たまには更新する

久しぶりの更新。毎日訪問してくれている人が一定数はいて、日々申し訳なく思っていた。この間、何をしていたかというと、真面目に仕事をしていた。こう書くと身も蓋もなく、まあ当たり前のことではあるのだが、24歳から働き始めて20数年間、今までで一番多忙となってしまい、自宅に帰れない日も珍しくない状態。中野にも今年に入ってからは一度も訪問できず、もちろん九州のJFKさんにもご無沙汰のままである。

時計はたぶん今年に入ってからひとつしか使用しておらず、残りはすべてケースの中でスヤスヤとお休みされていて、時計オタクにはあるまじき振る舞いとは思いつつ、はっきり言ってとっかえひっかえは面倒である。いつか「使われない時計はかわいそうではない」の力作原稿をアップしようとは思うが、私は自分が時計を使い回さないことで非道だとはまったく思っていない。実用品としての時計は本来は一個あれば(私は)じゅうぶんであり、そう考える私が複数持つのはただの煩悩でしかないと考えている。使い回すことで、「ゴーン、ゴーン」の除夜の鐘の音とともに私の煩悩が消えていくわけでもあるまい。物はしょせん物。心はない。ずっと長い期間、借り手のない空き部屋はかわいそうか?かわいそうなのは家賃収入がないオーナーだろう。もう何年も使用していないアナログプレイヤーでレコードを久しぶりにかけたら、DENONは嬉しくてキュンキュン泣くのか?事故ってバンパーの凹んだ車を見て、「あら、可哀そうに、痛かったでしょうね」などと言って、車をさすりさすりするやつがいたら、そいつのほうがよっぽど痛い。いや、これもまた痛いのは事故った運転手のほうだ。物はしょせん物であり心はない。心=感情は人間にしか持ちえないもの。

だから、「使わない時計はかわいそうだ」などという言葉の向こう側には発する側の違う真意があり、あえて翻訳すれば、やや汚い言葉になって申し訳ないが、こんな感じではないか。

「5個も6個もロレックスを持ってケースに仕舞う込む貴様は何とくそったれで嫌みったらしい奴だ!」。

これだったら男らしく潔い。まったくその通り、私には弁解の余地はまったくない。はい、すみませんと素直に思う。「使わない時計は可哀想だ」などと婉曲的に言わずにこれからはそう言おうではないか。きっと、これを読んでくれている70%ぐらいの人も該当するだろうから、今日は特別に私から言って差し上げよう。

「せいぜい2本しか腕がないくせに、7個も8個もロレックスを持っているオマエは何て下衆な野郎なんだ!」
ハハハ。気持ちいいな。「TPOだあ?鏡を見てから言いやがれ、このすっとこどっこい!」。
ゴホン、あー、失礼。

男らしくこの言葉にこうべを垂れたら、後は煩悩に身を委ね、気兼ねなく買いまくりたまえ。その遣う金はあなたのためにはなっていないが、確実に世のためにはなる。お金で経済は回り、世の中もまた回る。ニッポンの若者に金が回っていないのは、ご老人が遣わずに貯め込んでいる金が800兆円もあるからだ(それだけが理由ではないが)。

もし、すっとこどっこい(しつこい!)が20本のロレックスを買い、平均が80万円だとしたら、1600万円ものお金がまずはショップさんに渡る。そうしたら社長さんは新しく車を買い替えるかもしれないし、ボーナスが出た店員さんは風俗に行ったり、焼酎をビールに格上げするかもしれず、そうやってお金がぐるぐると世の中に回っていくのだ。「使われない時計」も喜ぼうというもの(???笑)。

本題に戻る。さて、ショップさん訪問はできていないが、ネットではよく見ていて、今は仕事の昼休みにコンビニのおにぎりを食しながらヤフオクウォッチがマイブーム。それにしてもヤフオクのパチ物の多さよ。ヤフーが本腰を入れないから、ここが日本におけるパチ物最大の温床となってしまっている。ただ、私はパチには比較的寛容で、パチが出てこそブランドも一流というか、文化には光と陰が常にあり、光が濃ければ陰もまた濃くなるのだ。

