14060Mを思い出す

サブマリーナはスポロレの“王道中の王道”だという意見に私は心から賛同する。そしてステンレス製でリューズガードがあり、日付表示のない5513は、それが登場した1960年代初期に、もはやデザインとして完成していたのだとすら思っている。以来、この半世紀、細かい文字表記を替えたり、風防をプラからサファイアに替えたり、ブレスをリベット、巻き、無垢へとマイナーチェンジを繰り返しつつも、ロレックス社が大胆なデザイン変更をサブマリーナに施していないのは、おそらく彼らもこのデザインに神が宿っていることを承知しているのだろう。

5513を基本として、デイト付きの1680、金無垢、シードなどの亜流もまたどれもが素敵である。現行6桁の角ばったラグはちと気にはなるが、それでもやはり現行も含めてサブマリーナはいい時計だなあといつも思う。まったくもって、このデザインにはケチのつけようがない。

基本となった5513はヴィンテージ好きならたぶん誰もが通るモデルだろうが、、私もまたいつかはミラーなどと思いつつ、良縁に恵まれないままここまで来てしまっている。そして、あれよあれよと価格が200近くなってしまったいま、たぶんそれは夢で終わるだろうが、それはそれでいいと最近は思う。すべての憧れを実現しても、そこにはまた茫々たる虚無の風も吹くのだろうし。

今日は14060Mのことを書く。14060Mは、5513のあとノンクロノ14060を経た機種でインデックスはフチ有り。はっきり言って、人気があったとは言い難い。5桁になってからは何といっても、デイト付き16610LNこそが主流であり、ノンデイト14060Mはサブ廉価版の位置づけであった。その好き嫌いや良し悪しは別として、その序列は6桁の今も健在である。

ここで少し不思議に感じていることを書く。なぜ、こと4桁になると、その序列が今は逆転して、ノンデイト5513のほうが高額なのであろうか。今や5513はマットダイヤルでも物によっては軽く100万円超え、一方のノーマル白1680はさほど市場で人気がない。私は元々、デイトは無いほうが好きなので理解出来るのだが、5桁や現行6桁との比較で言えば不思議な現象だと常々感じている。

過去記事によると、私が14060Mを購入したのは約4年前、6個目のロレックスとしてで、当時、保護シール付きのシードを下せないでいた軟弱な私は、普段使い用としてジャックロードさんでこの時計を買った。今では考えられない36万円也。

それは使われた形跡がほとんどない未使用状態で、銀座レキシアにて購入されてからまだ3月しか経っていない時計だった。これなら躊躇なく使えると、多少私が14060Mを見下していたことは否定しない。14060M過去記事

一年近くずっとこの時計ばかりを使い続けたことで、14060Mが私のスポロレの原体験となった。この時計(14060M全般のことではなく、この個体)は本当に素晴らしく、今でも日本の正規店には極上品が卸されているという都市伝説を信じたくなるほどの精度であった。日差は2秒もなかったのではないか。所有者はご存じのように、この時計は薄くて、ブレスなんかはぺらっぺらである。しかし文字盤はシンメトリーな美と男らしさに溢れ、竜頭はデカくてごつい。ぐいっ、ぐいっとケースにねじ込むときのあの力強さ。サブ竜頭のデカさに比べると、GMTやエクスプローラーのそれなど、子どものちんちんのようなものだ。

同時期にシードを所有していた経験から書くと、ケースも薄い薄い。サブブレスは6時側が最短で4駒半でいけるから、私の細腕でも何とかOKだった。そして何よりも軽い。時計は、もちろん例外もあっていいのだが、基本は薄くて軽くあるべきだと最近は思う。

2012年の初夏に出会い、4つの季節を一周半ほどめぐる時間をともに過ごし、アホみたいに神経質になることもなく、ごく普通に手荒く扱っていたから、ケースにも当たり前のように使用傷がつくも、私はまったく気にしなかったし、そもそもサブはそういう時計であろう。いや、サブに限らず時計などそれでよかろうと今も思えるのは、あの時計のお蔭だ。竜頭を開放することなどほとんどなかったのは、前述のように、時間がほとんど狂わなかったこととデイト表示がなかったゆえだが、それ以上に一本使いだったため、この時計が止まることはほとんどなかったはずである。それぐらい、一時期の私の良き相棒であった。そして結構公私で私がきつい時期であったことも大切なことなので書いておく。

前にも書いたが、途中でルミナスが取れるアクシデントがあり、その入院中にようやくシードの保護シールを外して常時着用、こちらは、ごついわ重いわ、ブレスは5駒で安定しないはで、ほとんどじゃじゃ馬であったが、多くの男がそうであるように、しっとり、ひっそりとした女性のことを私はここでもまた軽んじてしまい、私の左腕にはイケイケのボディコン(16600)が乗るようになった。14060Mは修理から戻ってきてからは、ずっとケースに仕舞いこんで、やがては手放してしまった。

そこに収納していたわけではないのだが、時計ケースを空けるときに、時々14060Mのことを思い出す。他に手放した時計はいくつもあるのに、この時計だけは時々しんみりと思い出してしまう。そのまま持っていても、かつてほどは使えなかったであろうが、それでもこの時計は手放すべきではなかったと今は思う。この世にたったひとりで生まれてきて、その瞬間から死に向かって歩むというこの人生で、時を刻む時計という道具とともに時間を過ごすことの意味は決して小さくない。それを私はこの時計から無意識に、そして最初に学び取ったに違いなく、そんな大事な時計が今の自分の人生に不在であることはやはり淋しいことなのだ。

どの時計の下取りだったかエクセルを見てみると、ああ~(と長いため息)、GMTのM番かよ。多分私にしか分からないある感情において、私は深く長いため息をついてしまう。

人生が出会いと別れであるように、時計もまたそうであろう。だが、出会いはともかく、別れはこの歳になると少々つらいわけで、それが避けえない事実であろうとも、別れは少ないほうがいいべさーと思う。人生の秋だなあ(苦々しく、そして力なく笑う)。前回の記事で、もう出来るだけ売却はやめようと書いたこと、一時の熱情だけで買い漁ることはやめようと書いたこと、それらは一本の線でつながっている。別に恥ずべきことでもなく、どうしようもなく後悔すべきことでもなく、自然な感情として今私は時計に対しても、それ以外のほとんどのことに対してもそう思っている。

14060M-2.jpg
今はいずこ・・・。
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