トリビア

個人的な話だが、今日私は休日である。窓の外はとても良い天気。一年で最も良い時期かもしれない。

珍しく日を置かずに記事をアップ。今日はトリビア(雑学的な知識)。時計を扱っていて知った豆知識の披露を2つほど。

2002年頃を境にロレックスの風防の6時位置に小さな王冠マークが刻印されていることは皆さんもご存知のはずで、ネットでは偽物を見分ける初歩としてよくそのことが書いてある。キズミで見ると確かにしっかりと見えるし、私は自慢じゃないがほぼ肉眼でも見える。だが、個人としての時計好きの時代から今日までで、私は6時位置に刻印のないロレックスを2度発見したことがある。5桁のV番とランダムである。最初は血の気が引いたものだ。やってしまった!と。だが、持ち込んだ丸の内ロレックスカウンターの別嬪さんは「本物ですよ」と事もなげに言う。「たまに付いていない個体があるんですよ」と。おいおいマジか。そんなのどこにも書いてないぞ。これは奥のカウンターの技術師さんの見立てでもあるから間違いない。ご存知のように社外風防がついていたら即座に指摘される。それから数か月後、また発見。結果は同じ。正規品ですと。従って、新説として書いておく。たまに風防6時位置に、あるはずの王冠マークのないロレックスがある。数百本のロレックス風防をキズミで覗き込んだわけではない中での2本という確率。些細なことだが、結構常識をくつがえす事実ではないだろうか。

次。皆さんがお持ちの70年代、80年代のトリチウムは半減期が過ぎてまず光らないはず。私が個人所有するサブ5513(1983年製), GMT1675(1978年製), デイトナ16520L番(1989年製)もどれもが無反応だ。しかし、なぜか60年代の個体の多く(67年頃まで)は、ブラックライトを当てるとギラギラ光る。これまで私が個人所有するものも、店に入ってきたものもみんな光る。サブ、チューサブ、GMT、デイトジャスト、エクスプローラー…。なぜだかよくわからない。ラジウムが混ざっているのかもしれない。中にはリルミ(再塗布)だと主張する人もいるが、私はそうは思わない。なぜならフルオリジナルの69年製スピマスのインデックス&針も下記写真のようにしっかりとグリーンに光るからだ。新説というわけでもないが、知らない人は知らない事実なので、やはり書いておく。むしろロレックスのミラーダイヤルでブラックライトに反応しない個体のほうが私には??である。

今日記載したことが常識だろという人には申し訳ない。少なくとも最近まで私は知らなかったので、私と同じように知らなかった人のために今日は書いた。そして、特に60年代の夜光が今も光る理由についてご存知の方がいればぜひお教えいただきたい。知るはいっときの恥というが、恥などどうでも良い。真面目な話、ぜひ教えていただきたい。

GWはもう少し続く。休める方はぜひ良い休暇を。本当に良い日和。年を取ったせいか、最近気候が良いとそれだけで幸せな気持ちになる。こんな時期ぐらいは時計のことも忘れて良いのでは、と思ってしまう。

TRITIUM.jpg
光るのはほんのわずかの間で、すぐに発光はなくなる。
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言い訳

年が明けてから、別の仕事で私のミスというか遅延で結構な数の人に迷惑をかけてしまい、ブログを更新する時間も余裕もなく今日まで来てしまった。店にもほとんど顔を出しておらず、店長さんに任せっぱなし、先週久々に顔を出したらずいぶんたくさん時計があってちょっとびっくり&うれしかったりもした。たまには更新しないとトップに変な広告が出てくるので、今日は没予定だった過去の原稿をアップ。去年の今ぐらいの時期に下書きした原稿である。最初に前置きしておくが、大した内容ではない。

時計を買う際、多くの人は自らに対してなにがしかの言い訳をするものだが、それらは本当に面白い。4~5万円の買い物だって安くはないのに数十万、時には百数十万円ともなると人はそれなりのエクスキューズを必要とするようだ。まだこのブログにコメント欄があった頃はよく「極上のGMTを見つけました。ギャラも付属品もバッチリ付いていて本体も極上の58万円です。オイパペさん、どうでしょうか?買いでしょうか。オイパペさんのような方に背中を押していただきたいのです」などというコメントを貰ったものだが、もうご本人はプールサイドで飛び込みの姿勢でいるようなものである。どうでしょうか?などと質問しながら、すでに前傾した身体の背中が「押して!早く押して!」と言っていて、手で押さなくても、尻にフッと息を吹きかけるだけで、勢いよくバッシャ~ンとプールに飛び込むようなもの。まあお勧めすることもあったし、正直にやめたらどうですかと返したこともある。

