知らぬが仏

ここのところ、相変わらず時間を見てショップを巡っているのは、古いロレックスを見るのが楽しくて仕方がないからで、どうにも私はアンティークに魅かれているようである。ただし、不思議なことに買いたいとはまったく思わず、ネットでロレックスの歴史を調べ、たまに店で眺める。購入意思がないため、最近は申し訳なくて手に取らせてもらうことはせず、単にショウケース越しに眺めるだけ。時計そのものより、古い時計の世界観が好きなようである。一本も持っていないので、自慢になどならないが5桁までのデイトナについては結構詳しくなった。特にエルプリの文字盤やベゼルの無数の組み合わせは、世界中のHPに掲載されている様々なパターンをデータ化している(笑)。どの年代にどういう冊子やタグが付くかまで。

エルプリの逆6にはいつも笑ってしまう。何だろう、これ(笑)。ある時期にこそっと正6に戻したあたり、意図的ではなくミスプリントだろうという気がして、密かに私はこれをエルミスプリと呼んでいる。だが、他のインダイヤルはセンターから見た向きで数字を記載しているので、逆6こそが正しかったのではないの?と突っ込みたくもなる。ロレックスの歴史をたどると、実はいい加減というか、そう思わざるを得ないことがたくさん出てくるが、その曖昧さもまたロレックスの魅力でもある。

今日の記事はケースのシリアル番号と販売時期のずれについて。

地味なテーマである。シリアル番号がその時計のある程度の製造年を示すものだというのは誰もが知っていることであるが、古いロレックスを見ていくと、どうにもおかしな個体に出くわすのである。先代のミルガウス1019の実物をある店舗で見せてもらった際に、シリアルは1980年を示す6で始まるのに、ギャラの日付が1988年の個体に出会ったのがきっかけ。実はミルガウス1019を海外のショップも含めてリサーチしていると、6から始まるシリアルが非常に多く、やはりギャラの日付が後年であるパターンが多いのである。

普通に考えられるのは1980年に作られた個体が売れ残って、ようやく8年後に販売されたという推測。店員さんもきっとそうだと。これは基本的にはシリアルは製造年を示すものとしてある程度は機能しているという見方。

一方で、ケースの製造と実際の製造にずれがあるのではないかという推測も成り立つのではないか。つまり1019のケースを大量生産したものの、各国からのオーダーが少ないため、何年かかけてそのケースを使いまわしたか。これはケースに刻印されたシリアルはあくまでケースの製造年であり、実際の製造(組立)は別であるという見方。

実際のところはわからないが、シリアルの数字順に製造されているのなら、Z番でなぜ若い番号にルーレット刻印があり、後半でなしがあるのか。いくつかのパーツを製造している供給元からの異なった形状やプリントの文字盤を組み合わせて作っているというのが私の推測で、デイトナの16520の200タキや225タキ、そして段落ちや4列表記のことを調べているときにも、そのことを思い出したのである。1987年頃にR番として登場した最初期のエルプリ・デイトナは一般的にmk1ダイヤル(段落ち&逆6)に200タキから始まったはず。(通常400タキもある)。次のL番だと、mk2(4列&逆6)に225タキやmk3(通常5列&逆6)に225タキや通常400タキなどが混在する。いや正確に言うと、それらのほとんど(すべてではない)の組み合わせが散見される。

このいい加減さというか、法則の無さはどういうことかと考えるわけで、これは先ほどの考察の後者が正しいのではないかと。つまりベゼル、ケース、ムーブメント等は別個に生産され、その組み合わせによって何パターンもの初期16520が存在するということ。言い切ってしまえば、我々日本人にはそういう正確さを求める部分が濃厚でも、欧米人はそういう細かいことは気にせず、いい意味で適当なのではないかと思うし、そこに過去のロレックスの洒落っ気というか、おおらかさを感じるのである。

ただ、そのあいまいさゆえ、アンティーク市場においては、ガッチャや模造が絶妙にからまってきて、魑魅魍魎が跋扈する世界にもなっていることも事実。これらパーツの違いが大量のパチがはびこる要因のひとつともなっているのだから、ロレックス社も頭が痛かったことだろう。

リダンも同様。足を踏み入れていないだけに気楽なものだが、何百万出してオリジナルと思いきや、実はガッチャだったとなると泣くに泣けないが、今は真贋を測るすべがあまりないことがむしろ幸いとなっている側面もあるのだろう。あるアンティーク店の人が他の客に「市中に出回っている手巻きデイトナでオリジナルなどほとんどないですよ。まあ知らぬが仏ってやつですわ。グワッハッハッハ」と豪快に笑っており、その言い草に光の加減でショウケースに映る私の顔もまた思わず笑っていた。フフフ、知らぬが仏か。深いなと。深すぎるなと。常々思っていることだが、時計との関係は女性との関係と似ている…、いやいやこれ以上は書かない。ただ、知らぬが仏の境地は何事にも大事ですぞ、グワッハッハッハと、いろいろと経験した50オヤジの私は言っておく。知らぬが、ホ・ト・ケ。大事、大事。

サブやシードの赤表記、縁のあるなし、怪しげなダブルネーム、フォント(書体)の違いなど、アンティークロレックスは本当におもしろい。今あるやつを全部手放して、ガッチャのポール・ニューマンでも入手して、「うむ、知らぬが仏である」という境地でいられれば、私も大したやつだと自分をほめるだろう。もっと突き抜ければ、時計など所詮取るに足らない自己満足の世界でしかなく、ロレックスのオリジナルだろうと、どこかの職人が作り上げたまがい物だろうと、どちらも大した違いはないなどと思えればもう怖いものはない。

何百万円を出してアンティークを入手、10年後に売却する際に、社外品を使われたまがい物だと告げられたら、私は腹を立てるか、あるいはショックを受けるだろうが、そういうのは嫌だなと思う。へえ、そうだったんだと思えるようでなければという意味。まあよほどの大人(たいじん)か阿呆か。その紙一重の域に達しなければ、もう自分のブツはオリジナルだと無理やりでも思い込むしかなく、そのスタンスは少々息苦しい。これは、パチモンでもいいではないかと言っているのではない。だが、本当にオリジナルのロレックスであることを証明することが困難な以上、最後の最後は“知らぬが仏”の心境も大事だという私の勝手な結論。

時計というものは、いやロレックスというブランドは、つくづく人の心を写す鏡であるなあと思う。欲望の深さ、浅さ、執着、やっかみ、見栄、自尊心…、普段は蓋をしているそういうものが噴出する。そういう意味では、ロレックスという時計もやっかいであるが、真にやっかいなのは正に人の心であろうかとも思う。

「ケースのシリアルと製造年のずれ」というテーマから横道に大きく逸れてしまったが、この原稿を下書きに入れてしまうと、またいつ日の目を見るかわからないので今日はこのままアップ。皆さん、よいGWを!
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