反省

それにしても前回の文章は下手だ。あの日、というのは7/1の土曜日の夕方のこと、予定外に仕事が早く終わったので、たまには更新しようとがんばって書いていたのだが、途中で飽きてしまい(すまぬ)、さらに腹が減り、かつ仕事が終わったので無性にビールも飲みたくなってしまったのである。それで、何と言うか、適当というか、かなり雑にそそくさと書き終えてアップ、近所の鄙びた中華料理屋へ行って長崎ちゃんぽん&ギョーザセット・ウイズ・生ビール(生ビールはお代り有り)を。いい気持ちになり、事務所に戻ってグースカピーと寝てしまったのである。今読み返しても支離滅裂だとは思っていないのだが、かなり乱暴な文章であるのは間違いない。

前回の記事で書きたかったのは、自分を含む多くの時計好きは余計な観念に捉われ惑うものだが、そういうものから解放された時計というのは良いものだと、そこで終わっていればスッキリしたのだが、ツラツラと余計なことを書き足すものだから、今読み返してもとても分かりづらい。相変わらず文才欠如である。そういう本当に好きな時計を得たにも関わらず、我は相変わらず余計な観念に縛られているよなあ、でも趣味って結局はそういう「しょうもないこと」に縛られるものだよなと、その堂々巡りぶりを書いたつもり。自分で言うのもなんだが大した内容ではない。だが、「あっ、時計屋のためになっている」…の下りは「ふぇふぇふぇ、我ながらおもろいやんけ」と自画自賛したことをここで告白しておく。ダウンタウンの松ちゃんがギャグを口にして言い終わっていないのに、その面白さについ自分が先に笑ってしまっているのと同じ構図。それに、たまにはこうやって自分で自分を褒めないとブログなど面倒くさくてやってられないという側面もある。

今日の東京は梅雨の中休み。日差しが眩しかった。暑い日が続くので、5桁以上の時計(スポーツ系)はたまには水道水でじゃぶじゃぶ洗うことをおすすめする。やってみると分かるがとっても気持ちよい。細かいことは気にせず、手洗い用の石鹸の泡でゴシゴシ洗ってよい。ただし竜頭はしっかり閉めること、これ大事。そして、多くのロレ好きはもう決して若くはないのだから過信せずお互い身体には気をつけたいもの。夏は大雨による天災やら事故が多い季節でもある。小さい子どもがいる人は特に。平凡な日常こそがありがたい。では、また次の更新で。

【質問への返事】
1675のMK2はシリアル51~の77年製はあると認識している。下記リンク先はMK2のシリアル51~である。針が交換されているので本当にオリジナルダイヤルかと問われたら断言はできない。基本的にMK2は1971年頃の個体に多い。参考になれば。
https://www.hqmilton.com/timepieces/80x7g53r/1978-rolex-gmt-1675-3390
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本当に好きな時計

私にはいつか書きたいと思いつつまだ書き切れないでいるあるテーマがある。それは「時計とは観念である」というもので、これこそが自分が時計、特にロレックスを愛好するようになって以来の大きな課題のようなもの。それは多少大げさに書けば自身の心中を探る旅のようなもの。まあ年内までに整理してここにアップしたいと思う。

今日は違う話題なのだが、多少そのテーマにも関連する。皆さんにとって本当に好きな時計は何であろうか。それを言い切れないのがロレ好きの性(さが)であろうが、私はもう何年も前からそれは決まっていて、別に隠すことでもないので公表するとチュードルの青サブである。イカ針ではなく、普通のベンツ針。中でも好みの色合いというのがあって、鮮やかすぎず、ややくすんだブルーベゼルのそれ。

小さいし薄いし、とても安っぽい。普段よく使うシード16600やオメガ・スピマスから付け替えるとその貧弱さは決定的である。だがこの地味で安っぽい時計は私の身の丈に合っていると感じざるを得ない。私は体格もごく普通だしイケメンでもなく(だいたいもう歳だ)、ファッションセンスがいい訳でもなく(そもそも大して興味もない)、まあ自分で書くのも何だが要するに私には華がない。だから残念ながらデイトナや金無垢が似合わないということは自分が一番よくわかっている。

元々ブルーは好きで選ぶ服や靴は青系が多いというのもある。書いていて気付いたが、眼鏡やマフラー、海パンも青だ。これはかなりのブルー好きだな。そういうこともあって、飽きやすい色物の割に私は地味なステンレス製の青サブが好きなのだろう。ご存知の通り、ロレックスにはコンビや金無垢はあってもSS製の青サブはない。私は自己顕示欲や承認欲求が時計趣味のベースにはないので(すべての人がそうだとは言わないが)、金無垢や宝石付きに魅かれることもない。この地味さ加減がいい。また、この時計がチュードル・ブランドだから好きなのでもなく、もしこの秀逸なデザインと色調がタグホイヤーやシチズンから出ていれば、私はそれを買い求めるだろう。

この時計への私の扱いは極めて雑である。傷とか気にしたことないし、ブレスを外すときにロレだとするテープ貼りなど絶対にせず、その辺にごろんと転がすように置くこともある。ケースもブレスもう傷だらけ。傷だらけの人生、いや時計。

冒頭に書いた「時計とは観念である」。観念で捉えることなく手にした初めての時計なのかもしれない。最終品番がどうとか、マイネーム・ギャラだとか、ノンポリッシュだとか、出荷国はどこだとか、細かいすべてのパーツがオリジナルかどうかとか、文字のレタリングがどうだとか、タグや当時物の箱なっどの付属品はすべてそろっているかとか、もう数えきれない、本来の道具として時計の本質とは遠いくせに、自分を縛り付ける多くのことから、この時計は解放され自由である。もちろん今比喩的に書いた。解放され自由であるのは私自身だ。

だが、それがゴールではない。それはもはや趣味ですらないからだ。矛盾するようだが、あらゆる拘りや我執に囚われ、惑い、魅了されてこその趣味なのだ。大した意味や意義はなく、ほとんどは金と時間と労力の無駄遣いであり、他人にはまず共感してもらえず、多分ほとんど世の中のためにもならないものが個人の趣味ではないか。世の中のためになる趣味などあるだろうか。ひと様の為になっていることでそれは趣味という領域のものではない気がするのだが。あーあー、すまぬ。時計屋のためになっていた(笑)。ここまで真面目に書いたのに、最後は落語のようなオチに。お後がよろしいようで、、、と書きながら次はいつになることやら。ではまた今度。

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