久々の更新

久々の更新。しばらく書かなかったのは、特段忙しかったからというわけでもなく、ちょっと思うところがあってロレックスから離れてみたのだ。離れるというのは具体的には、夜な夜な時計ショップのHPを巡回しないこと(JFKさん等いくつか例外はある)と、ebayやヤフオクで時計を検索しないこと、自分のブログ更新をさぼること、その程度のことではあるのだが、そうしたらまるで流行風邪が治ったかのような、妙に清々しい気分であったことは書いておきたい。

ロレックスにハマるというのは、それを使い込むことで深まっていくのではなく、多かれ少なかれ購入依存傾向に陥っていくことなのであろう。少なくとも、この2年間の私はそうであった。

冒頭に書いた“ちょっと思うところ”について書いておく。昨年末に、その時点でターゲットとした時計はすべて手に入れたという感覚を持った。それは、GMTマスターⅡ、シードゥエラー、旧エクワンであり、もうこの3種をすべて入手したことで、自分の中の達成感は満たされたということである。特に最後のエクワンは500円玉貯金によるあまりにも遠い道のりだったことで、さすがにひと息ついたということ。

だが、ご多聞に漏れず私は次なる道をごく自然に考えた。驚くほど自然に湧き出たのだ。デイトナや金無垢、他の雲上モデル、アンティーク…、こういう道筋があるのだということを知った。事実そういう人は多い。私もそれぞれにそれなりの魅力を感じることは否定しないし、別にそれらに蓋をすることもないが、あえていま身を投じることもないと考えた。自然体でいいではないかと。内なる小さな欲求をあえて増幅させることもあるまいと。今はこの充足感を味わおうと。

というわけで、年末から私はオンはシードとエクワン、オフはGMTを使い回した。楽しいか?いや面倒である(苦笑)。私はおそろしく不精であった。薄々感じてはいたが、ここまでとは思わなかった。止まった時計の竜頭を巻き、それから時刻を合わせるのがもう面倒で面相で仕方なく、そうか私は不精だからコレクターだったのかと思うほどである。前に書いたように、感覚的にワインダーも苦手。どうやら私には普段使いは精々2本が限界のようである。それと恥を忍んで書くが、私は秒針が0秒のときに分針がぴったり来ないと駄目な細かい性格である。はっきり言って、こういう男はモテない。

というわけで、基本的にシード。たま~にエクワン。それでもってGMTはまた時計ケースに戻った。まあ何事も自然体でいいかと思う。その内、また心境の変化も起きよう。

最後に、いまebayでGMTマスターⅡ16710の最終M番が出品されており、ギャラ無しだが60万円というお買い得価格でとどまっており、あと2時間ほどで終了する。ちゃんと見てるじゃないかというツッコミはなしで。

寒い日が続いているので、みなさんご自愛のほどを。
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エクスプローラーⅠについて

前々回、ここでエクスプローラー1016のことを書いた。あの後、つらつらと考えたのだが、私はヴィンテージロレックスについて、まったくと言ってよいほど知識を持ち合わせてはおらず、例え買う予定がないにせよ、いやないからこそ、少しだけ調べてみようと思い至った。曖昧な欲望ほどたちの悪いものはない。心や気持ちのぼんやりとした有りようを言語化することは、このブログの目的のひとつだ。

あの記事で微妙な書き方をしたように、私は生産初年度の1016について淡い興味がある。まあ正直に書けば欲しいという気持ちがややある。だが、“欲しい”と“買う”の間には明確な境界線があって、欲しいから買うという、まるで架け橋を一気に渡るようなことを私はしない。欲しい物すべてに手を出していたらキリがないし、そういう生活は好きではない。だから関心があるからといって、「おっオイパペの次のターゲットはヴィンテージか」などとは思わないで欲しい。いま私は欲しかったいくつかの時計を入手し、それらで充足しているし、まだ使って日も浅い。これまでもこれからもヴィンテージロレックスに手を出すことはない、多分(心もとない)。

古い時計については、まず維持の問題がある。ロレックスでOHを受け付けてもらえないという類で、実を言うとそのことは私にとってはさほどの障害にはならない。信頼できる時計屋さんを探せばよいだけのことだし、日本ロレックスにしか優秀な技術師がいないなどとはまったく思っていない。

それよりもやはり私にはその真贋を見抜く眼力と知識、そして経験が決定的に不足していることが問題である。ガッチャやリダン(すべてを否定するわけではない)を正しく見抜くことができない以上、手が出しづらい。それと、身も蓋もない書き方になってしまうが、古い時計がいいとはあまり思っていない。機械は新しい方がいいに決まっている。それが前段。

サブマリーナもGMTも、いや他の多くのモデルではなく、なぜエクスプローラーなのか。私はシード好きであり、GMT好きであることはここで書いてきた通り、それは間違いではないし、実際に1本だけ残せといわれたら、迷わずシードゥエラー16600なのだが、自分自身の本音の指向とでいえばエクスプローラーなのである。私はやせっぽちだし、シンプルな時計が好きだし、時計にデイトは要らないと思っているし、クロノグラフもそのデザイン性はともかく、実用においては不要と考えており、そういうあれやこれやを追求していくと、どうしてもエクワンにたどり着いてしまう。シードはやや背伸びしたモデルなのだ。

個人的なことだが、もう少し書く。私はロレックスというのは、いやロレックスに限らず男にとって時計を身につけるというのは、時間を知る道具としてではなく、また単なる自己満足の結果でもなく、むしろささやかであっても自己表現だと思っている。それはファッションや装飾品にに近いが、そういう表面的なことだけではなく、ロックが好きだとか、フォトグラファーのロバート・キャパをリスペクトしているとか、うまく言えないが、生き方のようなものだと、多少大げさだがそう思っている。だからこそのシードだと自己分析している。