「言い訳」に話を戻すと、私もまた同じである。私もまたいつも自分への言い訳を必要としている。

よく見聞きする言い訳そのいち。「将来、息子にゆずる」。出た。これは美しい言い訳なのだが、実行できなかったときは実に見苦しい言い訳となる。だから安易には使わないほうが良い。大きなお世話だが、これの実施率、実行率はかなり低いと私は見ている。仮に子どもが乳幼児の場合、実施時期は成人を記念するなら15~20年後。2年も経たずに手放すロレ病患者には苦行のような長い長い歳月である。西暦2036年にそれを実行できれば立派だが、私にはその自信は到底ない(実は私も白の34mm径エアキングを将来娘に譲ると心で誓って、数か月後にあっさり売却してしまった痛い過去がある)。それに子どもがそれを喜ぶかどうかも極めて怪しいし、親の価値観の押し付けもよくない。20年後には時計など誰も身に着けない時代にだってなっているかもしれない。とは言え、実行できれば立派なことではある。

次。「がんばった自分へのご褒美」。基本的にこれは女性がよく使う言葉である。女性がちょっと贅沢な海外旅行やブランド品を買うときによく使う言葉。広告代理店はそれをよくわかっていて、旅行会社の宣伝キャッチコピーでしばしば目にする。「がんばった自分へのご褒美に今年の夏はバリ島で!」。これもまあわかるのだが、男ならがんばった自分へのご褒美はその日の一杯の酒ぐらいで済ませておこうではないか。「よくがんばったぜ自分、立派だったぜ自分、乾杯!!」と。さすがにサブマリーナはちょっと褒美が過ぎる。がんばった自分へのご褒美に80万円のロレックスを買いたいと女房に言ったら、全人類の98%ぐらいのおとっつあんはぶん殴られるか、最低でも罵声を浴びるはずである。だが、もし、「いいじゃない!あなた、がんばったんだもの。大賛成よ!」などと言ってくれる稀有な女房がいるうらやま男はどんどん自分へのご褒美としてロレックスを買い給え。遠慮することはない。多分、貴殿は神に選ばれた男だ、行先はもちろん東京の神田神保町であることは言うまでもない。大歓迎である。

次。「ビビッときた」。ハハハ。わかる、わかる。だが、これはもはや言語や思考の放棄である。冷静な判断、理性、踏みとどまり、我慢などのあらゆる人間的で高邁な精神の敗北とも言える。ビビッときて歯科医と結婚した聖子ちゃんもすぐに離婚したではないか。ちなみに彼女は「生まれ変わったら一緒になろうね」とも言った。怖ろしい言葉である。ひろみGOは震え上がったに違いない。私だったら別れた女がそんなことを言ったら、恐怖で髪の毛が逆立つだろう。「ビビッときた」は聖子ちゃん病と私は名付ける。他にも「時計が自分を呼んだ」というのも聞いたことがある。「ショーケースの中のサブが俺を呼んだんだよー」。呼んでない(笑)。呼んでませんよ、絶対。ただのメカ。機械。時計。道具。

夜中に独りで笑ってしまった。自分でブログを書きながらゲラゲラ笑っているのだからおめでたい男である。では私はどうかと言うと、私もまたたくさんのしょうもないエクスキューズをひねり出してきたが、最もひどいのは「人生には限りがあるのだから」というやつ。「人生には限りがあるのだから、今こそサブマリーナ!」。人生に限りがあることは事実であり、確かな真実である。だから、たくさん本を読むとか、人との出会いは大切にするとか、一日一日を無駄に過ごさないとか、そういう方向に行けばいいものを、なぜかロレックス。また少々似ているのだが、「自分はもう50だ、きっと60代になったら時計の売り買いをしても楽しめる人生ではないだろう。だったら今買ってしまおう」という言い訳も所有している。ご想像の通り、多分私は60になったら、「きっと70代になったら時計を楽しめる人生ではないだろう、だから~」と言い訳するに違いない。

