たまにはデッドストックの情報を

最近も半ば惰性で、夜な夜な時計ショップのHPだけは訪問し続けてはいるが、個人的におもしろいブツはめっきり出て来なくなった。稀少な時計については、コレクターも今は手放さない時期なのか、売却しても海外に流れているのか、そのあたりはよくわからない。

今コメ兵で旧グリーンサブのデッドV番が798,000円でアップされている。16610lv

私は今後基本的にはデッドストックは買わないと決めている。中古のコレクションで充分だ。それでもこのブログの新着情報は訪問者のためではなく、自分への備忘録のようなものなので一応記載しておく。何度も書いてきたが、この時計のデッドが入手困難であることは、これからずっと続いていくはずで、そういう意味では貴重は貴重。価格については、人それぞれであることは言うまでもない。私は普通に高いと思う。

だが、いろいろなところで60万円台半ばで売られているこのモデルの中古の方がもっと高く感じる。それでも週末にジャックで59万円でアップされた旧グリーンサブが一瞬で売れて消えたこと、そしてたった数万円差でもその価格が新鮮に思えたこともまた事実。プライシング(値付け)というものは本当に難しく、そしておもしろいと感じた次第。
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コレクターであるということ

今回は前回の記事の続き。本当はもっと詳細にと思ったが、仕事が忙しく疲労も濃いので簡単に(多分)。

前回記事にしたように、今やシードゥエラーが私の唯一の普段使い時計となっている。たまに極上のアンティーク・ロレックスを目にすることがあるが、そのたびに自分もこういう風に経年変化をさせたかったとつくづく思う。ルミノバはトリチウムのように、いい具合に経年劣化はしないだろうが、それでも今からでも遅くないだろう。その思いの強さが、その他のロレックスを遠ざけてきたというのは前回書いた通り。

そしてケースにしまわれたままの時計について。私は最近自分はコレクターなのだとシンプルかつ明確に自覚するようになった。こんな当たり前のことにたどり着くのに結構な時間がかかってしまったのは、おそらく使わない時計というものに何らかの後ろめたさがあったからだろうと分析するが、今やそんなものは胸中にはない。基本的には仕事人間で、他にはあまり金を遣わない私の数少ない趣味だ。自分で節操を持ってやっていればいいかと。

コレクター…。確かにいい響きではない。どこか暗く独りよがりで陰湿な悦びの香りすらする。だが私は自分で言うのは何だが、ロレックスをコレクションすることについては実に朗らかである。傍から見ると相当楽しそうに映るに違いない。実際、私が仕事を終え、一日の最後に考えるのは大抵時計のことだ。夜に難しいこと(主として仕事のこと)は考えないようにしている。少々の酒をたしなみながら、ショップのHPやロレ好きのブログを訪問する、時計を眺める、手入れをする。次に何を入手しようかと思いを巡らせる…。それらはささやかであっても、自分の楽しく大事な時間だ。何も悪くない。

今回書いたことは、回り道ではあったが、ある種開き直った末の私のひとつの到達点である。他人様(ひとさま)からするとオーバーな物言いかもしれないが、私はそう感じている。お蔭で気持ちが楽にもなった。おそらく私はシードを使い倒しながら、一方でこれからもロレックスのコレクターであり続けるのだろう。つまりこれからも買うということ。もちろん身の丈に合った範囲で。手放すこともあるだろう。

そして、集めたロレックスのことをまた理屈っぽく思考していくことになるに違いない。なぜなら集められたそれらは私という人間の心を象徴する何かだと思えてならないからだ。結局のところ、私はそのことに強い関心がある。

使い回せない

私はいま現在7本のロレックスを所有しているのだが、それらを日常で使い回せない自分がいる。人によっては、もっと多くのロレックスを所有していて、今日はスーツだからデイトジャストにしようとか、出張があるからGMTにしようとか、夏だからサブだとか、まあ色々あるだろうが、そうやって複数のロレックスを使い回しているのだと推測する。楽しそうだし羨ましくすら思う。

だが、私はこれがまったくできないのだ。そのマインドがない。基本的にはここ数か月の普段使いは旧シードだけであり、残りの6本はケースの中で眠ったままである。今回はこんなどうでもいいことについて書く。割と切実な問題である。

自分の心理を探っていくと、まず面倒くさいという身も蓋もない感性が私には確かにある。今日は月曜日だから、気分一新グリーンサブを着けよう!などとはまず思わない。シード以外は時計ケースの中で竜頭も巻かれずに眠っており、それらを一々巻いて日付と時刻を合わせることはどうしようもなく面倒だ。気まぐれでやることはあっても、それが日常レベルには降りて来ることはない。面倒だ。

