時計という趣味は良いものである

いつかは出る出ると皆が期待するも、ここ数年出なかったSSデイトナ新作が出たせいで、結構な盛り上がりを見せているロレックス市場。欲しい人がたくさんいるのだからもっと供給してあげればと思うのだが、これも同社のマーケティングなのであろう、なかなか入手は難しいようで、中古ショップや並行店では200万円近い値付け。定価からすると高いなあと思うし、腹立たしい人もいるだろう。

よく「並行ショップに踊らされて~」という記述を目にするが、私にはやや違和感があって、人を最も踊らせているのはロレックス社ではないか。マーケットで飢餓感を煽るのは、企業にとってメガヒットが出たときに、売上だけではなく、もっと高い見地からの企業ヴァリューを最大化するための割とありきたりな手法で、ロレックスの得意技でもある。大ブームのときのたまごっちと同じ。高度に技術が発達した現代社会において、いくらクロノグラフだからといっても工業製品の大量生産はいくらでも可能なはずである。ここ数年はパッとしなかったが、やはりさすがロレックス。デイトナ欲しい、デイトナ欲しい、でも手に入らない!が世に蔓延していけば、企業ヴァリューはどんどん上がる。今年のデイトナ新作によって、他のメーカーはこの先数十年は追いつけない、企業としての決定的な差をつけられたのではないだろうか。パネライしかり、オメガしかり。

ランダム番導入以降、ロレックス社は富裕層取り込みに主眼を置いた高級化や宝飾化を図ってきたが、いまひとつ効果を上げることができなかった。手巻きデイトナへのオマージュとも思える今回の新デイトナ活況によって、同社の方針が変わる可能性は大いにある。振り返ると意外と柔軟に同社は過去に評価されたヴィンテージモデルの要素を積極的に取り入れて来た歴史がある。エクスプローラー文字盤ブラックアウト、ミルガウスの稲妻針など。今後はサブマリーナやGMTでのラグジュアリー化も見直され、ヴィンテージテイストに回帰していくようなデザインのスポロレ新作が出てくることで、6桁初期のスポロレは早々と陳腐化していく可能性も有るかもしれない。あー、もちろん、無いかもしれない(笑)。

写真を見る限りでは214270から改良されたエクスプローラー1が良さげに思えるのだがどうだろうか。私のように15cm強しか腕周りがない人間には114270の方がベターだが、それなりの体格の人にはやや小さく映るのも確か。針の長さが改良されたことで文字盤全体のバランスはとても良くなったように感じる。前の214270を持っていて、同じように感じる人は多少売り値は下がろうとも躊躇せずにGOして良いのではないか。

新作を追っかけるのも良し。古いのにこだわるも良い。私はどちらも否定しない。私個人について書けば、新しいものはいつでも入手の可能性があるので、程度の良い古いサブや黒いエルプリデイトナのほう、つまりはヴィンテージ志向バリバリである。先日、海外のサイトでちょっと魅力的な赤シードを発見して、ようやく冷ましたはずの1665熱が再燃してしまった。高いんだなあ、これが。新作を追うのも大変、古いのを追うのも大変ときた。まったく難儀な趣味である。だがやはり時計はいい。心からそう思う。物が無かったり、高かったりして、実物を買えずに妄想しているだけでもこれだけ楽しいんだから、ある程度の理性さえ持っていれば健全な趣味なのかなと思える。さてさて、ふと気づくと子どもたちは夏休みだし、戸外ではミーンミーンとセミが鳴いているではないか。梅雨が明けきらないとは言え、はや夏の到来であったか。年を取ると本当に時が経つのが早くなるなと実感。今日はこの辺りで。
スポンサーサイト

時計を手放すということ

前に手放したことを後悔しているサブノンデイト14060Mの記事を書いた。⇒ここ。実は手放したことについて、それよりも遥かに後悔しているある時計がある。今もって、なぜ私がその時計を売却したのかよくわからない。あれこれと欲しい時計が出てくるも、段々と回す金が減ってきてしまった時期だったのかもしれない。今でも私は自分を許していない。いくら何でもあれは、あれだけは手放しては駄目だっただろうと。私に機械式時計の素晴らしさを教えてくれた時計であり、決して短くはない歳月をともに過ごした良き相棒であった。

