底おもしろい。皆、抜け目なく、なかなかやるなーと素直に思う。そうか、そうか、あの不人気シード4000がプレ値か。まったく想像出来なかったな。経営者失格だな。

元々、個人的には眼中になかった時計である。実物をレキシアで手に取った話は以前ここに書いた。だが、これからはこの時計をお客さんが売りに来たら、当然私も高く買い取らなければいけないというのが、また面白い。「こんなプレ値を認めんぞ!」などと主張して、以前の買い取り価格を提示してもお客さんはただ中野に逃げていくだけだ。つまりそういうこと。こういう波が来たら、たかが一ショップが抗えるものではない。そして高く買い取ったら、それよりは高く売らなければならない、悲しいかなそれが物の道理。たぶん、こうやって販売価格が上がっても、安かった時期と比べたら利益額は間違いなく下がる。何といっても今をときめく人気モデルだからだ。じゃあ誰得?かというと、まあ色々。少なくとも私ではない。それでも並行ショップが煽って…とか言われたら、これは実に心外である。心外ではあるが、ホントに面白いな、時計市場って。

今回のことで、ロレックスというマーケットが間違いなく資産や投資の側面を持つということが露わになった。だって、昨秋はどこにでも売っていたではないか。定価100万円超えのこの時計は中古ショップでは80万円台で売れ残っていたはず。正規店にスポロレが無い無いと皆が騒いでいてもシード4000とエクツーだけはいつもあったし、多くのデイトナ・ハンターの「デイトナありますか」マラソンを尻目にシード4000は我関せずと、まるで達磨大師のように黙ってケースに鎮座していたはず。超然としていたと言ってもいい。昔学生時代に急遽、数合わせで呼ばれた合コンに途中参加したところ、野郎全員がイケメンでおまけに全員がプレリュードだソアラだの車持ち、会話にも入れずにひたすら黙々と酒を飲んでいた私のようなものだ。人生諦めちゃいかんな、まったく。何がどう転ぶかわからん。しかし、急速に市場から消えたとはいえ、本当に高値でバンバン売れるのだろうか?

シードウェラーか。最近の忙しさにかまけてシードのことなどすっかり忘れていたが、今日街を歩いていてその日差しに夏の気配を感じたことを今こうやって書きながら思い出した。そうか、そうか、またあの暑い夏の季節が来るのか。夏といえばシードだよな。私は自分の旧シードを大事にしよう。そう書いて、これまた新手の煽りだと思われたら、これもまた心外である。

この際だから本音として書いておくと、たかだか個人や時計店がマスを煽(あお)れるようなものではない。大衆の欲望に火がつくのだ。自然発火的に。燃え盛った炎は容易には静まらない。ただ火がついたのだ、たぶんあなたや、そして自分ではないと思いこんでいる私の心にもだ。ボーボーと燃え、あの不人気だったシード4000が世界中で品切れか…。面白い、おもしろ過ぎるではないか。このあと、シード4000がどうなるか、私はそのことにすごく興味がある。新しい赤シードより、そっちの方が余程興味深い。

GWもあと2日で終わり。皆さん、引き続き良いGWを。休みの人も働く人も。今は一年で最も良い季節、窓の日差しがキラキラと眩しい。

トリビア

個人的な話だが、今日私は休日である。窓の外はとても良い天気。一年で最も良い時期かもしれない。

珍しく日を置かずに記事をアップ。今日はトリビア(雑学的な知識)。時計を扱っていて知った豆知識の披露を2つほど。

2002年頃を境にロレックスの風防の6時位置に小さな王冠マークが刻印されていることは皆さんもご存知のはずで、ネットでは偽物を見分ける初歩としてよくそのことが書いてある。キズミで見ると確かにしっかりと見えるし、私は自慢じゃないがほぼ肉眼でも見える。だが、個人としての時計好きの時代から今日までで、私は6時位置に刻印のないロレックスを2度発見したことがある。5桁のV番とランダムである。最初は血の気が引いたものだ。やってしまった!と。だが、持ち込んだ丸の内ロレックスカウンターの別嬪さんは「本物ですよ」と事もなげに言う。「たまに付いていない個体があるんですよ」と。おいおいマジか。そんなのどこにも書いてないぞ。これは奥のカウンターの技術師さんの見立てでもあるから間違いない。ご存知のように社外風防がついていたら即座に指摘される。それから数か月後、また発見。結果は同じ。正規品ですと。従って、新説として書いておく。たまに風防6時位置に、あるはずの王冠マークのないロレックスがある。数百本のロレックス風防をキズミで覗き込んだわけではない中での2本という確率。些細なことだが、結構常識をくつがえす事実ではないだろうか。