ちなみに私はワインディングマシーン完全否定派である。使わない時計をぐるぐる回す意味がわからない。いや意味はわかる。私のように不精で面倒臭がり屋のために開発されたのだろう。実際に私は買ったことがあるのだ。だが使わないのにぐるぐる回されている時計は無駄というか何というか、とにかく私の感性にはまったく合わず、必要のないものとして捨ててしまった。

話を戻す。もう少し自分の気持ち、複数の時計を所有しているのに1本しか使わない自分の心理の奥を覗き込んでみると、最近これまでになかった微妙な感覚が生じ始めていることを自覚する。さてさて今日はうまく書けるだろうか。

この夏に旧シードを普段使いしていく中で、本来そうあろうとした“時計とともに時を刻む”ということの意味がようやくわかりかけ、そして実践できている実感がある。汗もかくし、突然のゲリラ豪雨で濡れることもある。働く多くの人と同様に私もしばしば仕事で行き詰り苦しい思いもする。そんなときも、時計は私とともにあり、そこで確実に時を刻んでいる。

何かを身につけるとはこういうことだったのかという思い。それは基本的に日々違うものを身に纏う衣服とは違う。これほどまでに自身とともにあるのは我が左腕のロレックスだけだ。基本的にはひとりで生きていくしかない人生において、いま相棒と呼べるものは旧シードなのだということを思う。私は喫煙しないが、喫煙者にとってのジッポのライターやキセルなどもそれに近く、文筆家にとってのペンも同様かもしれない。車やバイクこそがそうだと思える人もいるだろうし、ライカがそうだという人もいるだろう。いずれにせよ、ようやくそう思える物を手にすることができたという喜びが今の私には確かにある。

逡巡したあげく選んだのは、所有する中で私には最も似合わず、最も遠い存在のシードゥエラーであったが、その強い思いがまた他のロレックスを遠ざけたことも事実だ。私は心底自身とともにその時計を経年変化させたいと思っている。傷も厭わない。それはようやく踏み出せた新たな一歩であった。

だが、今日のテーマはそのことではない。長々と書いてきて、今回私が書きたかったのは違うこと、それは使われることなくケースの中で眠るその他のロレックスのことなのだが、ここまで書くのに結構な時間がかかってしまったので、そのことについては次回に続くとさせていただくこととする。今日はこのあたりで。

ロレックスが向かうのは②

前回の「ロレックスが向かうのは」の記事を後から読み返していて、少し視野が狭かったなと思うところがあるので、今日はその補足を。

言うまでもなく、ロレックスは世界的企業なのだから、日本からの視点だけで論じてはいけない。私は仕事柄海外に出向くことも多く…、と書きたいところだがそれは真っ赤なウソ。情けないことに飛行機が駄目なので、私自身が海外に出向くことはないのだが、スタッフやプロジェクトチームを常時海外に派遣している。ヨーロッパやアメリカはもちろん中近東、ロシア、アジアなどだ(アフリカはない)。

スタッフから聞くところによれば、外国の多くはやはり日本よりもずっと貧しい。今の日本がいくら経済的に停滞しているといっても、そのほとんどは中間層として食うには困らず、最低限の生活はできているわけだが、それは世界的に見れば奇跡的なことであると。日本では極一部の富裕層と、その他ほとんどを占める中間層で占められる。その中間層は日本では中間層でも、世界的に見れば上位数%に入る富裕層なのだ。こんな国は珍しい。

3年ぐらい前のこと、ある国へ行っていた前述のスタッフ数人が現地の若者たちに取り囲まれて金を強請られたことがある。帰国した彼らから聞いて私は一瞬青ざめたのだが、現地の警察に届けなかったというその訳を聞くと、取られた金は日本円にして5千円ぐらいだったと言うのだ。その話を受けて私が感じたのは、腹立たしさだったのか、哀しさなのか、あるいはある種の後ろめたさのようなものだったのか、今もってよくわからない。

世界には多くの貧困者が存在し、飢餓者は8千万人とも1億人とも言われ、その内75%が乳幼児だ。先進国といわれるヨーロッパ各国ですら極一部の富裕層を除けば、後は貧困層の占める割合はびっくりするぐらいに多い。

国民の大多数が中流などという国はほとんど存在せず、しかも日本の人口がいくら多いといってもせいぜい世界の60分の1程度でしかないわけで、その日本はバブル後の失われた10年、いや20年、経済は停滞したままだ。従ってこの国の観点でロレックスという世界企業を計ると大きな過ちを犯すに違いない。ロレックスにとって、いつまでも中途半端な中間層でとどまり続ける日本がメインターゲットではなくなることは、もう必然なのだとしか思えない。

