2種類のロレ好き

5512 OPEN6 METER FIRST

この前、次回の記事は多分おもろいなどと自慢げに書いたが、今これを書き終えて読み返してみるとあまりおもしろくない(ガクッ)。いやはや申し訳ないと最初に謝っておく。今日は2種類のロレ好きについて。

ロレ初心者の多くは私もまたそうであったように、最初にエクワンやサブ、あるいはエアキングあたりから入り、GMTやらグリーンサブ、シード、ディープあたりをぐるりと回った後でデイトナというひとつの到達点にたどり着く。そこからは千差万別。ヴィンテージに行くもの、希少物へ走るもの、金無垢や別の雲上ブランドへ行くものも出てくるし、同じところをぐるぐると回る(同じモデルを何度も何個も買う)ものもいる。

その中で金無垢時計だけは私の理解の外にあった。私が最初にあれっ?と違和感を抱いたのは、少し前にロレブログでやたらと金無垢の記事を目にするようになった頃のこと。正直に書くと、「なぜそんなにわざわざ趣味の悪いことをするのだろう」と不思議に思ったのだ。自分のその感情に悪意や妬みはまったくなく、純粋に違和感というか異質さを抱いており、その異質さをずっと引きずっていて、最近ようやく気づいたのだ。私にとっては、大げさではなく、暗かった部屋の窓がバン!と開いた気分。そうだったのか!ようやくわかってきたゾと。

ロレ好きには、ロレックスや金無垢時計を外に向かって表現できる者と、そうでない者がいることに思い至ったのである。便宜上、前者を外交的自己表現タイプ、後者を内省的自己満足タイプに分ける。私は後者である。疑いようもなく後者だ。今日はそういう話。

実のところ私は人前でロレックスを露わにしたことがほとんどない。会社でも常にシャツの中。まず滅多に話題にも出さない。時計を人目にさらすこともない。私は大事な商談では絶対に見えないように気を遣うし、場合によっては胸ポケットに入れてしまう。以前、ちょっと気を遣うある目上の人との酒席で不覚にも見られてしまい、「それロレックス?」と問われ、前から用意していた答え、「いえ友人にタイ旅行のお土産で買ってきてもらったパチ物です」と。

はっきり書くと、私は自分のリアルな生活環境において、ロレックスをしていることを表明したり、また自慢したりすることを恥だと思っている節がある。恥というより多少嫌(いや)らしい、あるいはやや嫌味な行為だと考えていると書いたほうが近い。これは多分に私が成り上がり野郎だからだ。下流からやっと中流に成り上がった野郎だからだ。もちろん今の時代の話だから、家柄や血筋の話ではない。私は若い頃は常に金がなかったので。私の場合の“金がない”というのは財布や銀行に金がないのではなく、借りる金すらないという意味で、これは分かる人には分かるはず。分からない人はこんなことは一生分からなくてよいこと。

話を戻すと、ステンレス製のロレックスですらそうなのであるから、そんな私にとって金無垢など論外である。前にロレックスはデザインがすべてだと書いたが、金無垢時計はデザインの良し悪し以前にリアルでずっしりとした実体としての価値を伴っている。それはリッチであることの自己証明であると同時に他人への堂々とした自己表現でもある。私からすると、語弊があるだろうし、失礼を承知で書くならば、キンキラキンの時計をしている人を見ると「だ、大丈夫か?」と声をかけたくなるのだ。何というか、裸の札束を手に道を歩いているような危なさを感じてしまう。今は滅多に足を運ばないが、20代から30代にかけての10年間ぐらい夜な夜な歌舞伎町に出入りして酒を飲みながら賭博に興じていたので(マジである)、金無垢の時計などしていたら、下手したら2週間ぐらいで何らかの目に遭うという感覚を今も持っている。路上で脅し取られる、暴力とともに奪われるとかそういうこと。その感覚は50を過ぎても身についてしまっており、人間の凶暴性や暴力を目のあたりにしてきた経験から、私は終生金無垢の時計をはめることはない。それをはっきりと書いておく。ただ、そういう私自身の感覚や感性が一般的だとは思っていないこともまた書いておく。