次。皆さんがお持ちの70年代、80年代のトリチウムは半減期が過ぎてまず光らないはず。私が個人所有するサブ5513(1983年製), GMT1675(1978年製), デイトナ16520L番(1989年製)もどれもが無反応だ。しかし、なぜか60年代の個体の多く(67年頃まで)は、ブラックライトを当てるとギラギラ光る。これまで私が個人所有するものも、店に入ってきたものもみんな光る。サブ、チューサブ、GMT、デイトジャスト、エクスプローラー…。なぜだかよくわからない。ラジウムが混ざっているのかもしれない。中にはリルミ(再塗布)だと主張する人もいるが、私はそうは思わない。なぜならフルオリジナルの69年製スピマスのインデックス&針も下記写真のようにしっかりとグリーンに光るからだ。新説というわけでもないが、知らない人は知らない事実なので、やはり書いておく。むしろロレックスのミラーダイヤルでブラックライトに反応しない個体のほうが私には??である。

今日記載したことが常識だろという人には申し訳ない。少なくとも最近まで私は知らなかったので、私と同じように知らなかった人のために今日は書いた。そして、特に60年代の夜光が今も光る理由についてご存知の方がいればぜひお教えいただきたい。知るはいっときの恥というが、恥などどうでも良い。真面目な話、ぜひ教えていただきたい。

GWはもう少し続く。休める方はぜひ良い休暇を。本当に良い日和。年を取ったせいか、最近気候が良いとそれだけで幸せな気持ちになる。こんな時期ぐらいは時計のことも忘れて良いのでは、と思ってしまう。

TRITIUM.jpg
光るのはほんのわずかの間で、すぐに発光はなくなる。

道具の奴隷となるなかれ

予告したのになかなか記事をアップできずに誠に申し訳ないと思い、とり急ぎ今日はオメガ・スピードマスターについて。今後の射程に入れてもいいかなと思う人向けの記事であり、深い知識をお持ちの御仁には無用な記事であることをまず書いておく。

speedmaster 1back case straight


写真は自己所有の145.0022。いわゆるスピードマスター5thの最初期。1969年製造で、ご覧のように裏蓋に特別な表記がある。omega speed master straight writing というもので、ややレアなモデル。これはある伝手でフランス在住の御年70になるご老人(米国人)から譲ってもらった。1972年に新品購入して、1979年にサブ5513を買うまでのたった7年間しか使っていないというワンオーナー、フルオリジナル品である。ケースは傷だらけであり、プラ風防に大きな欠けがある。そこがまたいい。

私はここ1ヵ月というもの、この時計しか腕には巻いておらず、手巻きであるから毎日決まった時間、14時にジーコジーコと手で巻いている。使った感想としては、もう最高である。サイコー。それまでのロレ熱39度が微熱の37.5度に下がったほど。私はこの時計をこよなく愛し、帰宅してこれを外すたびに、決して大げさではなくため息をつく。格好いいなあ~、おい!、と。だが、この時計のどこがどういいのかを文才のない私が文章にするのはとても難しい。

今、それに挑み、30行ぐらいの分量を書いた文章をあっさりと削除した。やはりうまく書くことはできない。要するにカタルシスなのだ。浄化ともいう。この時計を所有することによって、私はようやくにして本当に時計を愛することが出来たとすら思っている。虚飾の向こうに突き抜けた思い。それ以上の言葉を今の私は持ちえない。誠に申し訳ない。

スピードマスターの基本は手巻きである。もちろん自動巻きもあり、何を選ぶかは当人の自由だが、スピマスの基本は手巻きである。スピマスには数えきれない種類のモデルがあるのだが、大まかに書けば文字盤にprofessional の記載があれば手巻き、automatic とあれば自動巻きだ。最初にスタンダードな手巻きを買うなら、3570.50 という数字を書き記しておく。まず間違いはない。そして念のために書いておくと、残念ながら私が経営しているショップに在庫はない。