酔っぱらって坂道でこけそうになったとき、それを守るために身をよじって転がり、目撃した部下に笑い死にされた。「命よりも大事なんですね」と女子2人が笑いながら抱き起してくれたものだ。夜に歌舞伎町での飲み会予定があった朝、万一を考えてそれではなくオメガ(御免)で出かけ、暑い夏には水道水でじゃぶじゃぶ洗い、毎晩それを外すときは私の1日の戦いが終わったことを意味し、朝それをはめるときはそれがまた始まることを意味した。私にとってそんな時計であった。

魔というのは差すものである。売却してしばらくはどうってことはなかったのだが、やがて私はその時計の喪失感にさいなまれ、自分の行為を悔やんだ。あのデザイン、あの質感…。ある日、たまたま同席した人が同じ時計を持っていたので、手に取らせてもらってため息をついた。「やっぱり、これいいなあ」と。ただ、ご多聞に漏れず私のそれは最終品番だったので容易に入手することはできない。日本のどこにも売っていなかったので、仕方なくようやく海外のサイトで見つけた同じ時計を再度(結構な価格で)入手したのであった。まったく無駄な行為である。それまでは一度手放した時計を買い戻すなどというのは信じがたい他人の行為だったのだが、自分もやる羽目になるとは…。たまたまシリアルが最初に持っていたのと100番ほどしか違わず、出荷国も同じだったので、「あの最初のと同じロットなんだろうなあ」などと考えていたが、どうにもそれは疑似行為というか、やはりその時計はかつての時計ではないのだ。あの厳しかった時期を過ごした時計とは別物である。別れた女性の面影がある別の人と付き合うような女々しさがそこにはあった。

5個も6個も、あるいはそれ以上を所有すると、どうしてもひとつひとつへの向き合いがおろそかになり、愛情や愛着は薄れがちになるが、思い入れのある時計は大事に持っておいたほうがいい。それはあなたにとってかけがえのないスペシャルな時計なのだ。

割と最近のことなのだが、ある日、あるお店で同じモデルが売られているのを見た。希少な時計なので滅多に売りに出ることはないので、売られていることがそもそも珍しい。案の定、それはすでに商談中の札がかかっていて、そこでまた私はかつての相棒を思い出し、少し胸がきゅんとなってしまったのだった。今はどこの誰の腕にあるのだろうなあなどとまたまた女々しい思いにかられつつ帰宅。

結論を書く。その時計こそが私が手放したその物であった。私は、私にとって奇跡のような再会を果たし、そして手に入れた。

経緯を簡単に記すと、店で見かけた翌朝、徹夜明けの寝ぼけマナコで昨日のショップのHPを開き、何気なく写真を見ていて閃光が走ったのだ。このギャラの手書き文字は見覚えがある。急いでPC内のピクチャーフォルダに格納されているかつての写真と比べてみると、まったく同じ字体と日付。ビンゴである!しかもラッキーなことに商談が外れている。これはもう損得ではない。縁としか言いようがない。電話してHOLDしてもらい、銀行で金を下して訪問。何年振りかでかつての相棒を手に取った。

帰宅し、ブレスを調整して腕に巻いた。大した感動が巻き起こりはしなかった。だが、それで良い。感情の奴隷となってはいけないのだ。激しくうねる波のもっと下、水底のように静かな場所で私はささやかな喜びにひたった。こんなことってあるのだなあと、窓の外に目をやると、初夏の日差しが眩しくきらめいていて、何とも言いようのない静かな幸福感を私は感じた。

お祖父さんの舟

去年のこと、遅くに帰宅すると娘が高校受験の問題がさっぱりわからないと言う。読んでみるとこれがさっぱりわからない。高校受験の問題がわからないなどというのは、いくら普段父親らしいことをしていないとはいえ、沽券と威厳に関わるので、何度か読見返してみたが本当にかなり難解な問題であった。

それはある日本の学者の論文なのだが、こういう内容である。漁師だったお祖父さんの使っていた船がある。子の代となり、孫の代になるに従い、古い木材を部分部分で新しく補修していき、とうとうお祖父さんが使っていた当時の木材はまったく無くなってしまった船となった。さて、この船は「お祖父さんの船」と言えるのかどうか、という問いかけが文章ではなされる。これは「テセウスの船」と同じ議題である。

