ロレックスの偽物を買うということ

今日は仕事で新宿へ出る用事があったので、少し足をのばして中野へ。正味30分程度の滞在。ある古い時計の「トリチウム針の夜光修正」というものがどんなものかこの目で見たくての中野行きだったのだが、ガラス越しではなかなかわからなかった。古い時計について知りたいことがたくさんあるが、実践することはなかなか困難。どこかでヴィンテージ時計についての講習会でもあれば喜んで参加するのだが。

目を養うにはヤフオクも侮れない。これモノホン?と言いたくなる個体の出品も多い。サブ系の怪しいのはだいぶ見抜けるようにはなっている。それもこれだけ多くの個体を見て回ったお蔭かと。それにしてもヤフオクでは、偽物、パチ物、フェイク品、どれも同じ意味だが、それらがあまりにも多い。いわゆる「タイプ品」として堂々と売っているやつである。曖昧で卑怯な表現。ただの偽物である。偽物は出品する者も買う者も駄目。場を提供して野放しにしているヤフー(利益はしっかり取っている)も駄目というのが私の持論。

決して大げさではなく、意匠権や著作権に対する意識の高低はすなわち文化レベルの差であり、アジア諸国がどれだけ経済的に発展しようと、はっきり言うがまだ二流の後進国でしかない。周辺国がどれほど巨大になろうと私はたじろがないし、日本人が自信を失う必要もないと思っている。国家の本質は貿易収支やGDP(国内総生産)だけで測れるものではないから。ルールを守る、他人を信じる、優しくする、約束を守る、順番を守る、お礼を言う、自分の意見を持つ&他人の意見にも耳を傾ける、他人の所有権を認める、嘘をつかない、そして“目に見えない他人の価値を尊重する”…。国民のあらゆる局面におけるレベルの高さが伴ってこその先進国。海賊版が横行する国など二流以下の発展途上国でしかなく、そんな国からは人のこころを豊かにする芸術や文化など絶対に生まれては来ない。あっても所詮フェイクだ。

これ以上続けると今日もまた絶対に長くなる。中途半端だが今日はここまで。タイトルは「ロレックスの偽物を買うということは」としたが、それに続く答えは各々がご自由にどうぞ。「あなた自身が偽りである」とか、単に「ダサイ」とか、あるいは「女にもてない」とか。明日から師走。そして週の始まり。引き続きご自愛のほどを。
スポンサーサイト

アベノミクスの今だからこそ

前回の記事で気持ちが落ち着いてしまい、ここ数日は時計から離れていた。今日久しぶりにネットで各ショップを訪問して、その高騰ぶりに思わずウムムムムと。益々騰がっているではないか。デイトナのP番が200万近いって、これはリーマンショック前に近づきつつあるわけで、では我々の暮らしぶりはどうなのか。よくなっているか。金融緩和による円安誘導、それによって躍進した輸出企業などどこに存在するのだろう。明らかに政策ミスだと思うのだが。週末だった昨日深夜、都内繁華街ではタクシーは空車だらけ(景気のバロメーター)だった。

まあ政治の話は置いておくが、こうやって並行価格が上がると中古やヴィンテージ物も上がっていくわけで、実は一番ワリを食っているのは、それほど金満ではないロレ好きたちである。うなるほど金がある者にとっては、時計が20万、30万騰がろうがどうってことはないし、たぶん100万円の時計がいきなり150万円になっても気にしない。我々とは生きている土俵が違うので。だが依存症的な中産階級のロレ好きは、価格が上がろうがやはり手を出すのだが、それは気にしないのではなく、すぐに麻痺してしまうから(私も)。欲望の発露はそうそうとめられるものではない。

つい数ヶ月前まで110万ぐらいの16520A番が、今はジャックさんあたりで130万円台後半。GMT16710だと10年落ちでも60万円近くまで上昇している。多くの人の心理にあるのは、この先もっと騰がるのではないかという思いだろう。欲しければ買う、それはそれでよいと思う。問題は心底からなのかどうか、そこは自らに問うたほうがよいと、こんな高騰状態にある今だからこそ私は強く強くそう思う。