大事なポイント。クロノ針がずれている個体が多い。だが、これはOHで直るので、あまり神経質になり過ぎなくてもよい。傷も似合う時計なので、私はそれもあまり気にしない。ブレスの伸びについても汎用ブレスに代えればよいし、上の写真のようにNATO ベルトという手もある。デッドストックで置いておく必要もない。どうせリセールは大したことはない。また、この時計には最終品番という概念もない。オメガは、オメガという会社が存続する間、ずっとこの同じデザインのスピマスを馬鹿正直に作り続けるはず。たぶん半永久的に。購入価格(30万円前後)に比べてOH代(8万円ほど)が高いので、壊れたら買い替えるのも手だ。そう、使い倒せば良い。つまり、細かいことを気にするなとこの時計は強いメッセージを発している。

ロレックスをはめた左腕を郵便ポストや自販機に突っ込むには躊躇したものだが、この時計はそういうことから我々を解放してくれる。たかが、時計に付く小傷。それは値段が違うからだと主張する人もいるかもしれないが、私はこの時計に80万円を払っており、私の中では成り立たない理屈である。ただの時計であり、ただの道具なのだ。道具ごときの奴隷になるなかれ。ギャラも要らない。古い時計のギャランティーなどは保証期間の過ぎたただの紙やプラカードだということに気づかせてくれる。

もちろん同じオメガでも、100万円を超えるイタリア限定とかを所有すると(もちろん所有していないが)、たちまち私もまた自販機には時計をはめていない右手を突っ込むのだろう。情けないがそう思う。こう書いていくと、自分が(個人の時計好きとして)、いかに時計のリセールに縛られていたかということを思い知る。つまりは損得勘定である。私たちは本当に時計が好きなのであろうか。少なくとも私にとってはそういうことを考えるきっかけとなった。マンズ・マンズ・ウォッチ。男の中の男の時計。この武骨な時計を腕に巻きながら、私は当分の間、そのことを考え続けるだろう。自分よ、オマエは本当に時計が好きなのか?

こういう時計を売りたいものである。不要な方はぜひ当店へ。だが買取りは安いぞ(笑)。あー、いやいや、ウソウソ、がんばる。ロレックスもいい。だが、他のブランドにも色々な価値がある。広げていくと、多分この趣味はもっと楽しくなる。そう思う。

追記:4月は忙しくて1日、しかもたった10分しか店に顔を出せなかったのだが、4月5日にオープン半年を迎えた。時計好きの人たちにとって、ちょっと気になる店という立ち位置を目指してこれからも地道に背伸びせずやっていく所存である。買っていただいた方、売っていただいた方、委託に出していただいた方、その他多くの方々に感謝である。ありがとうございました。

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ヴィンテージ新説となかなかハマらないベゼルのはめ方について

私がこれまで書いてきた記事で実は密かに自慢に思っていることがあって、それはサブマリーナ1680は最初は赤サブのみで販売され、かつそれは1969年からだと言い切ったこと。それまでの定説はどちらかというと、赤サブは希少であり、多くの白サブが赤サブに書き換えられたのだとか、店のHPで1967年製の1680などという表記もあったりしたので、一応画期的であったと自画自賛しているし、以降も様々なサンプルでそのことを検証しているが、どう考えても正しそうである。1680は当初赤サブでのみ発売され、その初年度は1969年である。くどいので今どこからか下駄が飛んできた気がする。

で、今日は画期的な第2弾。たぶんほとんどの人が興味はないだろうが、やはりここは自分のブログなので公表しておく。

古いサブマリーナのベゼルに極太フォントのマーク1など存在しない。

さらっと書いたが、我ながら大胆である。ではこの写真は何なのだ。このブログでも何度か極太フォントを紹介してきたではないか。どう考えても太いではないか。有るものを無いと言い切るのはどういうことだ。では書いていく。

まず1960年から70年代にかけてのサブのベゼルには大きくわけて次の種類があるのが定説だった。
マーク1:極太フォント(スーパーファットフォント)
マーク2:ロング5(5の下のカギの部分が長い)
マーク3:まあまあ太字の最もポピュラーなベゼル
マーク4:80年代や交換パーツであるすべての数字が細字で4が台形。
*スキニー4という希少ベゼルは脇に置く。
写真の手前から奥に向かって、マーク1, 2, 3, 4 だ。
bezel rolex
(勝手に海外サイトの写真を拝借。すみません)