元々宝飾品なのだから、金無垢であったり宝石が埋め込まれていることはおかしなことではない。時計が好きで、金ぴかの時計、それがYGだろうとPGだろうとWGだろうと、それを普通に着けられる人は、外に向かって自己表現ができている人。そしてそのことが自然におこなえる豊かな環境で生きている人。うらやましいが多分育ちも素性も良いのだと思う。そういう人は外からは全く判別が付かず、単なる当人の自己満足にしか過ぎない文字の違いがどうだとか、最終品番がどうだとか、225タキがどうとか、FAT4とかビッグスイスとか、全部意味なしであろうと思われる。時計をデッドストックとかもしないだろうし、付属品をこまごまと揃えたりもしない。この時代の緑タグの形状はどうだとか、箱のナンバーはいくつが正しいとか。むしろ、そういう基準で時計を買ったり、コレクションする意味がさっぱりわからないのではないか(わからなくてよい。そのほうが自然)。強引な論評だが、前者である彼らは赤サブや赤シードを買わない気がする。赤のライン一本で50万円、100万円違うことを受け入れないというか。彼らは純粋な時計好き。当然、そういう人たちの選択基準は個体重視。彼らは自分の金とステータスに合った宝飾品としてロレックスを選択しているのだ。正しいなあ。

私は駄目だ。根暗なコレクター気質満載(苦笑)。典型的な内省的自己満足タイプ。過去の記事を読み返せば一目瞭然である。変態的こだわり記事の何と多いことか。文章も変態的に長い。ああ。いやだいやだ(と書くほど嫌ではない)。

だが、いろいろな楽しみ方があってよいと思う。デッドストックも最終品番も個体重視も金無垢も何でも有りだ。転売で差益を得ることも批判しようとは思わない。女にモテたいというただひとつの理由でデイトナを買うのなら、ギャラなど要らないだろうし、極端に走れば、そういう人はパチモノでもOKであろう。ロレックスという大きな輪っかの中にいろいろな人がいて、いろいろな感性がある。ただ、結構自分とは違う考え方を許容しない人もいて、そういう人のブログを読んで、ずっと違和感があったのだ。「文字盤の違いとかにこだわる人もいますが、自分はいまひとつよくわからず・・・」的な書き方。これは当人は抑えているつもりでも、「下らない違いにこだわって馬鹿じゃねえの!」という強い感情が噴き出しているわけで、そういう人がキラキラの時計を買ったとかの記事を読むたびに、今度はこちらが「へええ!?」だったのだ。だが、今はわかる。一本のボーダーラインの向こう側の人だったのだ。逆にあちら側から眺めたら、GMTマスターⅡの3186を3つ持ってます(かつて)などという私のブログとか意味不明だったことであろう。ハハハ。みんな仲良くやれば良い。

さて、あなたはどっちだろうか。どっちでもいいことだが、自己表現型は間違った方向へ行くと、ひどい悪趣味へ走る怖れもあるし、自己満足型は女に持てない。これは前にも書いた。根暗なオタクは絶対に持てないのだ。さてあなたはどっちだろうか。真逆なので両方はあまりないと推測する(後者から前者に移る人は多い)。ロレブログを見ていると8:2ぐらいかなと。文字の違い、スティックダイヤルがどうとか、ビッグスイスがどうとか、こまけえ事を書いていたら大抵女に持てない後者。私と同類であるな。デッドストックとか、付属品に異常にこだわるとか、思い当たる?そしたらこっち(笑)。

もう一度書くがどっちも有りなのだ。ただ、自分との違いを否定しないことが大事かなと、それだけは強調したい。それが今回最も書きたかったこと。自分とは違うものを受け入れていく許容や寛容性はとても大事。趣味でも仕事でも人間関係でも。
スポンサーサイト
プロフィール

オイパペ

Author:オイパペ
ロレックスとともに

カウンター
最新記事
リンク
検索フォーム
PR
カテゴリ
最新コメント
月別アーカイブ
RSSリンクの表示
QRコード
QR