バーゼル2016

バーゼルのことも少し書いておく。完全に忘れていて、えーすさんのブログで知り、おお!と独り盛り上がった。多くの人にとって“待ちに待った”SSデイトナの登場。喜んでいる人も多いのではないかと思われる。手巻きデイトナへのオマージュ。なかなか恰好いい。私は現行のロレックスを追いかける気はあまりないし、ここ数年の新作はあまり好きではなかったが、何でもかんでも現行を否定する気はない。良い物は良い。今回はデイトナだけではなく、エクスプローラーⅠの針が長くなったこと、エアキングが見事な大変身を遂げたことも楽しく眺めた。

デイトナは、旧モデル時代から今回のも含めて、そのサイズがやや小ぶりであることと日付表示がないことには賛否あると思うが、私は肯定派だったので、それらに変化がなかった今回のリニューアルは素直に良いと思う。元々デイトナは白好み、今回もまた同じ。価格も抑えめなので、これは争奪戦であろうな。ここでしつこいぐらいに書いてきたことだが、何度も正規店に足を運ぶぐらいなら、サクッと並行店で買えばいいと思う。現行を追いかけるのなら、欲しいときこそが旬(しゅん)。今年の夏にばっちり腕にはめてワクワクしたほうが良いぞよ。モテること間違いなしだ。いいなあー、ヒューヒュー。

エクスプローラーのシンプルな3針デザインに、39mmのケース径はややアンバランスだと常々思っていたので、針の改良があっても古い114270のほうが私には好ましいが、そんなことは人それぞれ。みんなが???と感じていたことをきちんと改良したのだから、企業の姿勢としては正しいと思うし、そうかそうか、ロレックス社もやはり「この針はさすがに短いよなー」と思っていたことがわかって何だか安心したというか。おそらくいずれは214270も長い針への交換を受け付けてくれるのではないだろうか(これは勝手な予測)。

そしてエアキング。地味な田舎の高校生が都会に出てきて、いきなりファッションに目覚めたような可笑しさ、微笑ましさを感じるが、一見奇天烈なこのデザイン、見れば見るほどに味がある。「ばさら」な感じがとても良いな。そして、何といってもこのロレックス最古のペットネームが復活したことは実に目出度いではないか。これなら買ってもいいかなと、自身は地味なくせに派手好きの私は思うのだが、実際にくそったれオヤジの私がこれを腕にしたらちょっとばかり滑稽だろうから、もし買ってもここのブログで公表するのはやめておこう(笑)。

この数年、頑なに宝飾系に寄っていたロレックスだが、やはりというかきちんと実を取りに来たのは、昨今の見通しが立てづらい世界同時不況が影響していることは間違いない。ロレックスに限らずスイス時計の出荷先はかなりの割合で中華圏が占めているのだが、当の中国の経済が失速しはじめたいま、ロレックスも理想から現実へ路線変更したということだろう。いや、せざるを得ないほど、ロレックスを始めとするスイス時計業界の内情は厳しいのかもしれない。

スポロレはSSこそが基本。その思いはずっと変わらない。そして、みんなががんばれば手が届く(かもしれない)ロレックスという立ち位置こそがこのブランドの本分であるという思いもまた。300万円もする金無垢GMTペプシには違和感が拭えなかった。さあ、デイトナは100万ちょっと。エアキングは50万円ちょっとだ。これなら若いやつらも目指せる。買える者は買う。背伸びすれば手が届きそうな者はがんばって背伸びする。手を伸ばしたって、ジャンプしたって今は到底届かない者は、頭上を仰ぎ、「ちくしょう!俺だっていつかはロレックス!」と誓う。そういった立ち位置こそがロレックス。
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14060Mを思い出す

サブマリーナはスポロレの“王道中の王道”だという意見に私は心から賛同する。そしてステンレス製でリューズガードがあり、日付表示のない5513は、それが登場した1960年代初期に、もはやデザインとして完成していたのだとすら思っている。以来、この半世紀、細かい文字表記を替えたり、風防をプラからサファイアに替えたり、ブレスをリベット、巻き、無垢へとマイナーチェンジを繰り返しつつも、ロレックス社が大胆なデザイン変更をサブマリーナに施していないのは、おそらく彼らもこのデザインに神が宿っていることを承知しているのだろう。