結論めいたことを書くならば、欲しい、買う。もうこれしかない。それはそれなりの十字架なのだ。あとは背負って生きていくしかない。その十字架を下ろしても、人生にはまた別の十字架がある。名誉欲、出世欲、その他への物欲、性欲、すべての煩悩を避けるのなら坊主になるしかないのが人の世だ。そもそも我々は他の命を食らって生きている。大切なのは言い訳ではなくそれを背負って生きることではないかと、最後はやや抹香臭いことを書いておく。

「人生には限りがあるのだから、今このサブマリーナを思い切って買うぜ!」。これ、実はそれほど間違っていないのではないかと思っている。だが、ロレックスは特大の欲望だから、その代わり他のことで特大級にがんばらないと駄目だ。がんばったご褒美にロレックスとは真逆。がんばったからロレックスではなく、ロレックスを買ったからがんばるのだ。似て非なるもの、私にはこの方がスッキリする。

研磨について

正月以来まったく更新できずにいたこのブログ。年明けから元々の仕事が忙しくなかなか書けずにいるが、今日はがんばって更新。テーマは研磨(ポリッシュ)について。

オーバーポリッシュというのは嫌なものである。特にヴィンテージの世界に入ると、それはもう研磨&メンテ履歴との戦いと言っても良い。古い時計のエッジが丸くなってしまった個体は、文字盤がどれだけ美しくても入手が躊躇われるもの。特にサブやGMTは本来のケースのエッジが立っているため、オーバーポリッシュはどうしても目立ってしまう。

だが、研磨と言ってもすべてをひとくくりにするのは間違いだと今の私は思っていて、私は下記の3つに分類している。
1)日本ロレックスサービスかそれに準じる技術を持つ工房による研磨
2)下手な業者さんによる研磨
3)素人による研磨

私は、1はむしろ推奨する立場なのだが、それはこのビジネスを始めたからではない。もっと前からだ。きっかけは入手したある中古ロレックス。それはワンオーナーのノンポリッシュ物でエッジはビンビンに立っていたのだが、ケースやブレスには結構な数の細かいスレ傷があった。どれも深いものではなかったのだが、ちょっとした心境の変化で私は物は試しとOH時、日ロレに研磨をお願いしてみた。別の理由で少々その購入が失敗だったと思える時計だったからということは正直に書いておく。早晩手放す予感がしていたということ。それが戻ってきたときの感動をどう言い表せばいいのだろうが。マジで感動ものであった。ケース痩せなどまったくわからないし感じない。帰宅してからその時計を手に取ってつくづく感動したのだ。こ、これはまるで新品であるなと。これが噂の日ロレ研磨かと。恐るべし日本ロレックスSC。

1967年に作られ、こんにちまでの50年間で、推定7~8人かあるいはもっと大勢の所有者を経てきて、その所有や売買の過程で何度も何度も研磨が繰り返されてきた個体と、5桁、6桁でここ数年1~2度研磨されてきた個体を、同じように研磨歴有りの時計とくくるのは絶対に違うと私は思う。

それ以来、私は個人所有の5桁以降は日ロレでのOH時には必ず研磨をしている。何の躊躇もない。ただしヴィンテージは別。すでに明らかに研磨歴の有る個体はケースバイケースの判断。

直近でHPに出したGMT16700。入ってきたときから誰が見ても本当に良い状態の時計だったのだが、それでもいくつかの薄いキズがあって、これはOH時、日ロレに研磨をお願いした。そうしたところ案の定、惚れ惚れする出来となって帰ってきた。問い合わせ段階で研磨歴有りと知って購入を取りやめた方が何名かいたのだが、私は出来ることならその人たちにそのビフォー・アフターをお見せしたかった。

