ひと呼吸置くということ

ある時計を欲しいという熱が急激に高まることがあるのは誰もが経験しているはずである。何かに取りつかれたように、その個体を探す時期というものがある。毎晩ネットチェック、いや仕事中もスマホでこそ見をする。帰りの電車もずっと時計ショップHP巡り。そして目当ての時計をネットや店頭で見つけたときには、理性などは簡単に吹っ飛んでしまう。

だが、これもまた誰もが経験していることだと思うが、何かの機会に買い逃したり、あるいは出物がない間に、すーっとその熱情が冷めてしまい、「あれっ?何であんなに欲しかったんだろう」と振り返ることもしばしば。いや買う前ならラッキーなのだ。入手した後ですぐに冷めてしまっては、金額も金額だけに痛く、そういう経験をしている人は結構多いのではないか。

そう、時計はひと呼吸を置くことがとても大事である。いや、たぶん時計だけではないのだろう。感情が理性を上回っているのは、それがどういう局面であろうが、危険な状態であり、少なくとも正常な判断は失われている。

何年か前のこと、私はチュードルのカマボコ(79160)が欲しいと思った時期がある。そのときは淡い気持ちで金も下さずに中野へ行き、ジャックさんで現物をしげしげと眺め、「こんなゴッツイ時計は自分には不似合いだ」と思えた。幸いにも、概念としての憧れとリアルな物体との落差に気付くことが出来たのだ。そこまではよくあること。だが、私の“欲しい”という思いは、ごつさを否定したことで、別の言い訳にたどり着いてしまった。隣に並んでいたのは、後継の79260。ちなみに79160のケースサイドはごつくては垂直に切り立っているが、79260のケースは薄く(思える)、側面はデイトナのように流麗な曲線を描いている。これだ!と性急に思い込んでしまった。その現物はジュビリーブレスだったので、3連ハードブレスの、当然タイガー表記無しにしよう!と、いきなり白羽の矢を立ててしまったのだ。おいおい、見に来ただけだろう?という天使の声はかき消され、「買っちゃえ、買っちゃえ」という悪魔のささやきが。

ところがどのショップを回ってもそれはなく、一旦は諦めて電車に乗ったのだが、休火山が活火山状態に移行したのだろう、気づくと上野にいた(笑)。サテンドールさんやその他の店をぐるぐると徘徊しているうちに、あのごちゃごちゃとした昭和風情満載の商店街の中にある、たぶん最も小さなサテンドールさんの営業所(店員さんと客ひとりで満員状態)にこれでもかとたくさんのチュードルが並んでいたのだ。迷わず銀行へ直行である。「おー、買っちゃえ、買っちゃえ」とここでも悪魔のささやき。

再び訪れると客がいて店員さんと話が弾んでおり、その脇でケース越しに79260のギャラ付きを見つけ、これだ、これがいいと即決。ところが商談なのか雑談なのかわからないが、お客と店員さんの話は異様に盛り上がっていて終わる気配がまったくない。どこどこの何々は瞬殺でしたね~とか話し込んでいる。仕方なく、他の店を回って時間を潰してから戻ったらまだ続いていて、トレイに時計が乗っており一応は商談のようだ。これは時間かかるなとまたまた仕方なく外へ出て、休日だったので昼(夕方)ビールを飲んだのがいけなかったのだが、結果的にそれが私を救った。また店に近づくと、呆れたことにまだいるのである。そのとき、私の下腹に不意打ちのような生理現象(大きいほう)が…。寒い季節ゆえビールで腹を冷やしたのだ。

私は大を公衆トイレで済ますのは大の苦手である(一応シャレ)。高校生のとき化学の教師の「くさい匂いというのは、その物体の粒子(だったか分子だったか忘れた)が、鼻の粘膜に付着するからだ」という説明を聞き、フワフワと空中を浮遊する、その何の粒子が私の鼻の粘膜にひたひたとくっ付くビジュアルとして脳裏に焼き付いてしまってからというもの、汚いトイレの個室が苦手になった。以降、スーパー、場外馬券場、駅、コンビニ、居酒屋。このあたりは絶対駄目、論外である。許せてもデパートぐらい。

その時は急で激しい現象だったので、とにかくパチンコ屋に駆け込んだ。事なきを得て、身体もすっきりしたのだが、ついでに心もすっきりしてしまった(ハハハ)。全然欲しい気持ちが失せてしまったのだ。悪魔君も一緒に流れてしまったのだろう。ちなみに律儀な私はパチンコ屋で用を足すといつも千円だけ球を打つ。その時もジャラジャラと球を打ちながら「飽きるだろう、あの時計は」と、極めて冷静な自分を取り戻したのだ。たぶん私の頭上ではキラキラ天使が喜びの踊りを舞っていたに違いない。

