時計を愛するということ

先ほどまで大量に溜まってしまっているブログの下書きを整理しており、その大半はゴミ箱に入れたのだが、その中で「曲り角のヴィンテージ」、「時計を愛するということ」、「使わない時計はかわいそうではない」、「他人の価値を認めるということ」、「依存すること」、この5つは捨てるのはやや悩ましく、今はその中で「時計を愛するということ」の原稿に上書きをしている。実際にこの原稿を書いたのは随分前(2014年の夏ぐらい?)のことだということを最初に書いておく。

こうしてブログを書くにあたって、自分が決めていることがあり、まあ些細なことなのだが、それは所有したことがない時計のことや、自分とは趣味や感性が違う人のことを貶さない(けなさない)というもの。これだけは肝に命じており、これまで「好きではない」までは書いたが、それ以上のことは書いていない。

前に時計との関係は女性とのそれに似ていると書いた。今でもつくづくそう思う。男が時計を愛する気持ちというのは非常に性的な行為である。

Klimt.jpg

《接吻》 クリムト・・・恍惚の中にいる女性、だがよく見ると彼女は絶壁にひざまずいている。愛は刹那であり黄金のように輝くも、その愛の向こうにあるのは、虚無であり死ですらある。

時計を求める気持ちというのは、はたから見れば滑稽なほどに切実で真剣である。純粋であるといってもいい。文字盤が美しいとか、ブレスの中駒の鏡面がキラキラしていて良いとか、着け心地(笑)がサイコーとか、王冠の向きが真っ直ぐではないとか、サイズが大きいとか、白がいいとか、ムラサキが妖しいとか、そこがいいんだよな~とか、最後は金無垢だとか。他人からすればどんなゴタクも笑いものだが、愛は盲目であり、本人は真剣そのもの、ため息をつき、ロレックスが似合う男になるために服や靴にまで磨きをかけ、時に悶絶しそうなほどに思い悩む。恋愛とそっくり。愚かである。愛はすべてを奪う。

そして成就する(入手する)やすぐに飽きてしまうところ、そしてすぐ他に目移りしてしまいがちなところもまた。

キリスト教の4つの愛でいうフィーリア(隣人愛)やアガペー(真実の愛)ではなくエロス。ロレ好きは黄金の矢で射られた愚かな者たち。

もし私が書くように時計が女性との関係に似ているならば、他人の時計をけなすというのは、ひとの女房や愛人をけなすのに等しい。こんな時計のどこがいいのだとか、文字盤が恰好悪いとか、ラグが太いとか。それらはオマエの女はブスだとか、性格が悪いとか、デブだとかと言うに等しいわけで、これは慎まなければいけないと、いろいろと経験した私は思うのである。他人にとって価値はなくとも、当人にとって大切なことなのであるから。

同じ工業製品でも、私は所有するDVDプレイヤーやスマートフォンをけなされても別に不快には思わないが、それは別にそれらに愛や恋慕を感じているわけではないし、それらの価値は性能であり、時に数値化すらできるものだから。だが愛や恋を数値化できないように、時計への思いもまた数字に表せるものではない。

さらに続ける。時計をけなしているだけならまだいい。もし、けなす対象が時計にとどまらず、相手の嗜好そのものをけなせば、それは相手の心や人格をけなしたり笑いものにしたりするのと同じことである。ひじょうに独善的で卑しい行為だと私は思う。ヴィンテージなんかにハマって、コイツは馬鹿じゃないかとか、細かい文字盤の違いにこだわるのは愚かだとか。言う当の本人が別の何かにはまっていたりする。

いろいろな価値観がある。100人いれば100通りの価値観があり、それらはその人の生い立ち、過去の経験、様々なことを経てのいまの心の有りよう。正しいか間違いかという他人の尺度で測れないもの。それをけなすことはしたくないし、すべきではない。もちろん心に想起することは人の自由。個人の脳みその中での想像や思考は決して罪ではない。だが、それを口にしたり、表明することは別だということ。

人には自分の感性がある。それは大切なこと。磨いていきたいもの。だが、自分の感性というフィルターを通してしか世界を見られない人は、辛辣な言い方になってしまうが二流の人だと思う。他者の視点を持つこと、例えそのことに共感は持てなくても、様々な価値観で溢れるこの世界を見るときに、他者の感性というフィルターも通さないと、絶対に見えないものもある。そして、最終的には自己とは違う価値観も認めていく許容を持ちえないと。特にある程度年を経れば。若いうちはいい。自分の感性でだけ突っ走り、価値を同じくする者たちと群れることもまたよい。だが当たり前のこととして、世界という名の大海に出てみれば、自分(たち)の感性や価値観だけでは通用しないことがよくわかる。自分の価値観、それは自分という固有の人格にしか生み出し得なかったものであり、だが、それこそが自分自身であり大事であるからこそ、他人のそれもまた大事なのだという、極めてシンプルなことに行きあたる。

私は現行のロレックスが好きではない。だが、それを好きだという人の思いは、同じ時計好きとして大事にしたいし尊重もしたい。私はがびがびにひび割れたアンティークのスパイダーダイヤルを良いとはまったく思わないが、それを良いと思っている人の話は微笑みとともに聞くようにしたいと思っている。

ところで、女性はあまりロレックスにハマらない。文字盤がどうとか、枯れがどうとか、最終品番がどうとか、彼女たちのほとんどは関心を持たない。女性の性はまったく違う。ヴィトンのバッグやカルティエのリングにハマる女性たちもやはり性的ではあるが違う。どう違うかは、うまく書けない。正直に言うと、多分こうだろうと感じていることはあるが、これ以上そこは覗き込まないほうが幸せな気がしている。

接吻2


明日から当分多忙な日々が続く。仕事が溜まってしまっているので、このブログはしばらく休み。ところで、恋愛とセックスは切り離せないが、ロレ好きにとって最大の快楽であるセックスや射精にあたる行為は何だろうと考え、やっぱり新しいロレックスを買うことだなあと、それはまさしく射精の快楽に近いのだ!迷っているときは前戯だな、道理で直情的で買った後は急速に冷め・・・などと書こうとして、さすがに躊躇してやめた。が、どさくさに紛れてコソコソとここに書いておく。
賛成の方は拍手を↓(笑)。反対の方はPCの前でブーと。みなさん、引き続き良い時計ライフを!
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