5513を基本として、デイト付きの1680、金無垢、シードなどの亜流もまたどれもが素敵である。現行6桁の角ばったラグはちと気にはなるが、それでもやはり現行も含めてサブマリーナはいい時計だなあといつも思う。まったくもって、このデザインにはケチのつけようがない。

基本となった5513はヴィンテージ好きならたぶん誰もが通るモデルだろうが、、私もまたいつかはミラーなどと思いつつ、良縁に恵まれないままここまで来てしまっている。そして、あれよあれよと価格が200近くなってしまったいま、たぶんそれは夢で終わるだろうが、それはそれでいいと最近は思う。すべての憧れを実現しても、そこにはまた茫々たる虚無の風も吹くのだろうし。

今日は14060Mのことを書く。14060Mは、5513のあとノンクロノ14060を経た機種でインデックスはフチ有り。はっきり言って、人気があったとは言い難い。5桁になってからは何といっても、デイト付き16610LNこそが主流であり、ノンデイト14060Mはサブ廉価版の位置づけであった。その好き嫌いや良し悪しは別として、その序列は6桁の今も健在である。

ここで少し不思議に感じていることを書く。なぜ、こと4桁になると、その序列が今は逆転して、ノンデイト5513のほうが高額なのであろうか。今や5513はマットダイヤルでも物によっては軽く100万円超え、一方のノーマル白1680はさほど市場で人気がない。私は元々、デイトは無いほうが好きなので理解出来るのだが、5桁や現行6桁との比較で言えば不思議な現象だと常々感じている。

過去記事によると、私が14060Mを購入したのは約4年前、6個目のロレックスとしてで、当時、保護シール付きのシードを下せないでいた軟弱な私は、普段使い用としてジャックロードさんでこの時計を買った。今では考えられない36万円也。

それは使われた形跡がほとんどない未使用状態で、銀座レキシアにて購入されてからまだ3月しか経っていない時計だった。これなら躊躇なく使えると、多少私が14060Mを見下していたことは否定しない。14060M過去記事

一年近くずっとこの時計ばかりを使い続けたことで、14060Mが私のスポロレの原体験となった。この時計(14060M全般のことではなく、この個体)は本当に素晴らしく、今でも日本の正規店には極上品が卸されているという都市伝説を信じたくなるほどの精度であった。日差は2秒もなかったのではないか。所有者はご存じのように、この時計は薄くて、ブレスなんかはぺらっぺらである。しかし文字盤はシンメトリーな美と男らしさに溢れ、竜頭はデカくてごつい。ぐいっ、ぐいっとケースにねじ込むときのあの力強さ。サブ竜頭のデカさに比べると、GMTやエクスプローラーのそれなど、子どものちんちんのようなものだ。

同時期にシードを所有していた経験から書くと、ケースも薄い薄い。サブブレスは6時側が最短で4駒半でいけるから、私の細腕でも何とかOKだった。そして何よりも軽い。時計は、もちろん例外もあっていいのだが、基本は薄くて軽くあるべきだと最近は思う。

2012年の初夏に出会い、4つの季節を一周半ほどめぐる時間をともに過ごし、アホみたいに神経質になることもなく、ごく普通に手荒く扱っていたから、ケースにも当たり前のように使用傷がつくも、私はまったく気にしなかったし、そもそもサブはそういう時計であろう。いや、サブに限らず時計などそれでよかろうと今も思えるのは、あの時計のお蔭だ。竜頭を開放することなどほとんどなかったのは、前述のように、時間がほとんど狂わなかったこととデイト表示がなかったゆえだが、それ以上に一本使いだったため、この時計が止まることはほとんどなかったはずである。それぐらい、一時期の私の良き相棒であった。そして結構公私で私がきつい時期であったことも大切なことなので書いておく。