世界がこれから均一的に豊かになっていくことはたいへん難しい。たぶん無理だ。食糧、エネルギー、人口増、宗教的対立など、あらゆる観点から計ってもそれは困難だ。おそらくはどの国もごくごく一部の極端な富裕層(それはもう極端なまでの富裕層)とそれ以外に分かれてくる。それ以外の部分で中間層の割合が高い国は比較的裕福だが、たぶん多くの国は高い割合で貧困層を抱え続ける。そして今やどの国も財政難を抱え、破たん寸前のところもある。

巨大資本はこれから獰猛なまでにパイの食い合いをおこなう。TPPの流れなどはまさにそうだ。巨大資本はこれまで以上に富を吸い上げて格差を増幅させていくはず。そうやって見据えたときにロレックスという企業が向かおうとしている先の風景がぼんやりと見えてくる。間違いなく彼らは将来の活路を見い出すべく、雲上ブランドとして世界中の本当の富裕層へと向き合っていくに違いない(もちろん単なる個人的推測の域は出ない)。

そう考えると、やはり私はついていくことはできないと感じる。私はひとつだけ新型ブレスの6桁ロレックス(116034)を所有しているが、このブレスの堅牢さはチープな5桁とは雲泥の差だ。サブマリーナなども高次元の進化を遂げていることを知っている。6桁は新しいロレックスの始まりだったのだ。

でも、もしいま自分が20代、30代だったらついて行ったかもしれないとも思う。私は金のある人間が高級な時計や車を持つことが悪いなどとはまったく思っていない。むしろどんどん買うべきだし、そうしないと世界は回らない。だが、私個人はもういいやという感じ(苦笑)なのだ。結構他のことで好き放題やってきたし。それでも6桁モデルの新型グリーンサブは恰好いいから欲しいなどという、身も蓋もないことを書いて今回の話は終わり。専門ではない私が書いた今回の話、素人の的外れ文章として笑って読み流していただきたい。

しばらくの間、業務多忙のため更新は滞る予定。ここ東京は昨日の台風一過のあと、空はきれいに晴れ渡り、早くも秋の気配。季節の変わり目ゆえ、みなさんどうぞご自愛のほどを。

ロレックスが向かうのは

ブログの分析というのはほとんどやらないのだが、検索ワードだけはまめにチェックしており、相変わらず圧倒的に多いのは「ロレックス 値上げ」や「ロレックス 高騰」というワード。私は現行品にはあまり興味はないので、正規店をひんぱんに訪問する習慣はなく、従ってロレックスの値上げについて確かな情報は持っていない。それでも新品の値上げや高騰は、古いモデルの価格にも強い影響を及ぼすため関心は強く持っており、以下推測交じりに書いてみる。

私には、事業を成功させたいわゆる成金の知り合いがいる。友人ではない。たいへんリッチな男で、都心の高層マンションに住み、外車を複数所有している。多くの時計を所有するくせにロレックスは一本も持っていないという彼にその理由を尋ねてみると、どこもかしこもロレックスだらけだから持つ気にならないと。出先ではそこらじゅうでスポーツ系ロレックスをはめた人間に遭遇すると言う。そういう時計は買う気にならないのだそうだ。好ましい考え方とは思えないが、本音ではあろう。もう一度書くが友人ではない。

これからのロレックスが目指しているのは、世界中のセレブが満足する本当の高級時計なのかもしれないと推測する。上に書いた知り合いの感覚はまさしく同質のもので、本当のリッチマンにしてみれば、サラリーマンごときが気軽に買える時計などしていられるかの気分。千万単位を時計につぎ込むことに何のためらいも持たない人間というのは、世界中にゴロゴロいるのだ。

私はリッチマンではない。だから想像するしかないのだが、金持ちというものはそれを貧困層や中間層に誇りたいとは思わないに違いない。だが、上流の人々の集まりの中で身につけるものには相当に気を遣うのだろう。パテックやオーデマピゲなど雲上ブランドとはそういう人々のために存在している。貧困層や中間層には、手が届かない時計。それは価格だけの意味ではなく。一般人には欲しいとか買おうとか、そういう風にすら思えない雲の上の時計。ロレックスはそういうブランドを目指している気がする。この見立てが正しいかどうかは10年後ぐらいの世界を見てみないとわからない。