お気づきのように、この命題はヴィンテージ時計におけるオリジナリティの問題にも通じる。例えとして書くが、お祖父さんから子へ、そして孫へと代々譲られた1966年製のサブマリーナがあるとする。この50年の間に幾度か実施されたOHという節目節目にその時計のパーツは交換された。風防、竜頭、針、ベゼル、場合によっては文字盤やケース交換も有り得るし、ムーブの幾つかの部品も交換されたかもしれない。成人となった孫が父から「これはお祖父さんが使い、私が譲り受けた時計だ。今日これをお前に譲ろう」と渡された時計。これは果たしてお祖父さんの時計と言って良いのであろうか。

オリジナル完璧主義者は「それはジイジの時計などではない」というかもしれない。後年に大部分のパーツが交換されたそれはもはや当時の時計とは別物であると。一方、時計に精神性を求める者は、「いや、それは間違いなく爺様の時計である」というかもしれない。代々に渡りその時計を大事にしてきた気持ちが込められているのだからと。

私はその答えには大して興味は持っていない。ただ、時計とは一体何であるかという根本を考えるきっかけにはなった。いや、それ以上に、お祖父さんの舟(時計)をどう扱うべきかという問題を考えるようになった。偉大なる祖父の舟だからと、それを使うことなく後生大事に保管し、そのままの状態を保てば、それは確かにお祖父さんの舟ではあろう。しかし、舟が作られた目的は海に出ていくことであり、保管されることではない。同様にサブマリーナもまた海で使われることを目的として作られたダイバーズウォッチであることを忘れてはいけない。

私は40年以上前に作られた古いチュードル(サブ)を所有するが、防水性への不安から間違っても水洗いは出来ないし、きつい日差しと汗を避けるために真夏には使用しない。私はデザインさえ保たれればそれほどオリジナルであることにはこだわらない(事実1680のケース交換をした記事を前にアップした)が、古いチュードルはすでに日ロレ受付不可である。そういう時計や、あるいは「ヴィンテージはオリジナルこそ命」と考える者にとって、これまでの50年は奇跡的に保てたかもしれないが、これからの5年、10年、更にその先はどうするのかという問題が立ち塞がる。

今日はここまで。私の浅はかな考えをこれ以上ダラダラ書いても、それは皆さんの思考の邪魔にしかならない。さてさて皆の衆、冒頭の舟はお祖父さんの舟であろうか??

anchor.jpg

ヤフオクでのロレックス購入記

ヤフオクの実体験について。私はそれほどリスクを恐れないほうである。それは確かな目を持っているという自信があるからではない。あるいは、何かトラブルがあった時に敢然とそれに立ち向かう強い意志を持っているからでもない。むしろそれらの逆である。

私は多少のリスクを得ないと、手に入りにくいものは得られないと考えている。手に入りにくいものとは、市場価格よりも安価な値付けの商品や競争の多い希少な商品というシンプルな意味で書いている。そこはギャンブルであり、もしも何らか瑕疵のあるものを掴まされたら、私はそれをリカバーするためにエネルギーは費やさず、それを自身の負けとして受け入れていく傾向にある。つまりよほどのことがない限り、ちなみに「よほどのこと」というのは悪意のある騙しなどで、そういうのは別だが、主観の差異による返品・返金交渉などはまずやらない。そこにエネルギーは費やさない。賭けに負けたと感じる。

私はちょっとした物をヤフオクで入手することは比較的好きで、多いのは廃盤のCD、個人手作りのもの、ロレックスの付属品などをたまに落札するが、もちろんそれはただの買い物であって賭けではない。しかしロレックスそのものをヤフオクで買うとなると、これはもうギャンブル以外の何者でもないと若年時から張り続けた私は思うのである。そして私は賭けに負けた(苦笑)。やはりヤフオクでロレックスはリスキーであった。

その個体は相場よりも15%ぐらい安い価格(ロレックスだからもちろんそれなりの価格ではある)で出品されていた。分かりやすく書けば(実際には違うが)、相場で100万円のロレックスが85万円ぐらいで出品されている感じ。一見お買い得商品のそれが常にそうであるように、その個体も私が発見したときには多くの質問が、それこそ10を超えるそれがなされていた。狙っている人が多いという証左である。