前にも書いたが、途中でルミナスが取れるアクシデントがあり、その入院中にようやくシードの保護シールを外して常時着用、こちらは、ごついわ重いわ、ブレスは5駒で安定しないはで、ほとんどじゃじゃ馬であったが、多くの男がそうであるように、しっとり、ひっそりとした女性のことを私はここでもまた軽んじてしまい、私の左腕にはイケイケのボディコン(16600)が乗るようになった。14060Mは修理から戻ってきてからは、ずっとケースに仕舞いこんで、やがては手放してしまった。

そこに収納していたわけではないのだが、時計ケースを空けるときに、時々14060Mのことを思い出す。他に手放した時計はいくつもあるのに、この時計だけは時々しんみりと思い出してしまう。そのまま持っていても、かつてほどは使えなかったであろうが、それでもこの時計は手放すべきではなかったと今は思う。この世にたったひとりで生まれてきて、その瞬間から死に向かって歩むというこの人生で、時を刻む時計という道具とともに時間を過ごすことの意味は決して小さくない。それを私はこの時計から無意識に、そして最初に学び取ったに違いなく、そんな大事な時計が今の自分の人生に不在であることはやはり淋しいことなのだ。

どの時計の下取りだったかエクセルを見てみると、ああ~(と長いため息)、GMTのM番かよ。多分私にしか分からないある感情において、私は深く長いため息をついてしまう。

人生が出会いと別れであるように、時計もまたそうであろう。だが、出会いはともかく、別れはこの歳になると少々つらいわけで、それが避けえない事実であろうとも、別れは少ないほうがいいべさーと思う。人生の秋だなあ(苦々しく、そして力なく笑う)。前回の記事で、もう出来るだけ売却はやめようと書いたこと、一時の熱情だけで買い漁ることはやめようと書いたこと、それらは一本の線でつながっている。別に恥ずべきことでもなく、どうしようもなく後悔すべきことでもなく、自然な感情として今私は時計に対しても、それ以外のほとんどのことに対してもそう思っている。

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今はいずこ・・・。

買い逃した時計のことを

前回予告した「追憶の14060M」は我ながらおもしろくない。アップするのが躊躇われるほどなので、少し寝かせて今日はつなぎ記事を。

手放して惜しい時計を書きながら、では逆に買えなくて惜しいと思っている時計って何だろう?ということに、あまり過去を振り返らない私はふと思い至ったのだ。そんなにないよなあと。確かにそんなにはないが、有るにはある。というわけで備忘録を兼ねて簡単に。以前もこのブログで触れていることも多いので重複はご容赦。以下、買えなくて今でも惜しいと思っている時計。

まずはヤフオクで出ていた14060M。商品説明ではTシリアルとのこと。Tだと90年代半ばであるが、出品者が詳しくなかったのだろう、それは7桁のランダムシリアルでカード型のギャラが付いていた。スタートが30万円。即決が35万円ぐらいで、少し相場が上がりかけていた当時の相場だと、即決でもずいぶんと安かった記憶がある。ヤフオクで誰もが夢想する、出品者無知による究極の“お買い得”ってやつである。漫画の両さん(こち亀)で、下町のおばあちゃんがやっているおもちゃ屋にお宝フィギュアがたくさん眠っていることを語る両さんがウフフの流し眼で描かれていたことを思い出す。私が気付いたときには、ある人が入札を入れていたのだが、その彼もきっとウフフの流し目だったに違いない。だが次に見たときに他の誰かに即決で持ち去られていた。出来ればスタート価格で、と色気を出した流し目の負け。これは私には勉強になった。あのときは即決こそが、いや即決だけが正しかった。みんな!動くときは疾風のごとしだ!

ヤフオクでは、これも過去に書いたが、ジャックさんで114270ランダムが最終的に30万円台で終了。何だよ、どっちも安く買えなかったというだけではないか、この未熟者!と自分を叱る。確かにそうだ、買えなくて惜しかったのとはちょっと違う。