何度も書いてきたミルガウス1019というモデル。250から350ぐらいの価格帯。心底欲するのであれば、私は色々な物を売り払ってでも金を作り500万の値付けでも買う。私はそういう人間。だが、そうしないのは心底欲しいわけではないから。出来れば欲しい時計という位置づけ。その上で私のあの時計への価値としてはせいぜい120万ぐらいである。1019のプレミアム価格はこのモデルの生産数の少なさによるものであり、そのこと自体は私の預かり知らぬことであり、私のこの時計へのvalueと実勢価格に差があり過ぎるので私は買わないだけのことである。そうやって、私は自分の欲しい個々の時計への自分の値付けをある程度は持つことにしている。

欲しいモデルではないが、ディープシーというモデルはあのスペックを考えると今の定価でも(私は)納得する。130ぐらいまでなら出すと思う。現行デイサブで70万円、新シードで80万円。デイトナなら100万円。これが現行新品への私の価格感。何度も書くが、それが心の底から欲しいモデルなら、3倍の値付けでも買うということ。正しいとは思っていないが、世の流れに流され過ぎないよう、自分の軸としてそういう感覚を持つようにしている。

先日、ある人から尋ねられて奨めたのは5桁16610デイト付き黒。数が多かったせいで変なプレミアも付いてはおらず、比較的いい値段(50万円台)で買えることと、多くの個体から選べる選択肢の広さが魅力的。ノンデイト14060Mよりもここ数ヶ月の上昇度は落ち着いているように思える。やや古いシリアルで程度のよいものを安く買って、すぐに日ロレOHが鉄板かと。アベノミスクによる価格暴騰のいま、私のおすすめロレックスである。

私はひとつだけ、いつかはと思っているモデルがある。それについて書くことはしない。赤シード?225タキ?手巻きデイトナ?極上ミラーダイヤル?フフフ、誰だってライバルは増やしたくないべさ(なぜ訛る?)。ギャラ付き&状態よしで350までなら出す。が、堂々と書くが今はそんな金はない。幸い私の細かい条件に適うブツも出ていない。ないないづくし夢と憧れのモデルとして、今は手持ちを楽しみながらコツコツと金を貯めようかと。10年以内に買えればいいべさ。

新しい扉の向こう側

私の胸中にはロレックスという若い頃にあれだけ忌避していた高級ブランドを愛好することに対する強い嫌悪感がある。なぜわざわざ40代(当時)になって、そのブランドに魅かれるようになったのか、何度も書いてきたが、その言葉にし難い曖昧な自分の心の有り様を解き明かしていくために私はこのブログを始めた。だが私はかなり早い段階でその答えに思い至っていたことをここに告白しておく。少なくとも私にとっては実にしょうもないものであり、違う意味を見い出したくて思考を重ねてはみたものの、心中にあるものはやはり実にシンプルな何かであった。おそらくは皆さんと一緒だ。

我々は自分ではコントロールしがたい様々な欲望や自尊心に縛られている。人より多少は自由に金を遣える立場であったり金銭的余裕があることであったり、書いていて唾棄すべきようなことだが、それを否定したり、見て見ぬふりをしたら、もうすべてが嘘くさくなる。私の中にもそういうものは巣食っている。私は何か月も前にそのことは認めざるを得なかった。それなりの金があって(大した額じゃないが、それでも若き頃に比べたら大違い)、ロレックスを購入&所有することでそれを自己確認している。そこには自儘な陶酔や優越感や自己満足があることは認めなければならないし、たぶん私はもうそこから自由になることはできない。

大げさと思われてしまうだろうが、敗北感や裏切りにすら近い感覚を伴っての決意として、私はそれを自分に許そうと思った。だが、それならば100万円もの金をかける自己表現と満足のこの時計は本当に愛すべきものでなければならないとも思ったのだ。本当に好きな時計なのであれば、私は下らない心の有り様も全部ひっくるめて受け入れていこうと。うまく書けてはいないが、私は何か月か前に心からそう思うようになった。

本当に心から自分が愛する時計…。そこにどんないびつな自己愛や自己満足があろうとも、そこは極めてやろうと。暴走する欲望を抱えたまま、その欲望の向こう側に突き抜けてやろうという思い。もはや苦行僧の如し。