だから、最初から明らかなパチというものはまだ許せる。最近のパチ出品物本文にお決まりの「部品がどこまで本物かはわかりかねます」が添えられて赤シードが30万円で売られていれば、まあ大抵はわかる。明らかにいびつなデイトナが7万円で売られていても同様。買う側もそうとわかって買うのだろう。もし本物だと思って買ったのなら、それはその人“も”悪い。私に言わせれば情報弱者でしかない。

むしろ私が多少の義憤を感じてしまうのは、何かを隠されて本物が売られていること。最近はさすがに知見も積み上がってきたので、そういう個体を見つける頻度が上がってきてしまった。この年代には付いていないはずのこんもりドーム風防が付いていたり、サブなのにシングルクラスプが付いていたり、時には白サブの上に赤が塗られていたり…、もちろんそれらは法的どころか商道徳上の問題もないことはわかっている。ただ、ひと言、「このモデルは本来9315ダブルフリップ巻きブレスですが、前所有者様が7836(シングル)に交換されたと思われます」、この説明は欲しいなと個人的には思う。60年代のサブに、当時はなかった書体の後年の交換用サービスパーツであるベゼルが付いていて「フルオリジナル」はないだろうと。正確には単に「ベゼルは後年の純正パーツがついています」、これだけのことだ。こういう記述をしてくれているショップさん(いくつもある)にはすごく誠意を感じるのだが、私だけであろうか。

一部の大金持ちを除くと、大抵の人はそれこそ清水の舞台から飛び降りる気持ちで時計を買っている。誰もが詳しいわけでもない。時計は購入してからはもちろんだが、購入の過程も大事なのだ。誠実な売り手によって、自分が大金を払おうとする個体の正しい情報は知らされるべきではないか。それを承諾した上で買えばいいだけのこと。事実を全部オープンにしたら売上は下がる。確かにそうかもしれない。

私はかつて一度だけ嫌な思いをしたことがある。届いたら裏蓋にひどい傷がついていたことがあり、なぜこれを事前に教えてくれなかったのだろう?と多少悲しい思いがした。そう、腹立たしいのではなく悲しかったのだ。私はその時計のことが心底欲しかったので、おそらく事前に説明を受けても購入したとは思う。だが、結果として私はその店ではそれ以来購入していない。買うにあたって疑心暗鬼になるのが嫌だからだ。商売というものは買う側も売る側もやはり誠実であるべきだと私は考えている。物とお金のやり取りのベースには人と人との交流がある。皆さんもそうだと思うが、私は所有している時計を手に取ると必ずと言っていいほど、購入したときのことを思い出す。お店の人の言葉や表情、楽しかったやり取りを思い出す。それが善なるものに包まれていれば買い手はいつまでも幸福な気持ちになり、そういうことも含めて、大事な時計との思い出が深まっていく。

とりとめのない文章になってしまった。今日なぜ更新したかというと、超久々にケースに仕舞った時計を取り出して竜頭を巻いたからだ。ジーコ、ジーコ、ジーコと。個体によっては20回ぐらい巻いてやっと動くものがあったり、中には手に取った瞬間に動くものもあったりして、「使わないチミたちはかわいそうでちゅかー?」と改めて問うたのだ。だが、やはり時計は時計であって、それはあえて言葉にするなら、私の虚栄と煩悩の行き着いた先でしかなく、ただ黙って時を刻むのみであった。

16710B.jpg
スポンサーサイト
プロフィール

オイパペ

Author:オイパペ
ロレックスとともに

カウンター
最新記事
リンク
検索フォーム
PR
カテゴリ
最新コメント
月別アーカイブ
RSSリンクの表示
QRコード
QR