で、新説を披露する。レッドトップ以降の60年から70年代前期のサブのベゼルは基本2種しかない。マーク2(ロング5)とマーク3だけだ。マーク1は文字がただ滲んで太くなっただけ。どうだろうか。

いや、実はこれ、海外フォーラムの受け売り。まあそれを発見しがんばって翻訳した努力だけ認めていただきたい。一応自分で検証もした。たぶんこの説は間違っていない。私も前から不思議だったのだ。KISSING 4 のチューしている間隔が個体によってバラバラであることに。完全にくっついたディープキス状態のもの、チュッとフレンチキス、そしてほっぺの前で躊躇して止まっちゃいました、もある。これは一体何なのだと。簡単である。経年、紫外線、その他の外的要因と内的要因によって文字の部分が滲んだだけ。マーク1(極太フォント)というのは、マーク2又はマーク3の文字が滲んで太くなっただけ。ハイ、新説終わり。

最近特に面白いのがGMT(1675)のベゼル。コソコソといくつか買い集めた。何が面白いって、ベゼルを替えるだけでまったく違う時計に変身するのだ。ベゼルが3個あれば、1675を3個所有する気分になれる。本当である。以下に実例を示す。

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どうだろうか。左上が元のベゼル。面倒なので2枚目以降はただベゼルを乗っけただけだが、違いがわかってもらえるだろうか(社外品も交じっているがご容赦)。個人的には下段の褪せたベゼルはかなりいい。だが、元のも悪くないし、気分で黒に代えるのも有りだ。こうなると前に紹介したフクシアベゼル(紫)も欲しくなるが、これはもうヴィンテージにドハマリの兆候以外のなにものでもない。困ったものだが楽しい。いや、実は困っていない。ただ楽しい。そして「色よ、褪せよ!」と、いくつかのベゼルを陽の当たる窓枠に置いていることを告白しておく。とりあえず東京オリンピックまではがんばろうかなと。アホである。ちなみに上の写真は自己所有の1675だが、神保町にはこれより数倍かっちょいいミラー&金彫りの1675が置いてある。軽く200万超えの個体だが、ご来店の折りにはぜひ見て行って欲しいとちゃっかりセールスしておく。特別にチラ見せ(実物はリベット付き)。

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ついでに今日はベゼルインサートのはめ替えについても書いておく。これに苦労している人も多いのではないかと。実を言うと私が苦労したのだ。古い時計の一部は簡単にインサートがはまらないのだ。手ではめ込んでいっても最後にある一か所が浮いてしまってはめ込めないことが多い。あるベゼルインサートなど朝までかかってもはまらず、翌日は右上腕部がひどい筋肉痛になった。下記を見て欲しい。無惨である。押し過ぎて、斜めの山が真っ平らになったそれを。これ私は自分の筋肉でやったのだ。ちなみに海外から8万円も払って入手したマーク3。作業中に貴重なトリチのルミナスまで取れてしまったではないか。そう、はまらないインサートははここまでやってもはまらない。
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ある記事にムースの蓋で押し込むと良いと書かれていたので家じゅうの蓋というフタを探したのだがサイズが合わず、女房殿に41mmぐらいの蓋のムースをスーパーで買ってきてくれと頼んだら、あっさりと「いいよ!わかった」と返事をくれてから数週間音沙汰無し。アホらしくてスルーしたに違いない。そこでややサイズの小さい蓋を自分で見つけてきて(女性用のわきの匂い防止スプレー・笑)、それで上から押し込んだところ蓋がバキッと壊れた。コスト削減は駄目だろうと毒づいたのだった。ところがである。私は簡単にベゼルをはめ込む方法を知ってしまった。感動的なほどである。あまりにも感動的だったので簡単に書きたくない。興味がある人は下記のブログランキングを!って参加していないので仕方なく、もったいぶらずに書く。ペンチで挟む。わはは。簡単であった。パチンと。拍子抜けとはこのこと。3秒かからない。あの数日続いた筋肉痛は一体何だったのだろうか。そしてなぜ誰もそれをネットで教えてくれなかったのだろうか。

今日のまとめ。サブのベゼルに極太文字などない。ただ滲んだだけ。GMT1675はベゼルを替えると楽しい。ハマらないベゼルインサートはペンチを使う。

まとめたらこんな簡単に終わるのか。これもまた拍子抜け。ペンチではめたベゼルみたいなものだ。ということで今日は終わり。誰かの為になったことを祈って。謙虚にさらっと書いたけど、今回の記事は結構血と汗と努力の賜物であるのよ。