実は大して好きでもないのに、もっと変な観念に縛られてで何十万、場合によっては百万円もの時計を依存的に買い漁ったり、無駄に複数所有したりすることはやめにしようと思い、私は本当に自分が愛することのできる時計を求めたいと思った。観念としての時計から、リアルな時計へ。本質に迫ること。不要な観念を取り除いていくこと。ロレックスにはとても多くの曖昧な観念が、大きな市場を形成していることに気付く。FLAT4だ、マーク1だ、最終シリアルだ、200タキだ、リセールヴァリューだ、そういうものと向き合い続けた自分がいる。それらをすべて否定するのではなく、自分は何を求めるのか。

エルプリデイトナのPやAがどうだというのもまたそうである。これは最終かそれに近い時計であるということを示す記号でしかなく、ロレックスというリアルな時計の本質からは遠い。GMTマスターⅡ16710のMも然り。エルプリというムーブメントも私にとっては観念でしかない。見たことも触ったことも、そもそもその優劣を実感したことさえないし、ゼニスという会社の歴史についてもよく知らない。誰かに「ゼニス社のエルプリメロ搭載の貴重なデイトナ」と言われれば、何だかそれらしく思えてくるが、突きつめれば実体のない観念でしかない。 もう一度書くがそれらをすべて否定しているのではない。それらが本当に自分にとって価値あるものなのかどうか。

私は価格コムの掲示板で「正規店に電話しまくってもデイトナが買えない」と嘆く人の気持ちがさっぱりわからなかった。欲しいのなら、ちょっと追い金出して並行店でさっさと買えばいいではないかと。ジャックロードに行けば、ずらっと並んでいる。並行品のギャラだって記載の日付から2年間は有効なのだ。どこで買ってもデイトナはデイトナである。だが、考えてみるとこれもまた形こそ違えども、時計の本質とは遠い観念の世界ではないか。せっかく高い金を出して憧れのロレックスを買うのだから、きちんと正規店でアメックスあたりをさっと切って颯爽と買って、ハレとケでいうところの“非日常”を体験したいとか、マイネームギャラにこだわりたいのだとか、そういうことなのだろうと。

ロレックスはやっかいである。人のこころを鏡のごとく映し出す。だが本来時計はあくまでリアルな時計なのに、観念でしか捉えられないなんて、あくまで個人的感覚として(そして自分自身の問題として)、下らないと心底思った、割と最近。 観念で女に惚れるようなものだ。

本当に好きな時計…。それを探す旅がここ数か月のヴィンテージだったということ。始まりは以前アップしたエクスプローラーについての記事。当時は調べていけば行くほどに私はこのブランドに本気で魅かれていった。レーサーや登山者、冒険者、深海の潜水士など、それこそ命をかけて何かに挑む男のための時計というコンセプトを精神的支柱においたロレックスだ。第二次世界大戦のあと、豊かさに向かって先進国が懸命に進んでいった時代や当時の人々とともに歩んだこの時計を私は愛した。私もそうありたいと思って生き、働いた自負が少しはあるから。ロレックスは頂きを目指す男のための時計。私のヴィンテージロレックスへの憧れは、こういう思いが下敷きとなっていたことを書いておく。 このエクワンや前のデイトナ(エルプリ)、そして古いサブの記事を書き連らねていくうちに、そのヴィンテージの世界にこそ自分が本当に好きな時計があるかもしれないと思った。

だが、古き良き時代のロレックスに少年のような純粋な気持ちで憧れながらも、ショウケースに並ぶ現実の古びれた時計に抵抗感を抱く私はまたしても悟ってしまったのだ。ああ、ヴィンテージもまた(私にとっては)観念であったかと。ふりだしに戻されたような気持ちになった。確かに一旦は。

だがそうではなかった。冒頭に書いた虚飾を正面から認めたことと、おそらくはヴィンテージをくぐったことで、私の中の何かが変わったのだと思う。大した時間はかからずに答えは簡単に出たのだ。私が本当に求めるもの。実にシンプルなこと。デザインしかない。どう突き詰めてもデザイン上の好き嫌いしか私にはない。4桁も5桁も関係ない。そして時計はきれいなほうが好ましい。この2つだけ。シンプルであった。ふりだしに戻ったようで、実は戻っていない。この3年間、私はこのブログに長々と書き連ねてきた思考があり、惑いに惑ったがその上での極めてシンプルな結論だ。性能もスペックも関係ない。 「新しい扉」の記事で書いたのはそういうことであった。