だがどれだけ憧れても誰もがキースリチャードではないし、沢田教一にもなれない。しかし、街でゲバラやボブマーレーの顔がプリントされたTシャツを着る人を見ると、誰もがそういった人のような生き方ができるわけではなくても、男がそういう憧れや矜持を持って生きることは大事だと思う。尊敬する文豪と同じ万年筆を所有して仕事にいそしむ友人がいるが、彼もそうであり、私のシードもまた同じ。このごつくてハードな時計が体現化する何かに私は(それがないからこそ)憧れ、そして同じ理由でそれを愛する。

だが、エクスプローラーという時計は何も喚起しない。たいへんおこがましいが、これは数あるロレックスモデルの中で最も自然につけることができる時計であり、値段云々ではなく、この、時間を示す以外に何の機能も持たない小さくシンプルな時計は私の身の丈に合っていると思える。キムタクさえ着用しなければ。

私は1963年に生まれた。エクスプローラー1016が発売されたのもその年(異説有り)。ビートルズやボブディランが正式にデビューした翌年のこと。また東京オリンピックの前年である。日本がまだそれほど豊かではなく、舗装された道路も少なく、三輪バスなどが走っていて、家にはモノクロテレビしかなく、エアコンもなかった時代。まさに「三丁目の夕日」の世界。そこから日本は飛躍した。不肖私にもいろいろなことがあって、とにかく半世紀を生き抜き、そして去年のこと、何となく自分とともにこの歳月を生きた時計を持ちたいなあと思っただけのことである。ああ長くなった。

エクスプローラー。調べてみると、この時計の歴史は、その10年前である1953年頃に始まる。ここでref.5500が出てくる。このエアキングと思えるナンバーの時計は、エアキングを下敷きにエクスプローラー仕様にリダンされたものなのか、あるいは正規に(英国でのみ)エクスプローラー・ボーイズとして発売されたものなのかはよくわからない。この5500は手元の資料によれば、cal.1520-1530となっており、その後同じムーブメントで5501,5502,5504と続く。そしてcal.A296搭載でref6098-6150,6928-6350となっている。6350あたりがエクワン初代という位置づけが一般的のようであり、6150が次モデル、そしてcal.1030を搭載した6610が第3世代か。この6610は金色のインデックスとお馴染みのベンツ針。文字盤はミラーダイヤル。

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エクスプローラー初代 6350

この時期のことはよくわからない。ここで書いておくが、私は知識をひけらかしているのではなく、情報をひろいながらここでまとめているだけなので、くれぐれも質問はしないでいただきたい。ここに書いた以上の知識は持たない。要約すると、1953年頃に今のエクスプローラーの原型のモデルが発売され、それは5か6から始まる4桁のrefで、1016が発売される1963年までの10年の間にいろいろと試行錯誤を繰り返しながらエクスプローラーの歴史が継承された。まあ混乱の創世記であり、諸説あって正確なことはわからないし、私もさほど興味はない。

ただ忘れてはならないのは、1953年にニュージーランド出身のヒラリー、チベット出身ノルゲイらによって為されたエベレスト登頂がこのモデル開発に大きく関わっていて、この登頂隊に時計を提供したとかしないとか。本当にロレックスが提供した時計を彼らが使ったかどうかはわからないが、ロレックス社はこのことを大きく喧伝し、エクスプローラーが発売され、大いに人気を博したという。ちなみにエクワンは登山者、エクツーは洞窟の探検家用モデルとのこと。エクツーの初代は1972年の1655。

そして1963年。ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」の大ヒットで幕開けしたこの年のどこかでようやくエクスプローラーⅠ1016が発売されたことになる。ついでに、すいませんって感じでこそっと私も生まれた。ご存じのように、1016はハック無し、有りで前期後期とわけられている。キャリバーは前期が1560、後期が1570。インデックスはすべてフチ無し。初年度の文字盤はミラーダイヤル。下記がそのモデル。とっくにSOLDだが、掲載された日、私はほんの少しだけ、心が動いたことを書いておく。1016/1963年

1016 についてはここまで。エクスプローラー全般についてもう少々。GMTは空をいくパイロットにとって、それが商用だろうと軍用だろうと、時間を知るために必要な道具である。海を潜る潜水士にとっても、水中にいられる時間には限りがあり、やはり道具としてのシードやサブの意義はわかる(日付は絶対に要らないと思うが)、レーサーにとってのデイトナもまた、時速200kmで突っ走ってさすがに時計を見る暇はないだろうが、それでも意義はわかる。彼らは時間と戦い、時間とともに生きているからだ。そういった極限に生きる者たちを見据えて開発をおこなってきたはずだ。例え使用するのは一般人だとしても。

だが、エクスプローラーは違う。未知の領域に挑む者の役には大して立たない(というのが持論)。未知の頂き、未知の世界を切り拓く者たちに必要なのは時間ではない。時計は在るだけである。人の腕にともに在るだけである。邪魔にならないように小さく、だが頑丈でシンプルな何か。だからデイトは要らないし、華美である必要も、デカくてゴツイ必要もない。ただただ小さくシンプルで控え目に、だが頑丈でなければならない。中身は強くタフでなければならないのだ。まったくもって、身の丈というのはそういう意味である。

私は飛行士でもレーサーでも潜水士でもない。これを読んでくれている方々も大抵はそのはずである。だが私もあなたもエクスプローラー(冒険者)である。人生におけるそれぞれの頂きを目指す冒険者なはずである。私がこの時計を愛する理由はそこにしかない。下手で冗長な駄文にお付き合いいただき感謝。今日はこの辺で。
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