新しい扉

今日は前回予告した記事を書く。結論から。「私はヴィンテージロレックスが好きではなかった」の巻き。

最初に関心を持ったヴィンテージロレックスはミルガウス1019のシルバー文字盤である。私はスポロレも好きだが、エアキングやオイパペ、旧エクワンなどドレス系に近いモデルも好きであり、1019も私にとってはそういう範疇のモデルであった。端正なミドルケースとベゼルの形状、そしてシルバーの地味目な文字盤にやや派手な赤いMILGAUSSのラインと赤いハンズ。最初にこれがヴィンテージのカテゴリーと意識せずに、単に自分の好きなデザインなのだということを強く意識すれば、道を誤ることもなかった。ここが入り口だった。

市場におけるこの時計の平均価格は本体のみでも250万円前後と、現役時代の不人気ぶりが嘘のような価格。ひとえに生産数が少なかったことがその要因で、ヴィンテージ市場においては、皮肉なことに“売れなかった”ことが、その後の異様な価格高騰の大事な要因となっている。ポールニューマンも然り。現役時代の不人気も、それゆえの価格高騰も私にとってはあずかり知らぬことであり、そういう意味ではこの時計が好みであったことはアンラッキーである。エアキング5500のような扱いであれば、どれだけ幸運だっただろうか。10万円台という価格である。私たちは幻惑されてしまっているが、30年も40年も昔の時計の値段としては、ハワイにだって行けてしまう真っ当な価格である。250から350ほどもするミルガウスは憧れながらも高価過ぎてリアリティーに欠ける“心のロレックス”にとどまることになり、私はそこを入り口として多少強引にヴィンテージの世界を覗き込むようになる。要するに手が届く古いロレックスに向かったのだ。

ある海外サイトで見た5513のプラドームに魅かれ、1680の黒い文字盤に一本だけ引かれた赤い文字に魅惑された。元来凝り性の私はこのブログに書くことをモチベーションとして、古いロレックスのことを徹底的に調べた。実際の時計とは乖離して、私は妄想の中でヴィンテージロレックスに深く深くはまり込んでいったことになる。

だが、春先にある店舗で初めて憧れの1019をじっくり手に取って見せてもらったときに味わったあの失望感。研磨されまくって痩せたミドルケース、痛んだ文字盤に錆びたハンズ。感動は湧き上がっては来ない。いわゆる“ヤレた”感に魅かれることのない自分のおかしな感性、これだけ頭の中ではヴィンテージに魅かれるくせに、実物での感動の無さはどうしたことかと、興味を抱いた最初期から私はそんな自分でも説明の出来ないモヤモヤとした感覚のまま結構な日々を過ごすことになる。

サブ5513のドーム風防は心底格好いいと思い、だが休日に中野のショップを訪問、ショウケース越しに眺めると、やはりトキメキはない。針だけ交換されたアンバランス感、ひび割れた文字盤、伸び切ったブレス。会ったことのない誰かによって徹底的に使い古された時計。う~ん、これ欲しいかあ?普段なら欲しいと思えば、多少は無理をしても手に入れる性質の私が躊躇したのは、無意識レベルで警鐘が鳴っていたからとしか思えない。ビジネスでよく経験する、理由はわからないけど、これは「違うぞ」という “ぞわぞわ”した感覚がここで働いたのだ。

何度も書いてきたが、私は時計を時間を知る道具と位置づけてはいない。自己を真に満足させるもの、そしてファッションでもあり、願わくば生き方の自己表現でもありたい(←上手く言えていない)。トキメキもなく何十万も出せるわけがない。

覚醒するきっかけとなったのは、先般のミニオフ会。某氏のvery mint な5桁サブデイト16610LNを見たとき。それまで見向きもしなかったモデルなのに、増してヴィンテージにハマっていた真っ最中なのに、私は確かにその時計の美しさに心魅かれたのである。当時はあまりにも経年劣化した時計を見過ぎていた所為だろうと思ったが、そうではないことが数日後にはっきりとわかった。会社からの帰り道で。嗚呼、わかったと。もう少し正確に言えば、そうだったと忘れていたことを思い出したのだった。最初の頃、私は確かに自覚していた。自分はヴィンテージが好きではないと。あの感覚は気持ちの底のほうできちんと生きていたのだ。

そう、私はヤレたヴィンテージロレックスが好きなのではなかった。私が好きな(デザインの)ロレックスがたまたまヴィンテージなのだと。似て非なるもの。私は女子大生が好きなのではなかった。たまたま好きになった女が女子大生だったのだ。違うか。私は熟女が好きなのではなかった。たまたま好きになったのが人妻であった。だから人妻全般が好きだというわけではない。う~む、違うようでもあるが、言い得ている気もする。