3桁の「非常に良い」がついていて「悪い」はひとつもなく、過去の売り買いの履歴もまあ普通の人である。怪しげな時計をたくさん出品しているわけでもなく、過去の評価欄を見ても、その個体への回答を読んでも、文体からは親切で丁寧な人であることが伝わってくる。ここでまずハードルは下がる。

時計のセールストークは、購入したものの勿体なくてほとんど着用していません。中古だし主観ですがたいへんきれいです。OHには出していませんが動作に問題はありません、などの言葉が並ぶ。ただし肝心の写真(3枚)は、どれもがやや引き、つまり文字盤やケースが拡大で写されているショットはない。従って、質問の多くは傷の程度や文字盤が鮮明に映った写真への依頼などであったのだが、出品者はそのどれに対しても、とてもフレンドリーな文体で丁寧に返答している。「中古ですから傷は無くはありませんがとってもきれいです!」「時計は間違いなく本物なので、同じ品番の写真をネットで見てください。それとまったく同じです!」。

私はそれほど悩まずに賭けた(入札した)。その個体はどうしても欲しいというわけではなかったのだが、一度ぐらいヤフオクにチャレンジしてみようと考えていたし、それほど古い年式のものでもないのでパチ物のリスクは少ないと判断した。結局誰にも競られることなく私は初のロレックス落札を体験したのであった。取引掲示板でのやり取りはスムーズで翌々日には非常に丁寧な梱包で私の手元に届いたのだが、そのロレックスを目にした私は次の言葉を口にした。「何じゃ、こりゃ?」。腹部を撃たれたジーパン刑事が目をまん丸にして驚愕とともに発したそれではなく、極めて冷静に淡々と私は呟いたのであった。「何じゃ、こりゃ?」と。

傷だらけであった(笑)。どうやったら時計にここまでの傷がつくのかというレベル。時計に傷があるというより、傷にまみれた時計。出品者は確か勿体なくてほとんど着用していないと書いていたのだが、ジャングルの奥地でゲリラとして活動していたのではないかと思った。そうゲバラのように。ただし本物である。それはもう日ロレに持ち込まなくても感覚でわかるほど明確に本物ではあった。シリアルを確認するためにブレスを外すと、そこには大量の茶色い埃だかゴミだか垢だか何かわからないがとにかく汚いものがびっしりと。今度は「うへぇ~」である。まずは爪楊枝にアルコールティッシュを巻いてそれを丁寧に除去。そして水道水で本体とブレスを洗浄。きれいにはなったがやっぱり傷だらけ。そして、タイムグラファーで日差を測ると、マイナス150秒。マイナス15秒ではない、マイナス150秒である。しつこいがここでもまた「何じゃ、こりゃ?」。

賭けは負けであった。単勝1倍台の大本命馬の単複を買ったらビリというぐらいの負け。先ほど書いたように私は返品交渉などはしない。なぜなら出品者の記載に嘘はないからだ。傷は無くは無いがきれいです。これは主観であって数値化されているわけではない。OHに出してはいませんが動作に問題はありません。ふむ確かに動いてはいる。針は確かに右回りに回ってはいる。正直に書くとその個体へのショックはなかった。ただ賭けに負けたというギャンブラーの心理を久々に味わった。1万円でもなく10万円でもないウン十万円の賭けに負けるというのは、経験者はわかるだろうが、ちょっと呆然としてしまうが、そこは気丈な自分、さっと気持ちを切り替えた。昔の武将は結婚にあたり、三日三晩続く婚礼の祝言でどんちゃん騒ぎをし、それが終わってからようやく寝間で相手の顔を見るという。そのときに「何じゃ、こりゃー?」と愕然とするよりはよっぽどマシだと私は考えた。即工房に持ち込み、初めて「研磨をお願いします」と依頼。数週間後に戻ってきたそれをすぐにリリースしたのであった。以前、「使わない時計はかわいそうではない」と書いたが、ここでもまた「すぐに手放される時計はかわいそうではない」を地で行ったことになる。嫁ではない、時計である。