未研磨を概念や観念として捉える人が多い気がする。「探すなら未研磨」。未研磨とは一度もケースやブレスが削られていない個体を言うのだが、そういう個体はデッドストックでもない限りは、通常では他人が付けた結構なキズがある時計のことである。ステンレスや無垢にキズがついている。もちろん観念としては、未研磨でキズがないものを望むのだろうが、ではあなたはたった一度の研磨を見抜ける絶対的な自信があるか。市場には「未研磨」を謳(うた)った個体は結構あるが、そもそも未研磨を証明することはとても難しいのだ。ほとんどが前所有者の自己申告でしかないし、あるいはその伝聞でしかない。私はリアルな個体を預かるものとして、証明できない未研磨というのをあまり過剰には謡いたくない。大事なことは観念としての「未研磨」ではなく、キズや磨きを含めて良い状態の時計かどうか、自分が買っても良い(売っても良い)状態の時計かどうか、リアルな時計を見て判断するその感性や眼力の方がよっぽど大事ではないだろうか。

気をつけるべきは、上記2や3によって下手に研磨された個体。エッジの角が丸くなったり、ラグ穴が垂直ではなくなるような下手くそな研磨は避けて然るべきだが、概念や観念としての「未研磨」に捉われるのではなく、よくよく個体を見て判断すべきだと私は思う。特に現行のGMTやデイトナなどのブレス中駒の鏡面部。元々ラグジュアリーな造りを目指した時計のそのキラキラの部分がすり傷だらけで、「未研磨」を誇るほうが私には奇異に思える。あの鏡面部は感動的なまでに元の輝きを取り戻す。またデイトナはベゼルに傷が付きやすいが、日ロレなら墨入れもやってくれる。ぜひ試してみていただきたいと思う次第である。時計についての「観念」は今の自分のテーマのひとつでもあるので、いずれ又書きたいと思うが、今日はこの辺りで。

よい年を

早いもので今日で今年も終わり。みなさんと同様、私にも色々なことがあった2016年だった。

12月は、人とお別れするときに、「よい年を!」、「よい年をお迎えください」などと挨拶をするが、年齢が50を越えてくると「良い年」など贅沢だなあと思えてしまい、「悪くない年」であればもう十分だとすら思う。決して謙虚なのではない。年を取ってから起きる悪いことって本当に悪いことだから。

それでもやっぱり、良い年を!

また来年お会いしましょう。

バブルの頃とは位置づけが変わったロレックス

私はバブル期に社会人となった。当時は「新人類」などといわれ、日本経済は世界を席捲するかの勢い、夜の街は活気にあふれ、深夜のタクシーは止まってくれず、先輩が本当に一万円札をかざしてタクシーを止めようとしたことを良く覚えている。給料も年に10%近く昇給していた記憶がある。1980年代後半から1990年代前半の話。都内のマンションは億に近くなり、それでも誰もがもしかしたら自分も手が届くのではと妄想した時代。株価は3万円を超え、至るところに土地成金や株成金が発生し、街の様子は開発によって月単位で変わっていった。当時のロレックスといえば、コンビのデイトジャストが定番。夜の街で何本のそれを見たことか。30代でバブルは弾けたが、まだ日本は裕福さの余韻の中にいた。

バブルの時代、日本の農協のおじさんたちが胸にメイド・イン・ジャパンのカメラをぶら下げ、傍若無人にパリやロンドンを闊歩し、彼の地の人々の眉をひそめさせた、同じことが今はトーキョーで起き、我々は近隣諸国人の振る舞いに眉をひそめる。ノーベル賞を受賞したディランが半世紀も前に「時代は変わる」で予言したことを我々はいま経験している。そうそうボブ・ディラン。ここのブログタイトルは彼の曲「watching the river flow」から拝借している。

本格的な曲がり角はネットと携帯電話が普及してからという気がする。物を売ることで成り立っていたあらゆる業種崩壊が始まり、次には情報に金銭価値を付与していた企業が致命傷を受けることになった。考えてみて欲しい。つい20数年前、私たちは時間や天気を知るにも、117や177で電電公社に金を払っていたではないか。今ではそれらどころかあらゆるニュースや情報も無料で手に入る時代に生き、情報を売りにかつては花形産業であった新聞社や出版社が存続の危機にさらされている。それに、何よりもネットは不正やまやかしのベールをはがした。企業が勝手につけた価値(value)が実はそれほどではないことを露呈した。世界はすさまじい勢いで変化を続けている。そういう意味でインターネット革命は18世紀の産業革命よりはるかに巨大な変革であった。利便性の代償として人は貧しくなる。何と大きな代償であったことか。