では気を取り直して、本当に惜しいと思っている個体。買い逃したのとはちょっと違うが、走り屋ランスさんが中野で購入したGMT16710M番デッド。デパートに何年も眠っていた個体で、しかもギャラ請求ハガキ付き(つまりギャラに自分の名前が入る)である。最初にここのコメント欄で走り屋ランスさんご本人から聞いたときはそうでもなかったのだが、後から売却したと聞いたときは、うぬぬぬぬ土下座してでも売ってもらえばよかった!と思った。なぜなら、その請求ハガキ記載の日付(つまりギャラに記載される日付)は私の誕生日だったから。しかも冗談のような話だが、当時私は走り屋ランスさんの誕生日日付がギャラに記載された旧グリーンサブ最終ランダム・デッドストックを持っていた(マジである)。追い金してでも交換すればよかったなあどころか、交換しなきゃいけなかったのではないかとすら思う。後悔先に立たず。で、お互いもう持っていないところがみそ。ハハハ。

次に、昨年JFKさん訪問時に置いてあったイカサブ。手に取らせてもらった。裏蓋にちょっと特別な刻印。その日は別の時計を買ってしまった。買ってしまった、と書いたからといって、その時計を後悔しているわけではまったくなく、それも大事な時計として今も所有している。でもあのイカはその後、2回ぐらい夢に出てきた。

オノマックスさんに出たミルガウス1019。ケースが未研磨でブクブク、裏蓋シールが残り、付属完備の、これこそミント!な個体が、いくらだったかな、、、200万円台後半だったと記憶する。これはもし最初に見つけても手が出る価格ではなかったので、この記事の「買えなくて惜しかった時計」の主旨からは外れるが、あれが買えた人はラッキーだったと今も思う。後で小野さんに「あれはよかったですね!」と伝えた。そうしたら満面の笑みで「はい、あれはみんなを驚かそうと売り手の人とともに勝負に出ました」と。正解。ああいうのはお店の最高の宣伝になる。事実、私はあれ以来、オノマックスさんのHPはほぼ毎日欠かさず見るようになった。

番外は、このブログで記事にしたが、ジャックさんで130万円という普通の価格で売られた16520の黒225タキ。相場の半分以下である。まあ、これはおそらくはお店が値段を間違えたのだろうと思われ(涙)、あれを買っていたらハッピーだったか?といわれるとそうでもない。むしろあれを買った人ではなく、売却した人と値付けした店員さんのことが(大きなお世話だが)気になって仕方ない。2015年度年間MVP。

最も惜しいのはイカである。しばらくJFKさんの店頭に残っていただけに今も悔やまれる。だが、こう書いてみると、買えなくて惜しいと思っている時計はそう多いわけでもないと改めて思う。多分私が欲しい時計は常に市場にはなく…、いや待てよ…、あった、あった、まだあった。確かに、買わなくてものすご~く後悔している時計がもうひとつだけあった。だが、その時計は今も探しているから書きたくなかったりする(マジで欲しいので書けない、すまぬ)。

つなぎ程度に軽くと言いながら、この分量。こんな記事を書いたら、またイカの夢を見てしまいそうだが、それもまたい~かと、多分受けないであろうシャレで今日は終わる。欲しい時計、探している時計があるという状況は、それを実際に手に入れることよりもずっと幸せなのではないかという気がしてならない。19世紀のフランスの作家で『にんじん』を書いたジュール・ルナアルもこう書いている。「幸福とは幸福を探すことである」 と。

ひと呼吸置くということ

ある時計を欲しいという熱が急激に高まることがあるのは誰もが経験しているはずである。何かに取りつかれたように、その個体を探す時期というものがある。毎晩ネットチェック、いや仕事中もスマホでこそ見をする。帰りの電車もずっと時計ショップHP巡り。そして目当ての時計をネットや店頭で見つけたときには、理性などは簡単に吹っ飛んでしまう。

だが、これもまた誰もが経験していることだと思うが、何かの機会に買い逃したり、あるいは出物がない間に、すーっとその熱情が冷めてしまい、「あれっ?何であんなに欲しかったんだろう」と振り返ることもしばしば。いや買う前ならラッキーなのだ。入手した後ですぐに冷めてしまっては、金額も金額だけに痛く、そういう経験をしている人は結構多いのではないか。

そう、時計はひと呼吸を置くことがとても大事である。いや、たぶん時計だけではないのだろう。感情が理性を上回っているのは、それがどういう局面であろうが、危険な状態であり、少なくとも正常な判断は失われている。