前回書いたように。2本を手放した。最初の一本は今回書いた自分の気持ちに素直に従ってのことである。憑き物が取れたかのようにあっさりと決意し、懇意にさせていただいているお店に引き取ってもらった。そしてもう一本はひょんなことから友人とトレードした。手放した時計については、ある自分の決め事に従い、具体的なモデル名は伏せさせていただく。引き取ってもらったお店の都合もあるし、これから買う人もいるわけで、少しの気遣いぐらいはすべきという思いと、それ以上にそこまで晒す必要もあまり感じなくなったので。友人とトレードして得たのは1973年製赤サブ1680である。記事を読んだ古い友人からのメールがきっかけであった。ちなみに私の実生活における人間関係で4名ほどがこのブログの存在を知っている。その内のひとりである彼から「たぶんおまえが望むヴィンテージロレを持っているが見に来る?」のメールが来たのは、ちょうどリリースする時計をお店に送って金額の提示をもらった日の夜で、翌日曜日、手土産の「百年の孤独」をぶら下げて彼の自宅へ。たくさんのコレクションの中から彼が取り出したサブマリーナデイト1680。そう、まさにこういう時計。 ビンゴである。

1973年製1680の文字盤はざらっとややグレーがかってひび割れもなく美しく、そこにダイレクトに赤く印字されたマーク5。トリチウムインデックスは焼けが少ないオフホワイト。針はやや焼けと錆びはあるものの、文字盤とのバランスは保たれており、ルミナスもやはり光らないトリチウム。そしてマーク3のオリジナルベゼル&9315の巻きブレス。41年前のオリジナルを奇跡的に保った逸品であったが、ギャラは無く、ケースも裏蓋も傷だらけ、ブレスは伸びまくりである。

譲ってもいいよという言葉の後に提示された価格は実勢の7掛けぐらいであろうか、いくら彼が何十個もの時計を所有するリッチなコレクターだからといってこんな値段でゆずって貰うわけにはいかない。市中価格で購入させてもらうか、あるいはとも思い、私の所有とのトレードを申し出た。「ああ、いいね、それ。で何持っていたっけ?」

旧エクワン114270だけは断った。島流しに遭った時に持っていくことに決めているので、この時計だけは手放せないし、そもそも安すぎて価格が釣り合わない。スマホに収めてある他の時計たちの写真を見せると、まあたぶんこれだろうという時計を。ああいいよ、いいよと。貴重なブツが消えることになるが、こういうことは躊躇したら駄目。行くときゃ行け!今回は頭の中にあの警報は鳴っていない。2時間後に持って来るよと。早い早い。彼の気持ちが変わらないうちに。私の気持ちが変わらないうちに。 お互い追い金なしの物々交換。

1680。文字盤と針の焼けは薄く、表面の状態は文句なしだが、前述のようにケースは傷だらけでブレスは伸びまくり。ブレスを外し、裏蓋も外すと、そこはもう錆びだらけ。好きなデザインはともかく、きれいなほうが好ましいのでは?いや、これで良い。実は理想的だった。オールニューするから。自分がたどり着いた結論に従えばそうなる。これが私の自分への証明であった。赤いラインだけは交換が効かないので、ここだけはキープ。あとはすべて新しくする。 オリジナルへのこだわり?ない、ない。私にはない。

翌々日、私は珍しく早起きして仕事前にロレックスに持ち込み、顔(文字盤・ベゼル・針)以外、すべてのオールニューを依頼した。文字盤が強制交換ならば、グダグダごねずに別の手段を使おうと決めていた。経緯については書くのが面倒なので端折って書く。顔についてはすべて交換無し。ただし作業中の不具合次第で有償交換という条件を飲んだ。ここは日本ロレックスサービスの腕を信じるしかない。

閑話休題。日本ロレックスでのOHについて。私は古いデイトナを知り合いの代理でOHに出したことがある。そのことも下書きにはあるがまだアップしていないのだが、そのときのやり取りでいろいろと感じたこと、経験したことがある。彼らには彼らの厳然たるルール(決め事)があるのは確か。だが彼らはこちらの話は真摯に聞いてくれる。勿論こちらも真摯に話す必要はあり、それは熱意とかそういうことではない。彼らが受け付けられないものを出しては勿論駄目であるが、彼らが避けたいのはやはり作業中の事故と、引き渡し後の不具合の発生だと私は思う。トリチウム夜光が飛び散ってムーブに侵入すること、針が折れる、針の錆が他の針に干渉する、はめ込み時にベゼルが割れるなど。デイトナOHの記事はどこかの機会でまた。