だが、私はこうも思っている。物を売り、お金が豊かになると幸福になれると信じて頂きを目指した日本人はバブルのあの時代、モノやカネでは幸福にはなれないのだということを知った。その頂きで呆然となった。限りある命を生きる人間はそういうことでは幸福にはなれないのだということを最初に知ってしまった人種ではなかろうかと。今、新興国はかつての日本の行った道をたどる。たぶん彼らもまた彼らの頂きにおいて、そのことを知るに違いない。

かつては富の象徴であったロレックス。だがもう違う気がする。バブルのあの時代とはあらゆるものが変わったのだ。最も優れた種は「変化に対応する種」だと言う。たぶん、我々もまた変わらなければならない。もう我々が生きている間に、日本経済が復活することはないかもしれない。だが、そんなことは関係ない。結局最後は個人の問題であり、個人の戦い。国のせい、社会のせいにして不満を書き並べても意味はない。最後は自分だ。自分の境遇と運命を受け入れ、でも努力の余地はあると信じ、自分のため、家族のため、仲間のため、人のためにと懸命に働き、生きる人の勲章としてのロレックス。ロレックスの位置づけもまた変わったのだ。神田神保町にはそういう人が求める勲章を置いておく。自分自身もまたその渦中にいる人間からの、「お互いがんばろう!」のメッセージとして私は良質な個体を集め、誰かの代人としてそれを手渡したいと思っている。「お互いこれからもがんばろう」と。それが、私が始めたことの最大の意味であり意義である。

相場の話(改改定版)

モノを売るにあたって一番大事なのはプライシング(値付け)である、と私は常々思っている。私は前職で専門家に就いてプライシングを徹底的に勉強した。その商品が売れる売れないの大方は値付けで決まる。逆に書けば、商品の値付けを最初に間違えると、それを売り切るのは至難の業となってしまう。

まず市場価格というのがある。実勢価格や相場ともいう。ネットを叩くと楽天やヤフオク、あるいは各時計ショップのサイトや楽天あたりで該当時計の相場は瞬時にわかる。だがしっかりと書いておく。ネットを叩けばいつでも買える時計の価格、あれらが「適正価格」なのではない。それは絶対に違う。では、あの価格は何なのか。私個人の見立てとして以下に書く。

あれらは単に「昨日も今日も売れなかった時計の価格」でしかない。昨日も買え、今日も買え、たぶん明日も買える価格。いや、下手をすると一か月前にも買うことができ、そしてかなりの確率で一か月後にも買える時計の価格でしかない。つまりは初動に失敗した売れ残りプライス。良い価格の時計など、下手をするとHPに出した午前11時の1時間後に売れて、昼過ぎには売っていた形跡すら無くなったりするのだ。ONOMAXさんが良い例。私は楽天でいくつかの時計をアラート登録しているが、朝にメールが来てすぐにスマホでその店のHPに行っても、良い値付けをされた時計の大抵はすでに売り切れている。まだ寝ている時間に人が買ってしまうというわけ。朝が遅い夜型人間には少々つらい。そうやって足の早い時計は私や皆さんが知らないところで売れているのだ。ネットで世界がつながってからは良くも悪くもそういう時代になった。

今は時計も二極化の時代。すぐに売れる時計といつまでも売れ残る時計。なぜか。価格が今の日本人の財布に見合っていない、つまり高いから。そして残念ながら供給が需要を超えているから。前述のように良い値付けの時計、状態が抜群のヴィンテージ時計、希少モノなどは出てきたらアッという間に売れてなくなる一方で、ありきたり価格の時計はダブついてしまっている。従って、そういった「売れ残りプライス」を相場だと思って個人がヤフオクや委託でその価格を付けてもなかなか売れない理由はここにある。

賃貸物件などもそう。郊外ではなかなか借り手が見つからないし、都内でも事務所物件は空き家だらけである。いつも不動産屋のガラスに貼ってあるものの多くは売れ残り物件。良い物件は時間勝負で契約が決まっていると懇意にしている不動産屋のオヤジさんもそう言った。不動産屋滞在中に、ガガガガガとFAXで送信されてきたり、添付メールで送られてくる新着の中に勝負に出たオーナーによる出物物件があり、それは時間や分単位で仲介会社たちの取り合いになるそうな。ここも二極化。本質的には中古時計業界とまったく同じではないか。