私にとってロレックスの良し悪しとは機能・性能ではなく、デザインがすべてだと以前書いた。それは今も変わってはいない。私はシルバー文字盤に赤い文字と針が映えるミルガウス1019のデザインが好きなのだと。その時計が不幸にして何十年も昔に生産中止になって、ヴィンテージのカテゴリーに入れられているだけなのだ。サブノンデイト5513も同じ。あのシンプルな文字盤、縁のないインデックス、ドーム風防が好きなのだと。赤サブも同様。サブのベーシックな文字盤をベースにした、あのたった一本の赤いラインが私は好きなのであって、インデックスが濃く焼け、そこにシミや剥がれがある、いわゆるアンティーク感満載の1680レッドサブが欲しいわけでは決してない。前々回の赤サブ記事の写真がすべてを言い表している。

嗚呼、自分は徹頭徹尾デザイン主義の男であった(単に面食いとも言う)。簡単に書けば、美しい個体の1019や5513を私は求めていたのだ。そんな奇跡的な個体がそうそうあるわけではなく、私はリアルな古くヤレた時計たちに失望し続けていたことになる。こういうことが自覚できていなかったことは愚かしいとは思うが、実はそれなりに筋は通っていたんだなあと少し自分を褒めたい気もする。あの「どこか違うぞ」という ”ぞわぞわ” した感覚はこれだったのだ。大金をはたいてから気付いたのではなかったことは素直に喜ばしい。

そして、最新こそが最良、あるいは時計はきれいな方が好ましいという当たり前の感覚を持っていたのだということも改めて自覚したのだ。それでも6桁に行かないのは、その大きく華美な基本デザインが好きではないからであり、徹底的にデザインをこそ最上位に置いているのだということを、今回の長かった思考の末に改めて自覚できたのであった。私はビジネスでもそうだが、感覚的に動いてしまう男で、であるがゆえに後で思考を凝らして、自分の感覚が正しかったかどうかをよく検証する必要に迫られる。文章から理屈っぽい、あるいは理詰めなタイプを想像されるだろうが、日常においては逆のタイプ。

全部氷解してゆく。実は私は不思議だったのだ、これだけヴィンテージにハマりながら、なぜGMT好きの私が1675にはまったく魅かれないのか。今は理解できる。青赤のペプシGMTのデザインは好きではあるものの、その基本デザインは5桁までは継承されているがゆえに、私には必要がなかったのだ。選択肢が多いなら、時計は新しいほうが私は好ましいから。その結果として、最も新しい最終品番の16710だったのだ(現行の6桁GMTのデザインは好きではない)。だが、1019や5513、1680は違う。5桁や6桁にその歴史は継承されていない。赤い表記があるサブマリーナは1680で、縁なしインデックス&プラドーム風防の5513は、そのデザインが引き継がれることなく何十年も昔に生産が終わってしまったのだ。

改めて書く。私はヴィンテージ時計が好きなわけではなかったと。

だが、覗いたからからこそ感じ得ることだが、たぶん、ヴィンテージロレには深い真髄がある。多くのヴィンテージマニアにしか分からない世界があるのだろう。それは単に外観のヤレだけではなく。古いロレックスの作りの良さや手作り感、丁寧さ、黎明期ゆえの制作者のこだわり、もっともっとあるのだろう。足を踏み入れた者だけにわかる良さがあるのだろう。そこをくぐった者にだけわかるヤレの味わいというものもあるのだろう。だが、私はそこへは足を踏み入れないつもりである。私にはもう時間がなく、そしてたぶんそこまでの情熱がない。1019のようにヴィンテージの世界には異様に高い価格の壁がある。簡単に書くと、そこまでの金もない。

それでも私はいつか好きな古い時計を1本は持ちたいと思う。それはヴィンテージだからではなく、好きなデザインの時計として。自分の心に従えばそれは言葉通りに“きれいな”時計であって欲しく、だが40年も過去のミントな時計などにそうそう出会えるものではなかろうが、もし出会えたら幸せであるな。

この扉を開いたことで、たぶんこれからロレックスとの向き合いは劇的に変わる。事実、私はすでに集約に動いている。本当に好きな時計だけを持っておこう。もし、それが一生を共にすることになるのならばそれは幸せなこと。手放すこともあるかもしれない、先のことはわからない。今を生きる。今日の続きのネタがもう少しあるが、それはまたいずれ。もう少し掘り下げてから。今回の記事は極めて個人的な彷徨でしかなく、だらだらと長い文章にお付き合いさせてしまったことを申し訳なく思う。私自身の為にはどうしても書き留めておかないといけないことだったので。
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