何年か前のこと、私はチュードルのカマボコ(79160)が欲しいと思った時期がある。そのときは淡い気持ちで金も下さずに中野へ行き、ジャックさんで現物をしげしげと眺め、「こんなゴッツイ時計は自分には不似合いだ」と思えた。幸いにも、概念としての憧れとリアルな物体との落差に気付くことが出来たのだ。そこまではよくあること。だが、私の“欲しい”という思いは、ごつさを否定したことで、別の言い訳にたどり着いてしまった。隣に並んでいたのは、後継の79260。ちなみに79160のケースサイドはごつくては垂直に切り立っているが、79260のケースは薄く(思える)、側面はデイトナのように流麗な曲線を描いている。これだ!と性急に思い込んでしまった。その現物はジュビリーブレスだったので、3連ハードブレスの、当然タイガー表記無しにしよう!と、いきなり白羽の矢を立ててしまったのだ。おいおい、見に来ただけだろう?という天使の声はかき消され、「買っちゃえ、買っちゃえ」という悪魔のささやきが。

ところがどのショップを回ってもそれはなく、一旦は諦めて電車に乗ったのだが、休火山が活火山状態に移行したのだろう、気づくと上野にいた(笑)。サテンドールさんやその他の店をぐるぐると徘徊しているうちに、あのごちゃごちゃとした昭和風情満載の商店街の中にある、たぶん最も小さなサテンドールさんの営業所(店員さんと客ひとりで満員状態)にこれでもかとたくさんのチュードルが並んでいたのだ。迷わず銀行へ直行である。「おー、買っちゃえ、買っちゃえ」とここでも悪魔のささやき。

再び訪れると客がいて店員さんと話が弾んでおり、その脇でケース越しに79260のギャラ付きを見つけ、これだ、これがいいと即決。ところが商談なのか雑談なのかわからないが、お客と店員さんの話は異様に盛り上がっていて終わる気配がまったくない。どこどこの何々は瞬殺でしたね~とか話し込んでいる。仕方なく、他の店を回って時間を潰してから戻ったらまだ続いていて、トレイに時計が乗っており一応は商談のようだ。これは時間かかるなとまたまた仕方なく外へ出て、休日だったので昼(夕方)ビールを飲んだのがいけなかったのだが、結果的にそれが私を救った。また店に近づくと、呆れたことにまだいるのである。そのとき、私の下腹に不意打ちのような生理現象(大きいほう)が…。寒い季節ゆえビールで腹を冷やしたのだ。

私は大を公衆トイレで済ますのは大の苦手である(一応シャレ)。高校生のとき化学の教師の「くさい匂いというのは、その物体の粒子(だったか分子だったか忘れた)が、鼻の粘膜に付着するからだ」という説明を聞き、フワフワと空中を浮遊する、その何の粒子が私の鼻の粘膜にひたひたとくっ付くビジュアルとして脳裏に焼き付いてしまってからというもの、汚いトイレの個室が苦手になった。以降、スーパー、場外馬券場、駅、コンビニ、居酒屋。このあたりは絶対駄目、論外である。許せてもデパートぐらい。

その時は急で激しい現象だったので、とにかくパチンコ屋に駆け込んだ。事なきを得て、身体もすっきりしたのだが、ついでに心もすっきりしてしまった(ハハハ)。全然欲しい気持ちが失せてしまったのだ。悪魔君も一緒に流れてしまったのだろう。ちなみに律儀な私はパチンコ屋で用を足すといつも千円だけ球を打つ。その時もジャラジャラと球を打ちながら「飽きるだろう、あの時計は」と、極めて冷静な自分を取り戻したのだ。たぶん私の頭上ではキラキラ天使が喜びの踊りを舞っていたに違いない。

外へ出ると、もう日は暮れようとしていて、試しにもう一度店に行くとまだいる。マシンガントークは止まずで、店員さんもさすがに私には気づいていて、困った表情とともに目で申し訳ありませんのサインを、私もまた「いいよ、いいよ」の余裕のサインを。時計が好きなのはわかるが、ここまで行くとさすがに営業妨害であるなと可笑しくなり、私は家へ帰ったのだ。おしゃべりなお客と腹痛のお蔭で私は、たぶんすぐに飽きるであろう時計への28万円の支払いから逃れることができた。(出来るだけ表現は控えたが、ここまでの汚い描写をお詫びする。)