結局インターネットが世界を変えたのだ。こいつが登場する前、顧客は圧倒的に不利だった。情報を持てなかったからだ。自分の足で店を回ってもせいぜい数店舗、それでは本当の横の比較はできない。だからメーカーも小売りもある程度は意のままの値付け、つまりは利幅の高い値付けができた。だが今は違う。劇的に違う。情報は世界に公開され、比較されてしまう。横暴なプライスなど見向きもされない。顧客は情報を握り、前回書いたように今や個人も事業者となり、ひんぱんに売買をおこなう時代である。労せず無料で手に入る情報などたかが知れているのだ。

インターネットはあらゆる既存価値(ヴァリュー)を破壊した。つまりこれまでプライスが付いていたものを無力化したと言っても良い。ネットで世界中のニュースが無料で手に入る時代に大手新聞社が青息吐息なのは当然のこと。この大きなうねりは既存のビジネスを直撃し、あらゆるビジネスが薄利になったのは、もはや世の流れ。郊外や地方のみならず都会でも小さな商店はどこもシャッターが閉まったまま。それが良いとはまったく思わないが、リアルにそういう時代がやってきたのだ。

今日、ヤフーオークションで、あるヴィンテージロレックスが80万円台で落札された。出品者が付けた価格通りであっさりと売れるのなど珍しいことだが、モノも良かったし、価格も「相場」よりは15万円は安かった。あるべきオークションの姿だと私は思った。そしてその時計よりも15万円高い「相場」通りの時計たちは今日も売れ残り、そしてたぶん明日も売れ残る。長くなったので今日はここまで。また改めてプライスについては思うところを書きたい。

個人事業主

前回の記事で私は「やってみてわかったことがある」と書いた。その内のひとつを書いておく。それは、みなさん時計好きも実体は時計売買の(個人)事業者なのだということ。そう言われても???と違和感を覚えるだけかもしれないが考えてもみて欲しい。みなさんはコンビニで買ったパンやチョコレートやジュースをリセールしているだろうか?それらは消費して終わっているはずで、そこにおいてみなさんは確かに消費者である。コンサートチケットを買えば、基本的にはライブを見にいくし、ランチを食べれば食べて終わっている。つまり最終消費者であり顧客である。だが時計は違うはず。100%純増を貫いている人は別だが、時計に関しては、大抵の人が買うと売るを繰り返している。私もまた法人化して買うと売るを繰り返している。つまり同じ立場なのだ。友人同士での個人間売買であろうともヤフオクでの売買であろうとも、通常の店舗での売買であろうとも、ロレ好きたち(過去の私も)がやっていることはほぼ時計売買であり時計ビジネスである。

私も数カ月前までは自分を消費者だと思っていた。マーケットにおける客だと思っていた。だが、これまでの個人としての時計売買をきちんと記載してきた私的な過去のエクセルシート見れば、これ義務として課せられている法人の「古物台帳」とまったく同じではないか!確かに、私は個人として買い手でもあったのだが、しっかりと売り手でもあったのだ。いや、実際のところ新たに事業として未知の世界に飛び込んだつもりが、何だか今までとあまり変わりはないというか、ハハハ、書いていて笑ってしまうな。いやそれが実感なわけで…。

法人や事業を馬鹿にしているわけではない。確かに責任の重さは個人とは違う。だが何というか、本質だけを見据えれば同じだと思えて仕方がない。ここに集う多くの時計好きは個人とはいえ、すでに相当なプロフェッショナル。日々ショップのHPをチェックし、ブログを読む多くのロレ好きは法人と変わらぬ情報をしっかりと持っているし、相場観も持って動いている。私よりも深い知識を有する者も山ほどいることだろう。ナンダそうだったのか。本質は時計を買って売ること。過去の私個人も時計を買って売る、皆さんも時計を買って売る。本質を見据えれば法人だろうが個人事業者だろうが同じ。それが前回書いた、やってみてわかったこと。これは法人化しなければ、少なくとも私は気づけなかったと今も思う。

