コレクターであるということ

今回は前回の記事の続き。本当はもっと詳細にと思ったが、仕事が忙しく疲労も濃いので簡単に(多分)。

前回記事にしたように、今やシードゥエラーが私の唯一の普段使い時計となっている。たまに極上のアンティーク・ロレックスを目にすることがあるが、そのたびに自分もこういう風に経年変化をさせたかったとつくづく思う。ルミノバはトリチウムのように、いい具合に経年劣化はしないだろうが、それでも今からでも遅くないだろう。その思いの強さが、その他のロレックスを遠ざけてきたというのは前回書いた通り。

そしてケースにしまわれたままの時計について。私は最近自分はコレクターなのだとシンプルかつ明確に自覚するようになった。こんな当たり前のことにたどり着くのに結構な時間がかかってしまったのは、おそらく使わない時計というものに何らかの後ろめたさがあったからだろうと分析するが、今やそんなものは胸中にはない。基本的には仕事人間で、他にはあまり金を遣わない私の数少ない趣味だ。自分で節操を持ってやっていればいいかと。

コレクター…。確かにいい響きではない。どこか暗く独りよがりで陰湿な悦びの香りすらする。だが私は自分で言うのは何だが、ロレックスをコレクションすることについては実に朗らかである。傍から見ると相当楽しそうに映るに違いない。実際、私が仕事を終え、一日の最後に考えるのは大抵時計のことだ。夜に難しいこと(主として仕事のこと)は考えないようにしている。少々の酒をたしなみながら、ショップのHPやロレ好きのブログを訪問する、時計を眺める、手入れをする。次に何を入手しようかと思いを巡らせる…。それらはささやかであっても、自分の楽しく大事な時間だ。何も悪くない。

今回書いたことは、回り道ではあったが、ある種開き直った末の私のひとつの到達点である。他人様(ひとさま)からするとオーバーな物言いかもしれないが、私はそう感じている。お蔭で気持ちが楽にもなった。おそらく私はシードを使い倒しながら、一方でこれからもロレックスのコレクターであり続けるのだろう。つまりこれからも買うということ。もちろん身の丈に合った範囲で。手放すこともあるだろう。

そして、集めたロレックスのことをまた理屈っぽく思考していくことになるに違いない。なぜなら集められたそれらは私という人間の心を象徴する何かだと思えてならないからだ。結局のところ、私はそのことに強い関心がある。
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