さて1680に話を戻す。オールニューはOHが条件とのこと。従って見積もりは通常のOH代金に、ブレス(93150)、ミドルケース、裏蓋、リューズ、プラ風防、クリスタルリング、これらの代金がプラスされトータル費用は30万強(むむむ)。パーツはスイスから取り寄せるので期間は3~4ヶ月とのこと。わずか2日で暫しのお別れ。私なりに長い時間をかけて、ようやく自分なりに到達したひとつの理想的な形を一気に行動に移せたこと、うん、これでいい。思考ばかりを巡らせていてはいけない。

改めて備忘録として。私がロレックスを選ぶ基準はデザインだけである。そして時計は新しく、きれいなほうが好ましい。自分が心から好きな(デザイン)の時計がディスコンならば、それが比較的最近の5桁ものならば最終期のものを、古い時計ならば、全部オールニューで。こだわりの部分は残せば良い。私がこだわるのはfaceだけだ。2本の時計が去り、1680は入院、実は他の手持ちも不具合で入院中なので時計ケースの中がやけに寂しくなった。だがなあ、これでよいのだ。スカスカの時計ケースは、多くのものを削ぎ落とした私の心の何かを象徴しているかのようで、多少寂しくはあるがすがすがしくもある。時計が帰ってくるのは来年。その遠さが妙に心地よい。それが私の新しい扉、そしてその向こう側である。書けた~。
1680入院前

小休止

前々回の記事で私は結論めいたことを書いてはいるものの、実は本当の結論に触れていない。そのことをこの週末に書こうとも思ったのだが書けなかった。ボヨ~んと温泉に浸かっていたのだ。やや仕事も行き詰っていたので小休止。さすがに時計のことは考えなかったというのが正しい。最近は年をとったせいか、季節季節の移ろいがいとしくなり、桜や紅葉など、できるだけそういうものに触れたり、目にする機会を作るようにしている。

先月2本の時計をリリース。1本は懇意にさせていただいているお店に引き取ってもらい、もう1本は知り合いとトレード。その両方ともやはり前々回の記事に深く関係している。次の週末までには、前々回に書き切れなかった内容に言及したいと考えているが、さてさて書けるだろうか。

思考よりも言葉よりももちろんブログよりも、やはり行動が先であった。

114270morning.jpg 
早朝、ひなびた温泉宿の縁側で紅葉を眺めながら with explorer 114270

114270の駒数、その他について

相変わらず114270についての調べものでここを訪れる人が多い。このブログで冗談半分にキムタク効果?などと書いてきたが、実際にはスポロレの多くが中古でも軽く50オーバーしてしまう中で、まだ50万円以下で買えることがエクスプローラー人気の要因かもしれない。そう、ロレックスは昔からちょっと無理をすれば手の届く正しきブランドであった。エクワン、エクツー万歳。新型シードが100万円、GMTペプシが400万円近いなど何かの悪い冗談のようである。

「214270との比較」、「ブレス駒数」、「36mmは小さいか」、などという検索ワードが多い。私がこのブログを続けているいくつかある理由のひとつは、かつて私が恩恵を受けたように、これからロレックスのことを深く知ろうとする人の一助になればよいなという思いがあるから。ロレックスブログには購入報告や写真メインの記事が多く、意外と時計の細かいディテールに触れているブログやアーカイヴ化している所は少なくて、当時は苦労した思いがある。大それたことは考えてはいないが、こんなブログでも何らか人の役に立てるのならば、ダラダラと長い文章を書く甲斐が少しはあろうというもの。