ひとつ補足。私はサラリーマンを辞めてからは個人の確定申告を税理士に依頼しているが、個人の時計売買の申告はしっかりとさせられている。マイナンバーで今や全員に網はかかっていると考えた方が良い。年間トータルの差益が20万円を超えたら要申告だ。そこにおいてお上の認識もまた、時計売買を行う人は個人事業者なのだ。「並行店が値を釣り上げて」「プレ値をつけて」という記述をよく散見する。確かに値を釣り上げているショップもあるのだろうが、顧客もまた売却時には少しでも高く売り抜けたいわけで(今のヤフオク個人出品の多くは法外な値付けであることは周知の事実)、そんなこんなの皆の思惑が混然一体となって、たぶん誰もが高いと感じている今の相場を形成している。ひとつのショップが、あるいは個人が価格を左右することは無理だ。需要のない法外な値付けなど無視されて売れ残るだけ。今はネットで世界はつながっており、もっと巨大なうねりのような流れ、ありとあらゆる人間の欲望を抱合した大きなうねりが相場を作る、まさに「神の見えざる手」。その相場については思うところあるが、それは次回。

法人としてやっていくと決めて実際に動き出した以上、私は少しでも長くこのビジネスを継続していけることを目標としているが、皆さんもまたこの先時計を趣味として続けていく以上、この大きなマーケットを構成する重要な一員(マーケッター)という認識を持って良いと私は思う。大事なのは情報とネットワーク。その広さ、多さ、深さ。それが個人のハッピーにつながる。そして何よりもそのネットワークは親しくフレンドリーな関係であったほうが良い。それが最も大切なことかもしれない。最後の最後、商売というのは人と人との向き合いだと思うので。私もまたこれからそういう人脈を築いていかないといけないのだなと痛切に感じている次第。今日はこの辺りで。

またやってしまった

またやってしまったのである。何を??いや、腰である。先々週の日曜日23日の早朝、海外のディーラーとのGMTマスターのひじょうに気を遣うやり取りがあり、それこそ土曜日夜から日曜早朝までデスクに向かったままぶっ通しで10時間の英語のやり取り。たぶんこれで疲労が溜まったのだろう。翌日月曜日の朝にぐきっとやってしまった。女房殿と娘が笑う笑う。ちくしょー、家出してやる!と、それはもちろんジョークだったのだが、這うようにして事務所へ行ったら、それから数日本当に家に帰れなくなった。痛くて動けないのだ。床にトゥルースリーパーを引いて仰向けに転がっていた。くしゃみが怖いのでマスクして。情けない。ようやく歩行可能となったのは木曜日。どうしても神保町のショップに顔を出さないといけない用事があり、タクシーには乗れない(身をかがめられない)ので、歩きはしたものの牛歩状態。三輪車の子どもに「どいてー」と抜かれる始末。参った、参った。腰は本当につらい。きっかけはいつものように歯磨きで。「オエっ!」て。奥をゴシゴシ磨きすぎなのだろうな。

その疲労の元となった交渉は16710のM番だったのだが結局流れた。やはりM番の仕入れはひじょうに高い。スティックの赤黒。店に出すと中古でも軽く250オーバーになってしまうのと、やや取引内容に関して不安点があったため、私のほうからキャンセル。だが、本当に疲れたのは、ちょうど先々週から着手していた前回1675の記事かもしれぬ(ハハハ)。最終的にアップしたのはまさに激痛のさなか、これが回復を長引かせたのはたぶん間違いない(苦笑)。

先週売りに出たONOMAXさんのファットレディーは不思議。シリアル439のファットレディー?1976年にキャリバー3085?こんなことってあるのだろうか。不思議だけどすごく面白い。最高!誰か解明したら教えて欲しい。まだ机に向かうとつらいので今日はこの辺で。皆さんも体調には十分にご注意を。健康は大事です。あと普段の運動と食事も。もう若くない人は特に。

裕次郎のGMTマスター

先週末は仕事で北海道へ。ここは時計について書くところであって旅ブログではないので、北海道について書いたりはしないが、仕事の合間に小樽にある石原裕次郎さんの記念館に行き、彼が愛用したGMTマスター1675を直に見てきたので少しだけそのことを。

私にとって裕次郎さんは小学生の頃に欠かさず観ていた「太陽にほえろ」のボスのイメージが強いが、上の世代にとってはそれ以上の存在であることは間違いない。まさに戦後のどん底にあった人々の夢と憧れのスター。若々しくて格好良く、彼の映画を観るとそれがよくわかる。演技も下手、歌も下手。だがやっぱり戦後の昭和を代表するスーパースターである。