まあオークションなどそんなものだろうと今は思う。大金をはたくものではない。ちょこちょこと安いCDや、せいぜいロレックスの冊子あたりを千円単位で買っている分には楽しいし、そういうスケールのお遊びとして今後は接していこうと考えている。今後、絶対にヤフオクでロレックスを買わないなどと宣言するつもりはないが、まあもう買わないだろう。先ほど書いたように、そこは賭場であり、それが麻雀だろうと競馬だろうと、すべての賭けは依存症ででもなければお遊びの範疇で楽しむものであり、失ったら心底痛いと思える額を張ってはいけないという意味において、私はヤフオクという賭場でロレックスは買うべきではないと自分を戒めた。

最後に、私は出品者に悪意はなかったと思っている。出品額が相場からは安かったことから、むしろ良心的な人だったとすら思う。普通に経済的余裕がある中でロレックスを買い、10年ほど使い倒してからヤフオクで売っただけのこと。だが、だからこそヤフオクは危険だと思った。そこにあったのは悪意ではなく落差だ。ロレ所有者全員が後生大事と丁寧に使っているわけではなく、そういう人と私の時計との向き合いに落差があり、それがまた世間と私の落差でもあるのだろう。ロレックスを購入して、「何じゃ、こりゃ?」はやっぱり正しくない。少しでも参考になればと思っての更新である。

流れていかない時計たち~ヤフーオークション

前に、私は比較的パチには寛容だと書いたが、最近のヤフオクに溢れるパチにはさすがに辟易してきて、どうせならタイプ品のカテゴリーでも作ってくれないかとマジで思う(チュードルなどほとんど偽物だらけで、いくらロレックスの廉価ブランドとはいえ、これではチュードルが可哀想だ)。出品は自由だが、はっきり言って時計リサーチの邪魔なのである。ついでに、本物であろうともなぜショップさんより高いんだという「個人出品ボッタくり価格品コーナー」というのも作って欲しい。今やパチとボッタクリと、オークションでも何でもない相場通りの“ただの売り物”、それらの合間にたま~におもしろいブツがあるというのがヤフオクの現状。今日はその中で私が最も好まない“ただの売り物”、特に個人出品のそれについて。

何年も前に、まだロレックス入門者だった私が有名な並行全国チェーンのある支店で手持ちを売ったときのこと。3本売却したうちの2本はそのショップさんのHPに載ることはなかったから幾らで売られたのかわからないのだが、一本(エアキング)は37万円で売られているのを後で見つけた。買取が22万円だったので、利益率は40%である。ずいぶんと抜くものだと思ったが、その法人の支店はどこも都市部の一等地にあり、店員も多く、地代や人件費を考慮するとまあ仕方ないと今は思える。ちなみに利益率というのは、仕入÷売価。1-(22万円÷37万円)である。約40%。この事例はさすがにやや割高だが、それでもショップさんはやはり買取価格に25%ぐらいは利益を乗せるのが普通だと私は考えている。

ヤフオクの話に戻る。オークションや個人売買のメリットは、掘り出し物が手に入りやすい、他にはやはり売り手・買い手にとって中間マージンのない良い価格で取引が出来るということであろうか。だが一方で多大なリスクがあるのは皆さんもご承知の通り。買い手にとっては、名も無い個人から買うという不安、またもしかしたら偽物、傷物かもしれないという不安があるし、故障した際の保証がないというリスクもある。一方、売り手もやはり相手(買い手)が見えない不安(金払いが悪かったり、狂気のようなクレーマーだったり、そういう悪質な買い手というのは一定数必ず社会には存在する)もある。

それらのリスクを冒してもヤフオクで時計を売買するのなら、上のエアキングをモデルケースに書けば、買い手は37万円よりは安く入手して然るべきであるし、売り手は22万円よりは高くないとヤフオクに出す意味がない。わかりやすく再度強調の意味で書く。

私のエアキングをお店は22万円で買い取り、それを37万円で新たな客に売った。

この事例をベンチマークにすると、そのエアキングがヤフオクで30万円で落札されたらかなり美しい取引だと私は思う。売り手は22万円より高く売れたわけだし、買い手は店頭相場の37万円よりも安く買えたので、お互いに相場よりもいい値で取引が出来ている。美しいなあと心から思う。入札者はこういうハッピーな着地を目指してBIDすべきだし、出品者はそうなる設定をしてスタートさせるべきだ。ライバルがいなければ入札者はもっと安く手に入るし、逆にライバルが多くて競ってくれれば出品者はうれしくてドキドキするだろう。それこそがオークションの醍醐味というもの。