人類の進歩と調和

私の幼少期というのは日進月歩で世の中が発展した時代で、その幼い頃の記憶にまだ豊かになる前の日本の風景をとどめている。例えば私の幼稚園から小学校低学年までの時期、私は何度も三輪のトラックやバスを目撃したし、道路などはメインストリート以外はまだ舗装もされていなかった。クーラーなどもなく、テレビもまだ白黒テレビ時代だ。ちなみに私は1960年代前半の生まれ。漫画『20世紀少年』の主人公たちが私より2つばかり上の世代と思われる。

当時の科学技術の進歩は目覚ましく、小学館から発行されていた「小学シリーズ」や学研「科学と学習」では、20~30年後の世界として、空飛ぶ自動車や人類が火星に旅行に行っているイラストなどが頻繁に紹介され、当時はまだ純真無垢だった私は、大人になったらきっとそういう時代が来るのだと思っていた。何より決定的だったのは1970年「人類の進歩と調和」を謳い大阪で開催された「万国博覧会」。アポロが持ち帰った月の石は、まだ決して豊かではない時代を生きていた少年時代の私に限りない未来を感じされたものだ。少なくとも私の周辺の世代は「輝く未来」を何の曇りもなく信じた。

1969年、人類は月に降り立った。そう今日はオメガ・スピードマスターについて書く。ライバルであったロレックスデイトナを蹴散らし、NASA公認の「ムーンウォッチ」の称号を得たスペシャルウォッチ。1960年代合衆国が打ち上げたアポロ計画。飛行士が着用するための時計として競争したのは、オメガ、ロレックス、ロンジン。何度やっても破損する2社を尻目にオメガは最強ウォッチの開発に成功する。21世紀の今、オメガはロレックスの後塵を拝しているが、1960年代のオメガは少なくともロレックスの風下に立つブランドではなかった。

マーキュリー計画の後、船外活動を予定するジェミニ計画と、最終的には月面歩行を目指すアポロ計画では、宇宙空間に出ても飛行士たちが使える時計が必要だった。1964年にNASAから発行された見積もり依頼の時計メーカーは以下。エルジン、ロレックス、ロンジン、ハミルトン、オメガ、ミドー、ベンラス、ルシャン・ピカール、ブローバ、グリュエン。最終的には、オメガ、ロレックス、ロンジンの3社がテストに選ばれる。宇宙空間では100度を超える寒暖の差がある。それ以外にも、気圧、湿度、酸素、加速、衝撃、振動、減圧など、宇宙空間における様々にして過酷な環境テストが始まる。ロレックスは早々に脱落。湿度テストで時計が止まり、高温テストでは針がゆがんで他の針に干渉してしまったという。その段階で次のステップに進むことはなく、ロンジンもまた高圧テスト中に風防破損、ロレックスと同じくクロノ針がゆがんでしまう。全項目のテストをクリアし、NASAから正式な採用通知を受領した時計は、オメガ・スピードマスターだけ。1965年のこと。これ以上の栄誉はあるまい。デイトナの冠にコスモ(宇宙)を配していたロレックスは、デイトナを早々にレーシング用時計へと、そのコンセプトを変更せざるを得なかったのだ。コスモグラフ・デイトナ。その名称には少し苦い敗北の傷跡がある。だが、その敗北はロレックスの糧になった。彼らはどんどんと進化を目指した。潜水士、飛行士、冒険者をはじめ、時計に様々なコンセプトを付与し、優れたデザインと性能で他社を圧倒していく。逆に、その栄光がオメガの足を引っ張ったと言えなくもない。「ムーンウォッチ(月へ行った時計)」、その栄誉があまりにも大きかったために、半世紀経った今もオメガ社はそこから脱却できず(あえてせず)、コンセプトもそうだが、何より良くも悪くも基本のデザインイメージをずっと同じまま踏襲し続けているのだ。

だが、私は思う。私のように子どもの頃に夜空を見上げて、宇宙に果てしない夢を持っていた者にとっては、やはりスピマスには夢がある。月へ降り立った勇敢な宇宙飛行士の腕で時を刻んだ時計。おそらく「時間」という概念は様々な解釈が可能だろうが、それが宇宙の営みと連動していることは間違いない。まだその100万分の1すら解明されていない広大な宇宙の中の太陽系。そこで営まれる地球の自転や公転、月の満ち欠けなどが、1日、1年、1月という「時」の単位を決している。