他にもある。ドーム風防やミラーの5513、バースイヤーの1016、そうそうミルガウス1019など個体を見るためにわざわざ大阪まで行ったのに、時計を買わずに道頓堀でたこ焼きを食っていたな。食べながら250万円あればこの熱々のたこ焼き(@500円)を一体いくつ買えるんだろう思ったことを覚えている。いま電卓を叩いてみたら5000パック。へえ~、大したことないなと思ってしまうところが悲しい。

時計が好きになると、とにかく熱情にかられる。暴風の前のチリのごとく理性は吹き飛ぶ。冒頭にも書いたが、時計熱にとどまらず、理性が感情や激情に打ち負かされている状態は危険であるし、それ以上に最もみっともない振る舞いでもある。よく深夜の駅改札で駅員に暴言を吐いたり、店員にクレームをつけている人を見るたびにそう思うが、時計への狂気のような熱情も本質は同じ。それは理性の敗北でしかなく、基本的には人間が駄目な局面におちいった際の典型的な所作である。

時計の場合、理性の敗北は不本意な(飽きる)時計の購入や買い漁りに至る。短期間で燃え上がった熱情は冷めるのもまた早いので、当の本人がびっくりするぐらいに早くに飽きや後悔の念にかられることもしばしばある。前に「時計を愛すること」という記事で書いたように、恋愛とも通底は同じで、結局はどれも理性の敗北なのだ。そして理性よりも感情や欲望のほうがはるかに快感を伴うがゆえに多くの人は負けてしまう。先の卑近な例で言うと、おそらくは私の下腹に起きた急な生理欲求が時計への欲望よりもはるかに強かったことで(ハハハ)、結果的にその暴風を弱めることになったのだと私は分析している。毒を持って毒を制すとは正にこのこと。

私もまた、それほど多くはないものの、不本意な時計購入の過去がいくつかはあるからこそ、今はひと呼吸、いやふた呼吸もさん呼吸も置くことを自分へ課している。前回の記事で、「買え!買え!」と煽ったくせに、と思う人もいるかもしれないが、私の中に矛盾はない。真面目な話、金持ちがガンガンお金を遣うことは、間違いなくこの国のため、世のためになると思っているし、本当にそうしていただきたい。そして新たな購入用に、おもしろい個体をガンガン売りに出してマーケットを賑わせて欲しい。この先、大金持ちになったら、私も悩むことなくこれでもかというぐらいに買うということを約束しよう。絶対に無いとわかっているから、気軽に書けるのが悔しい。

もう少しだけ書く。昨今のロレを取り巻く状況に対して、私自身が決めたあるスタンスがある。それをここで公開するのか、先に行動に出てから公開するのか、あるいは黙して語らずで行くのかは決めていないのだが、そのスタンス(決め事)は、今の手持ちは売らないということが前提となっている。それは前回の記事で書いた、たった数本だが、久々にすべての手持ちを取り出し、竜頭を巻いてきれいに拭き取りをしたときに、しみじみと「いい時計たちだなあ」と思えたからだ。それはとても幸せなこと。熱風のような快楽はないが、ポカポカと春の日差しのように穏やかで温かい感情。今のように健康で働けて生活が成り立ち、時計が好きでいられる間は今の時計たちをキープしていこうと思っている。だからこそ、これから増えるかもしれない時計も、そのように大切に思える時計でありたいと願う。と書きつつ、一本だけは売却候補がある(苦笑)。まあ持っていてもいいが、たぶん手放すだろう。

今日、ふた呼吸目ぐらいだったある時計がHOLDになった。うむうむ、これで良い。

次回は、逆に手放して後悔しているある時計のことを書くが、時計と恋愛が似ているのなら、それは昔の女に対する女々しい未練のようなものかもしれず、まったく人間の心とはやっかいなものであるなあ、皆の衆。
次回予告:「追憶の14060M」。

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