だが今のヤフーオークションでは、個人出品者が中間マージンをすべてポッケに入れるという、エアキングを例に取ると、37万円か、下手するとそれ以上の価格で出品されており、そんな個体だらけ。いや、それどころか、それより遥かに高い値付けの物も多い。あるいは、誰もがげんなりする「最低落札価格」有りの出品。

インターネットが発達して情報をいくらでも拾えるこの時代に、そういう時計はまず取引が成立していない。実際のところ、店頭価格と同等かそれ以上で個人出品されているロレックスが落札されたのを、少なくとも私はこの数年間で一度も見たことがない。100万円超えのデイトナが落札されたことはあっても、やはり店頭価格よりは安かったからだ。だから、取引が成立していないために実害はほとんどなく、在るのはそういう値付けをされたままいつまでもとどまり続けているたくさんの時計たちである。

ある医師が私に言った。「流れることが大事なんです。血液がさらさらと流れないと細胞は死んでいく。川もそうでしょう。流れない川はよどみ、そして腐臭すら放ち始める。あなたの生きるビジネスの世界も同じはず。物とお金が動くこと、それが大事でしょう?」。

なぜ流れないか。はっきり書いておく。誠意がないからだ。

私が働く業界でかつて“ビジネスの神”と呼ばれた男がいた。本当に手品のように億単位、数十億単位のディールをまとめ上げ続けるその手法は今もって私には真似できないのだが、彼のすごかったところは30年以上そういう実績を上げ続けたことだ。つまり彼は“勝った男”ではなく、“勝ち続けた男”だったということ。清濁併せ飲むとは彼のようなことを言うのだろう。汚いところもたくさん持っていた役員だった。その彼が当時まだ20代だった私にビジネスとは何だ?と、まるで禅問答のように問うたことがある。面接マニュアル本に書いてあるような詰まらない答えを言おうとした私を途中でさえぎり、まるでやくざか犯罪人のような面相の“神”は真顔で「ビジネスとは相手を幸せにすることだ」と言った。考えてもみなかった答えだったので、私は竹刀で頭をぶん殴られたように気持ちになったことを今でも覚えている。今、思い出すと、毎日誰かが彼を訪ねてきていた。いつもひっきりなしの千客万来。そういうことだったのだろう。

ロレックスは高い。売るのも、買うのもべらぼーに高い。日々汗して働いた給料から絞り出すように捻出したお金で買うわけで、そうであるからこそ、私はいつも自分も相手も笑顔になれる買物にしたいと思う。お店は売れたことで利益となり、それが家賃や従業員の給料、あるいは次の仕入の資金となり、時計という市場の中で物とお金が動いていく、そして私もまた自分の稼いだお金の対価として欲しかった良質な時計が手に入る。お互いに「ありがとう」の対等かつ友好的な関係であり、そこには笑顔があり、幸福感すら漂う。

ヤフオクでも、誠意ある出品はたくさんあることを私は知っている。過去手作りのお猪口を買ったことがあるのだが、とても丁寧な品で届いたときの心づくしもすばらしいものだった。又ある廃盤CDを落札した際に取引連絡で盛り上がり、送られてきた商品にたくさんのグッズが同梱されてきて、私もうれしかったのでお返しをしたことも良き思い出である。だが、ことロレックスになると、もう欲望ギラギラの出品ばかり。相手には相場通りの高額な出費を強いて、自分だけが得をし、そしてお決まりのノークレーム・ノーリターン。買い手への思いやりもきっとゼロではないのだろうが、その欠片ですら見出すのは難しい。

流れゆかずいつまでもとどまり続ける時計たち。そこにあるのは時計ではなく、時計に姿を変えた人間の欲望であると言ったら言い過ぎであろうか。私は一度だけヤフオクでロレックスを買い、痛い目に合って懲りた。あまり振り返りたくない出来事だが、読んでくれている方々の多少の参考にはなるだろうから、次回はそのことについて書く。それにしても今日は暑かった。みなさん水分補給としっかりと睡眠を。
プロフィール

オイパペ

Author:オイパペ
ロレックスとともに

カウンター
最新記事
リンク
検索フォーム
PR
カテゴリ
最新コメント
月別アーカイブ
RSSリンクの表示
QRコード
QR