時計好きとして一本は所有してみようと思い立ち、少し前に古い60年代のものを入手した。ゴツくてずっしり重い。ロレックスにはどこか中性的な美を感じさせるところがあるが、スピマスはまさにman's man's watch 。男の中の男の時計だ。クロノグラフ&手巻き仕様にプラ風防。ベゼル、文字盤、インダイヤルはすべてブラック。漆黒のブラック。完成されたデザイン。これほどまでに精悍なデザインの時計はない。何と格好いい時計であろうか。何本も持つ必要はないが、一本は持っておいてよい。いや、時計を1本しか持たないなら何もスピードマスターでなくても良いが、複数持つならやはり1本は持っているべきだと今の私は所有してみてそう思っている。

1972年のアポロ17号を最後に人類は月の上を歩いてはいない。何だか夢がなくなってしまった今の世界。「進歩と調和」どころか人々は争ってばかり。いつしか少年は初老になり、空を飛ぶどころか、今も排気ガスを出す車で渋滞する夕暮れの街を歩きながら、そうそれは先日のこと、ふと東の空を見上げると、立ち並ぶビル群の遥か上にぽっかりと浮かぶきれいなお月様が。薄い雲や宵闇の星々とともに眺める月のきれいなこと。そして不可思議なこと。「あんなに遠くへ行ったのか…」、人間ってすごいなあと思った。スピードマスター。いつか人はもっと遠くへ行くのだろうか。それともこの数十年がそうであったようにいつまでもこの地にとどまり続けるのだろうか。人々が込めた思い。ムーンウォッチ。何ていい響きだろう。スピードマスターとはそんな時計だ。

さて、書き続けるとキリがないので、今日はここまで。次回、簡単にスピードマスターの歴史を書く予定。残念ながら神田神保町にスピマスは一本もないので悪しからず。これからがんばって仕入れたいとは思うのだが…。

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言い訳

年が明けてから、別の仕事で私のミスというか遅延で結構な数の人に迷惑をかけてしまい、ブログを更新する時間も余裕もなく今日まで来てしまった。店にもほとんど顔を出しておらず、店長さんに任せっぱなし、先週久々に顔を出したらずいぶんたくさん時計があってちょっとびっくり&うれしかったりもした。たまには更新しないとトップに変な広告が出てくるので、今日は没予定だった過去の原稿をアップ。去年の今ぐらいの時期に下書きした原稿である。最初に前置きしておくが、大した内容ではない。

時計を買う際、多くの人は自らに対してなにがしかの言い訳をするものだが、それらは本当に面白い。4~5万円の買い物だって安くはないのに数十万、時には百数十万円ともなると人はそれなりのエクスキューズを必要とするようだ。まだこのブログにコメント欄があった頃はよく「極上のGMTを見つけました。ギャラも付属品もバッチリ付いていて本体も極上の58万円です。オイパペさん、どうでしょうか?買いでしょうか。オイパペさんのような方に背中を押していただきたいのです」などというコメントを貰ったものだが、もうご本人はプールサイドで飛び込みの姿勢でいるようなものである。どうでしょうか?などと質問しながら、すでに前傾した身体の背中が「押して!早く押して!」と言っていて、手で押さなくても、尻にフッと息を吹きかけるだけで、勢いよくバッシャ~ンとプールに飛び込むようなもの。まあお勧めすることもあったし、正直にやめたらどうですかと返したこともある。

「言い訳」に話を戻すと、私もまた同じである。私もまたいつも自分への言い訳を必要としている。

よく見聞きする言い訳そのいち。「将来、息子にゆずる」。出た。これは美しい言い訳なのだが、実行できなかったときは実に見苦しい言い訳となる。だから安易には使わないほうが良い。大きなお世話だが、これの実施率、実行率はかなり低いと私は見ている。仮に子どもが乳幼児の場合、実施時期は成人を記念するなら15~20年後。2年も経たずに手放すロレ病患者には苦行のような長い長い歳月である。西暦2036年にそれを実行できれば立派だが、私にはその自信は到底ない(実は私も白の34mm径エアキングを将来娘に譲ると心で誓って、数か月後にあっさり売却してしまった痛い過去がある)。それに子どもがそれを喜ぶかどうかも極めて怪しいし、親の価値観の押し付けもよくない。20年後には時計など誰も身に着けない時代にだってなっているかもしれない。とは言え、実行できれば立派なことではある。