外へ出ると、もう日は暮れようとしていて、試しにもう一度店に行くとまだいる。マシンガントークは止まずで、店員さんもさすがに私には気づいていて、困った表情とともに目で申し訳ありませんのサインを、私もまた「いいよ、いいよ」の余裕のサインを。時計が好きなのはわかるが、ここまで行くとさすがに営業妨害であるなと可笑しくなり、私は家へ帰ったのだ。おしゃべりなお客と腹痛のお蔭で私は、たぶんすぐに飽きるであろう時計への28万円の支払いから逃れることができた。(出来るだけ表現は控えたが、ここまでの汚い描写をお詫びする。)

他にもある。ドーム風防やミラーの5513、バースイヤーの1016、そうそうミルガウス1019など個体を見るためにわざわざ大阪まで行ったのに、時計を買わずに道頓堀でたこ焼きを食っていたな。食べながら250万円あればこの熱々のたこ焼き(@500円)を一体いくつ買えるんだろう思ったことを覚えている。いま電卓を叩いてみたら5000パック。へえ~、大したことないなと思ってしまうところが悲しい。

時計が好きになると、とにかく熱情にかられる。暴風の前のチリのごとく理性は吹き飛ぶ。冒頭にも書いたが、時計熱にとどまらず、理性が感情や激情に打ち負かされている状態は危険であるし、それ以上に最もみっともない振る舞いでもある。よく深夜の駅改札で駅員に暴言を吐いたり、店員にクレームをつけている人を見るたびにそう思うが、時計への狂気のような熱情も本質は同じ。それは理性の敗北でしかなく、基本的には人間が駄目な局面におちいった際の典型的な所作である。

時計の場合、理性の敗北は不本意な(飽きる)時計の購入や買い漁りに至る。短期間で燃え上がった熱情は冷めるのもまた早いので、当の本人がびっくりするぐらいに早くに飽きや後悔の念にかられることもしばしばある。前に「時計を愛すること」という記事で書いたように、恋愛とも通底は同じで、結局はどれも理性の敗北なのだ。そして理性よりも感情や欲望のほうがはるかに快感を伴うがゆえに多くの人は負けてしまう。先の卑近な例で言うと、おそらくは私の下腹に起きた急な生理欲求が時計への欲望よりもはるかに強かったことで(ハハハ)、結果的にその暴風を弱めることになったのだと私は分析している。毒を持って毒を制すとは正にこのこと。

私もまた、それほど多くはないものの、不本意な時計購入の過去がいくつかはあるからこそ、今はひと呼吸、いやふた呼吸もさん呼吸も置くことを自分へ課している。前回の記事で、「買え!買え!」と煽ったくせに、と思う人もいるかもしれないが、私の中に矛盾はない。真面目な話、金持ちがガンガンお金を遣うことは、間違いなくこの国のため、世のためになると思っているし、本当にそうしていただきたい。そして新たな購入用に、おもしろい個体をガンガン売りに出してマーケットを賑わせて欲しい。この先、大金持ちになったら、私も悩むことなくこれでもかというぐらいに買うということを約束しよう。絶対に無いとわかっているから、気軽に書けるのが悔しい。

もう少しだけ書く。昨今のロレを取り巻く状況に対して、私自身が決めたあるスタンスがある。それをここで公開するのか、先に行動に出てから公開するのか、あるいは黙して語らずで行くのかは決めていないのだが、そのスタンス(決め事)は、今の手持ちは売らないということが前提となっている。それは前回の記事で書いた、たった数本だが、久々にすべての手持ちを取り出し、竜頭を巻いてきれいに拭き取りをしたときに、しみじみと「いい時計たちだなあ」と思えたからだ。それはとても幸せなこと。熱風のような快楽はないが、ポカポカと春の日差しのように穏やかで温かい感情。今のように健康で働けて生活が成り立ち、時計が好きでいられる間は今の時計たちをキープしていこうと思っている。だからこそ、これから増えるかもしれない時計も、そのように大切に思える時計でありたいと願う。と書きつつ、一本だけは売却候補がある(苦笑)。まあ持っていてもいいが、たぶん手放すだろう。

今日、ふた呼吸目ぐらいだったある時計がHOLDになった。うむうむ、これで良い。

次回は、逆に手放して後悔しているある時計のことを書くが、時計と恋愛が似ているのなら、それは昔の女に対する女々しい未練のようなものかもしれず、まったく人間の心とはやっかいなものであるなあ、皆の衆。
次回予告:「追憶の14060M」。

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