さて、その旧エクワン114270。色々と使ってきて、気持ちの変化も多々あったが、私は手持ちの中でこの114270だけは将来に渡っても手放さないと決めている。そんな私からの注意点(笑)。古くからこのブログを読んでいただいている方には繰り言になるが、更新も100を超えて、新しい訪問者たちも最初から全部は読んでいられないだろうからご容赦を。このモデルはブレスに問題がある。といっても6桁に比べたら中空でちゃらいということではない。114270の6時側の駒が5つまでしか減らせられないため、バランスがとても悪い。駒調整は一切しなくても大丈夫というぶっとい腕の人にはよいが、36mmのこの時計を選ぶ人は比較的腕が細いのではないかと危惧してのこと。クラスプが手首の内側に来た際に、6時側に5つの駒だと長すぎて時計が手首の向こう側に流れることになる。これは旧シードゥエラー16600も同様である。元々コロンとしてバランスが悪いので、こちらの方が重大問題(サブは4駒半でほぼ問題無し)。

これを根本的に解決するには駒カットしかない。6時側から5つめ4つめの外せない駒を切断して外してしまうという大手術である。これだと収まりは良くなる。事実、エクワンやシード5桁では、たま~にだが6時側が4つしかないものが、その記述無しに中古で売られている。意外と気づかない盲点だが、これは一度やると絶対に元には戻せない。

私はこれまでブレス駒調整、ブレス外し、ベゼル交換、裏蓋開封まで大胆にやってきたが、さすがに後戻りの出来ない駒カットには抵抗があり手を染めてはいない。いや後戻りへの抵抗ではなく、もうちょっと違う何かへの抵抗感。

旧エクワン、シードともお奨めはブレスの逆付け。これでも6時側は最短5駒だが、クラスプの位置を一番奥にすれば、実質的に4駒程度になり、私のように15.5cmの細腕でもひじょうに収まりが良い。前に撮ったシードの逆付けの写真があるので再掲しておく。これは付け替えた後の写真で、画面上の5駒が本来は写真下の6時側に来る。上の4駒目が外せないことがわかる。
シード逆づけ2

クラスプを収納するとこんな感じ。腕にしたときに、やや顔(目線)の方向を向くことをわかってもらえると思う。
シード001
写真はともに16600

とにかく、腕が細い人は購入前に装着させてもらうことを強く奨める。丁寧なお店なら駒を調整して着けさせてくれると思うし、自分でブレスを外して逆付けする自信のない人はそのことも頼んでみればよいと思う(ただし購入前提で)。せっかく購入したのに、その時計にストレスを感じながら使うはつらいことである。私も最初の頃、通販で時計を買ってから悩ましい思いをした経験がある。旧エクワンは、このブレスの問題さえクリアすれば、シンプル・イズ・ベストを地でいくすばらしい時計である。デスク上に置いたら地味以外の何物でもないが、腕に乗せたら別物、とても精悍な何かに豹変し言葉にできない輝きを放つ。嘘ではない。私はいつもそう思う。ため息をついたことが何度もある。個人の感性の問題だとは認識しながら書くが、おそらくは時計として究極的なデザイン美に到達しているのだろうとまで感じている。この時計だけはショウケース越しに眺めても良さはわからない。私も最初はわからなかった。

新型(214270)との比較は好き好きであろうかとも思うが、個人的には新型はトータルバランス(針のサイズ、文字盤とブレスとのバランスなど)がやや悪いと感じている。何よりもこれだけシンプルな3針デイト無しデザインの文字盤なら、旧型のサイズ(36mm)のほうが私には絶対的に好ましい。

シリアルは2001年のPから始まって最終が2010年のG&ランダム。その前の14270でも中身は大して変わらないが、デザイン上の大きな変化がないので、114270の選択でよいと思われる。とても売れたモデルゆえ、選択基準は個体重視でよいかと。

最後に、私はこのモデルを、スポーツ系のスピリットは持ちつつも、ドレス系と認識している。私の時計ケースの中でいつもひっそりと地味に佇む。寡黙で控え目、そしてやや小柄。だが実は一番男らしくて勇気がある。そういうイメージ。今日はベタ褒めしたが、このサイズのスポロレは本当に貴重。最初のロレックスに選ぶ人が多いらしいが、私は最後のロレックスとして残す人がこれから多く出てくると思っている。これは私なりに最大の褒め言葉。今日はこの辺で。
プロフィール

オイパペ

Author:オイパペ
ロレックスとともに

カウンター
最新記事
リンク
検索フォーム
PR
カテゴリ
最新コメント
月別アーカイブ
RSSリンクの表示
QRコード
QR