次。「がんばった自分へのご褒美」。基本的にこれは女性がよく使う言葉である。女性がちょっと贅沢な海外旅行やブランド品を買うときによく使う言葉。広告代理店はそれをよくわかっていて、旅行会社の宣伝キャッチコピーでしばしば目にする。「がんばった自分へのご褒美に今年の夏はバリ島で!」。これもまあわかるのだが、男ならがんばった自分へのご褒美はその日の一杯の酒ぐらいで済ませておこうではないか。「よくがんばったぜ自分、立派だったぜ自分、乾杯!!」と。さすがにサブマリーナはちょっと褒美が過ぎる。がんばった自分へのご褒美に80万円のロレックスを買いたいと女房に言ったら、全人類の98%ぐらいのおとっつあんはぶん殴られるか、最低でも罵声を浴びるはずである。だが、もし、「いいじゃない!あなた、がんばったんだもの。大賛成よ!」などと言ってくれる稀有な女房がいるうらやま男はどんどん自分へのご褒美としてロレックスを買い給え。遠慮することはない。多分、貴殿は神に選ばれた男だ、行先はもちろん東京の神田神保町であることは言うまでもない。大歓迎である。

次。「ビビッときた」。ハハハ。わかる、わかる。だが、これはもはや言語や思考の放棄である。冷静な判断、理性、踏みとどまり、我慢などのあらゆる人間的で高邁な精神の敗北とも言える。ビビッときて歯科医と結婚した聖子ちゃんもすぐに離婚したではないか。ちなみに彼女は「生まれ変わったら一緒になろうね」とも言った。怖ろしい言葉である。ひろみGOは震え上がったに違いない。私だったら別れた女がそんなことを言ったら、恐怖で髪の毛が逆立つだろう。「ビビッときた」は聖子ちゃん病と私は名付ける。他にも「時計が自分を呼んだ」というのも聞いたことがある。「ショーケースの中のサブが俺を呼んだんだよー」。呼んでない(笑)。呼んでませんよ、絶対。ただのメカ。機械。時計。道具。

夜中に独りで笑ってしまった。自分でブログを書きながらゲラゲラ笑っているのだからおめでたい男である。では私はどうかと言うと、私もまたたくさんのしょうもないエクスキューズをひねり出してきたが、最もひどいのは「人生には限りがあるのだから」というやつ。「人生には限りがあるのだから、今こそサブマリーナ!」。人生に限りがあることは事実であり、確かな真実である。だから、たくさん本を読むとか、人との出会いは大切にするとか、一日一日を無駄に過ごさないとか、そういう方向に行けばいいものを、なぜかロレックス。また少々似ているのだが、「自分はもう50だ、きっと60代になったら時計の売り買いをしても楽しめる人生ではないだろう。だったら今買ってしまおう」という言い訳も所有している。ご想像の通り、多分私は60になったら、「きっと70代になったら時計を楽しめる人生ではないだろう、だから~」と言い訳するに違いない。

結論めいたことを書くならば、欲しい、買う。もうこれしかない。それはそれなりの十字架なのだ。あとは背負って生きていくしかない。その十字架を下ろしても、人生にはまた別の十字架がある。名誉欲、出世欲、その他への物欲、性欲、すべての煩悩を避けるのなら坊主になるしかないのが人の世だ。そもそも我々は他の命を食らって生きている。大切なのは言い訳ではなくそれを背負って生きることではないかと、最後はやや抹香臭いことを書いておく。

「人生には限りがあるのだから、今このサブマリーナを思い切って買うぜ!」。これ、実はそれほど間違っていないのではないかと思っている。だが、ロレックスは特大の欲望だから、その代わり他のことで特大級にがんばらないと駄目だ。がんばったご褒美にロレックスとは真逆。がんばったからロレックスではなく、ロレックスを買ったからがんばるのだ。似て非なるもの、私にはこの方がスッキリする。

研磨について

正月以来まったく更新できずにいたこのブログ。年明けから元々の仕事が忙しくなかなか書けずにいるが、今日はがんばって更新。テーマは研磨(ポリッシュ)について。

オーバーポリッシュというのは嫌なものである。特にヴィンテージの世界に入ると、それはもう研磨&メンテ履歴との戦いと言っても良い。古い時計のエッジが丸くなってしまった個体は、文字盤がどれだけ美しくても入手が躊躇われるもの。特にサブやGMTは本来のケースのエッジが立っているため、オーバーポリッシュはどうしても目立ってしまう。