これから世界はさらに極端な二極化に進む。日本もそうだ。それは間違いない。極一部の富裕層と、それ以外に分かれていく。その莫大な富を所有する富裕層を取り込む戦略なのではないか。今年バーゼルで発売された新商品の価格設定を見ているとそう思ったりもする。

300万円のロレックスも50万円のロレックスも同じロレックスブランド、それでは前者を所有する者の満足度は低い。しかも後者の多くは商品を並行輸入で買い、またその価格帯の商品が欲しくなって中古市場に流す。そうするとその次の層によって、少し価格の落ちたロレックスが購入され、それによって至るところにロレックスが蔓延し、前者の富裕層にとっては、ロレックスが自分たちの富にふさわしいものだとは思えなくなる。これまではその図式。ロレックスというグループはそれを変えようとしている気がしてならない。

ロレックスという企業の側に立って考察してみる。彼らが今や世界最高の時計ブランドメーカーであることは疑いようがない。決して雲上ブランドではなくても、その流通量、世界中での認知度、そして品質の高さ、どれをとってもロレックスは世界1のブランドである。だが企業というものは半永久的に更なる成長を目指すものであり、そういう意味で彼らを最も阻害しているのは他ならぬロレックス、つまりいつまでも価値が下がらないロレックスの中古市場ではあるまいか。

正規の新品より遥かに高額で取引されているアンティークロレックスやディスコンモデルの最終品番など、ロレックスというブランドに投入されているにも関わらず、彼らにキャッシュが入らない中古市場の活況など、確かに彼らの側に立ってみると邪魔なだけであろう。

そうだとすると、シリアルの頭から年式が特定できるアルファベットが消えたことも納得がいく。数年後には、アルファベットシリアル時代のロレックスは、少し無理すれば中間層にも買える定価が安くて1.5流時代の代物というイメージになる(のかもしれない)。それ以上に、シリアルから年代が特定できなくなることで、少なくとも中古市場は今とは異質なものとなる。もはや最終品番がどうの、何シリアルの文字盤がどうのという観点は消滅する。ロレックスという企業はそうやって何年も何十年も先を見据えている気がする。

日本におけるロレックスの正規店の締め付けはたいへん厳しいと聞く。ロレックスの品位を守り、デイデイトに代表されるような高額なドレス系を富裕層に販売することをロレックス社は求める。通販や値引きなどは絶対に許されない。webに商品を掲載することすら許さない会社である。今や国内のロレックス正規店は契約を切られて、その数がどんどん減っている。より多くの商品を販売することを主目的とするならば、販路は多い方がよいに決まっている。やはりロレックスという企業はここへ来て、ある方向へ大きく舵を切ったのではないか。

ロレックスが求める格式と実績を体現化しているのが銀座レキシア。機会があれば行ってみるとよい。入店しようとドアに近づくとベルボーイが中からドアを開けてくれる。私はジーンズに白シャツという出で立ちでディーパックを肩にかけて入った。私はそういうことには物怖じしない性格だが、一緒だった連れは入るのを嫌がった。オイスターパーペチュアル116034を探していた頃のことだ。別に侮蔑的な対応はされなかったが、その雰囲気はかめ吉とは大違いである。

値上げが実施されれば、おそらく最も安価なステンレス製スポーツ系ロレックスですら80万から90万円ほどの価格になる。ディープシーやデイトナは軽く100万円を越える。これはさすがに躊躇してしまう価格で、これにより中間層の何割かは脱落するだろうが、実はそこが狙い目なのではないかとすら邪推する。あくまで邪推である。

私はそういう傾向に批判的なのではない。本当の金持ちがロレックスに富の象徴としての価値を見出しにくいのは事実だろうし、ロレックスの戦略もそれほど間違ってはいないと思う。40代になってようやく少し経済的な余裕が出来てロレックスを所有したわけだが、初めて訪れた丸の内の日本ロレックスで、あまりにも普通の人々、それはイトーヨーカ堂や西友にいるような人々(自分もまさしくそうだ)が出入りしていることに驚いたあの感覚はいまだに自分の中に生きている。典型的な中間層である自分などは、どちらかというと例外的存在だろうと勝手に思っていた。だが、所有してから気付くと30代はおろか20代の若者も平気でサブマリーナを左腕にはめている。ロレックスは庶民的な時計だったのだ。

庶民的という表現が違和感を与えるならば言い換える。庶民すべてが時計に興味を持っているわけではないから、時計に興味を持った庶民にも充分に手が届く時計、それがこれまでのロレックスだ。あえて象徴的に書くならば、50万円のロレックス。それが変わろうと、いや変えられようとしている。