それがあるという情報を知らずに訪問したので、唐突にショーケースの1675と対面したときは少なからず感動した。周りに人はおらず私だけ、一体何分間眺めていただろう。ガラスを挟んで20cmぐらいの距離。他にも金無垢のGMT(茶)、ホイヤー、ルクルト、チェリーニなど複数の時計が展示してあったが、やはり私の眼はPEPSIに釘付けとなった。残念ながら撮影禁止だったので写真はない。

文字盤はマット。ミラーではない。そしてヒラメでもなく小針でもないので、おそらくは1960年代後半製造の1675だと推測。ブレスはリベット。文字盤とインデックスのトリチウムはとてもきれいだが、ガワはたいへん使い込まれており、彼が愛した軌跡が伺いしれる。一度出口まで行って、ここが今月で閉館になることを思い出し、最後の見納めにともう一度GMTの元へと戻った。

パネルに記してあったまき子さん(ご夫人)の言葉が実に感動的だったので記憶をたどって書く。「もしも私がもうすぐ死ぬということになったら、そしてもしあの世にも男と女の世界があるのなら、私はどんなことをしてもあなたを探し出します。私の思慕はそれほどまでに深いのです。裕さん、もう一度あなたに会いたい。そしてあなたを抱きしめてあげたい」。多少文言は違えど、そのようなことが書かれてあった。

女房を愛し、仲間を愛し、海を愛し、そして映画を愛した男。若くして亡くなった。そんな男のロレックスGMTマスター。記念館を出ると脇のヨットハーバーでは海と空が青く、きらきらと輝いていた。海のような空と、空のような海だ。何とも言えない気持ちを抱きながら、駅までの海沿いの道を私は歩いたのだが、その気持ちをうまく言葉にするのはとても難しい。豪華な調度品、外車、きらびやかな衣装、栄光のトロフィー、そしてロレックス。それらが残され、愛する人も今生に残され、本人だけがいないのに、外に広がる景色の何と美しく、そして残酷なことか。確かに生きてなんぼである。だがその残酷さも結局のところ、生まれてきた者はすべていずれは死ぬのだという事実によってのみ救われるのだとしか思えない。主がいなくなり自らも時を刻むことをやめたPEPSIの青と赤の残像は当分我が脳裏から消えそうもなく…。

お礼

まずは開業の初日が終わった。ありがたいことにオープンした直後にHOLDとなり、今は下取り品の到着を待っているところ。5名もの方にキャンセル待ちをしていただいている状況。ありがたくも申し訳ない気持ち。また今日はたくさんのお電話やメールをいただいたようで、ようやく顔を出せた昼過ぎには初の来訪者にお会いすることができ、短いながらも楽しい会話をさせていただいた。まだ展示品がほとんどなくて申し訳ないことであった。これから在庫も増やして楽しんでいただけるように努力したいと思う。

実はここ数か月、ブログを読んでいただいている方々から私個人へのありがたい商品提供の申し出やご紹介をいただいていた。そのいくつかは喉から手が出るほど欲しかったのだが、それはやはり開業を控えて在庫が少ないからであり、さすがにそこで入手させていただいた時計を法人で売りに出すのは失礼だと考えて辞退していた。コメント欄を閉鎖しているため、きちんとお伝えできなかったので、この場を借りてお申し出へのお礼とお詫びを申し上げたい。そして改めて下取り&買い取り歓迎。

過去に10本ほど個人輸入したことで、今回のビジネスでもそれが活き、今もいくつかの仕入れについて海外と交渉中であるが、それはまた追い追いと。一両日中に第二弾を予定。

今日は、ご訪問いただいた方からは直接、他にも電話やメールを通じてこのブログについて過分なお言葉を頂戴した。実は、このブログはもうやめて今後はHP一本鎗でと昨夜までは考えていたのだが、お褒めの言葉のお蔭で気分がアゲアゲになったこともあり(単細胞!)、これまで通り私個人の時計についての記事と、法人の時計に関する記事の両方を兼ねて継続させてもらう予定である。時計をビジネスにしようが、やはり私は一個人としての時計好きなのだ。そして継続は力なり。引き続きよろしくお願いする次第。今日はこのあたりで。本日はありがとうございました。
プロフィール

オイパペ

Author:オイパペ
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