だが、研磨と言ってもすべてをひとくくりにするのは間違いだと今の私は思っていて、私は下記の3つに分類している。
1)日本ロレックスサービスかそれに準じる技術を持つ工房による研磨
2)下手な業者さんによる研磨
3)素人による研磨

私は、1はむしろ推奨する立場なのだが、それはこのビジネスを始めたからではない。もっと前からだ。きっかけは入手したある中古ロレックス。それはワンオーナーのノンポリッシュ物でエッジはビンビンに立っていたのだが、ケースやブレスには結構な数の細かいスレ傷があった。どれも深いものではなかったのだが、ちょっとした心境の変化で私は物は試しとOH時、日ロレに研磨をお願いしてみた。別の理由で少々その購入が失敗だったと思える時計だったからということは正直に書いておく。早晩手放す予感がしていたということ。それが戻ってきたときの感動をどう言い表せばいいのだろうが。マジで感動ものであった。ケース痩せなどまったくわからないし感じない。帰宅してからその時計を手に取ってつくづく感動したのだ。こ、これはまるで新品であるなと。これが噂の日ロレ研磨かと。恐るべし日本ロレックスSC。

1967年に作られ、こんにちまでの50年間で、推定7~8人かあるいはもっと大勢の所有者を経てきて、その所有や売買の過程で何度も何度も研磨が繰り返されてきた個体と、5桁、6桁でここ数年1~2度研磨されてきた個体を、同じように研磨歴有りの時計とくくるのは絶対に違うと私は思う。

それ以来、私は個人所有の5桁以降は日ロレでのOH時には必ず研磨をしている。何の躊躇もない。ただしヴィンテージは別。すでに明らかに研磨歴の有る個体はケースバイケースの判断。

直近でHPに出したGMT16700。入ってきたときから誰が見ても本当に良い状態の時計だったのだが、それでもいくつかの薄いキズがあって、これはOH時、日ロレに研磨をお願いした。そうしたところ案の定、惚れ惚れする出来となって帰ってきた。問い合わせ段階で研磨歴有りと知って購入を取りやめた方が何名かいたのだが、私は出来ることならその人たちにそのビフォー・アフターをお見せしたかった。

未研磨を概念や観念として捉える人が多い気がする。「探すなら未研磨」。未研磨とは一度もケースやブレスが削られていない個体を言うのだが、そういう個体はデッドストックでもない限りは、通常では他人が付けた結構なキズがある時計のことである。ステンレスや無垢にキズがついている。もちろん観念としては、未研磨でキズがないものを望むのだろうが、ではあなたはたった一度の研磨を見抜ける絶対的な自信があるか。市場には「未研磨」を謳(うた)った個体は結構あるが、そもそも未研磨を証明することはとても難しいのだ。ほとんどが前所有者の自己申告でしかないし、あるいはその伝聞でしかない。私はリアルな個体を預かるものとして、証明できない未研磨というのをあまり過剰には謡いたくない。大事なことは観念としての「未研磨」ではなく、キズや磨きを含めて良い状態の時計かどうか、自分が買っても良い(売っても良い)状態の時計かどうか、リアルな時計を見て判断するその感性や眼力の方がよっぽど大事ではないだろうか。

気をつけるべきは、上記2や3によって下手に研磨された個体。エッジの角が丸くなったり、ラグ穴が垂直ではなくなるような下手くそな研磨は避けて然るべきだが、概念や観念としての「未研磨」に捉われるのではなく、よくよく個体を見て判断すべきだと私は思う。特に現行のGMTやデイトナなどのブレス中駒の鏡面部。元々ラグジュアリーな造りを目指した時計のそのキラキラの部分がすり傷だらけで、「未研磨」を誇るほうが私には奇異に思える。あの鏡面部は感動的なまでに元の輝きを取り戻す。またデイトナはベゼルに傷が付きやすいが、日ロレなら墨入れもやってくれる。ぜひ試してみていただきたいと思う次第である。時計についての「観念」は今の自分のテーマのひとつでもあるので、いずれ又書きたいと思うが、今日はこの辺りで。
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