これまでのように40~50万円という、多少無理をすれば手が届くブランドではなくなるロレックスとどう向き合っていくか。私やあなたは今確かにそれを問われている。そのことは突き詰めると、ロレックスをどうするかという趣味の範疇におさまることではなく、来たる難しい時代の生き方そのものが問われている気がしている。とりとめのない文章になってしまったが今日のこのあたりで。

雑感

業務多忙が続いており、ここしばらくはブログもおざなり。先ほど書きかけの記事をいくつか読んだが、書き散らかしているので、これをきちんと仕上げるのは結構たいへんだなと認識。仕事が一段落したらにしようと決める。自分が表現したいことは何となくもう自分でわかっており、ブログをやっていなかったら、そのままにしたのだろうが、せっかくここまで書いてきたのだから、それももったいないというか。

毎晩仕事が終わって電車に乗るのが24時直前。平日に家で晩飯を食べたことなど、この15年ぐらい一度もない。それでも最近は電車で帰れるようになっただけでもマシで、以前はほぼ毎晩2時、3時帰宅だった。今は0時に更新されるJFKさんのブログを電車の中で読みながら帰宅するのが日課。ささやかな楽しみである。今夜は旧グリーンサブのV番。こういう発信というのは大切だと思うし、受け取る側としてもありがたい。ライジングタイムさんがくれる新着メールも同様。今日はGMTマスター16710Zシリアルの情報だった。

そういえば、クォークで委託品として売られていたGMTマスターⅡ16710Mシリアルがいつの間にか消えている。買うつもりはなかったくせに無くなると何だかさみしい。自分が知る限り、もう国内ではどこにも売っていない。

東京はここ数日、少し過ごしやすくなった。7年後は東京オリンピック。いつもならそういうことにあまり関心を持たないほうなのだが、ここ数年日本はあまりいいことがなかったから、今回はよかったと素直に思う。おそらく今回は多くの人が7年後の自分というものに思いを馳せたのではないだろうか。少なくとも私はそうであった。7年後も自分が健康で前向きなハートを持って元気に働いていることが大事だなと。そして周りの人たちもまた健康であって欲しいと。こういう発想は年を取った証拠と、書いていて苦笑するが正直な気持ちである。

もう少し涼しくなったら時計を洗浄すると決めている。そんなことがちょっとした楽しみだったりする。

情報の網を張るということ

稀少ものを追い求めるのなら、情報こそ命だと考えており、それは質と量の両方が大事なのだが、それ以上だと思えるのが、やはりスピードである。

前から書いているように、今は購入モードには入っていないのだが、それでも出来るだけ日々情報は集めて、スピード感と精度は磨いておきたいと思っている。

つい先ごろ、超のつく希少時計GMTマスターⅡ16710のM番が売りに出されていたことを把握されていた方はどのぐらいいるだろうか。かくいう私は実は出遅れてしまった。今日はそのことを少しだけ書いてみたい。

最初に気付いたのは質店での買取情報だった。それがここ

情報をつかんだのは、ここに記載された日付けの数日後。当然もう遅いのである。私の経験上、本当に希少な時計は情報がアップされてから、せいぜい12時間ぐらいしか猶予はない。物によっては分単位の勝負だということもある。買取価格が60万円ということは、常識的に考えて売価は80万円台。状態によっては間違いなく“買い”である(例え自分が買わないとしても)。

この情報を得た数分後に、この時計の販売ページを発見するも、案の上売り切れである。このページ。

写真を見ると、当該時計のケースやブレスには結構なキズがあり、程度としてはあまりよくない。例え自分が買う気満々で探していたとしても、ちょっと躊躇するレベルではあるが、貴重な時計であることには変わりない。

どんな時計でも入手の可能性はゼロではない。稀少であればあるだけ、競争率は高く、それをゲット出来るかどうかは、どれだけ情報の網を広く張っているか、そして最も大事なことはやはり入手のスピードだと改めて思ったのだった。今日はこのあたりで。

サブマリーナ5513

下書きには書きかけの文章が大量にあるのだが、盆明け以降仕事が忙しくなかなか推敲する時間がない。少し更新が滞るかもしれないことをお詫びしておきたい。

私にしては珍しく4桁の新着情報を一点だけ。

私は基本的には4桁アンティークにはいかないことを決めているし、眼力も養ってはいないのだが、ギャランティーも付属するこの個体はとてもよく見える。

インデックスと針の焼け具合もいいし、それでいて全体的な状態は30年以上も前の時計とは思えないほど良好に見える。付属品も残っており、所有者が大事にしていたことが伝わる。ちょっと心が動く。一応紹介をしておきたい。 サブマリーナ5513

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