時計を手放すということ

前に手放したことを後悔しているサブノンデイト14060Mの記事を書いた。⇒ここ。実は手放したことについて、それよりも遥かに後悔しているある時計がある。今もって、なぜ私がその時計を売却したのかよくわからない。あれこれと欲しい時計が出てくるも、段々と回す金が減ってきてしまった時期だったのかもしれない。今でも私は自分を許していない。いくら何でもあれは、あれだけは手放しては駄目だっただろうと。私に機械式時計の素晴らしさを教えてくれた時計であり、決して短くはない歳月をともに過ごした良き相棒であった。

酔っぱらって坂道でこけそうになったとき、それを守るために身をよじって転がり、目撃した部下に笑い死にされた。「命よりも大事なんですね」と女子2人が笑いながら抱き起してくれたものだ。夜に歌舞伎町での飲み会予定があった朝、万一を考えてそれではなくオメガ(御免)で出かけ、暑い夏には水道水でじゃぶじゃぶ洗い、毎晩それを外すときは私の1日の戦いが終わったことを意味し、朝それをはめるときはそれがまた始まることを意味した。私にとってそんな時計であった。

魔というのは差すものである。売却してしばらくはどうってことはなかったのだが、やがて私はその時計の喪失感にさいなまれ、自分の行為を悔やんだ。あのデザイン、あの質感…。ある日、たまたま同席した人が同じ時計を持っていたので、手に取らせてもらってため息をついた。「やっぱり、これいいなあ」と。ただ、ご多聞に漏れず私のそれは最終品番だったので容易に入手することはできない。日本のどこにも売っていなかったので、仕方なくようやく海外のサイトで見つけた同じ時計を再度(結構な価格で)入手したのであった。まったく無駄な行為である。それまでは一度手放した時計を買い戻すなどというのは信じがたい他人の行為だったのだが、自分もやる羽目になるとは…。たまたまシリアルが最初に持っていたのと100番ほどしか違わず、出荷国も同じだったので、「あの最初のと同じロットなんだろうなあ」などと考えていたが、どうにもそれは疑似行為というか、やはりその時計はかつての時計ではないのだ。あの厳しかった時期を過ごした時計とは別物である。別れた女性の面影がある別の人と付き合うような女々しさがそこにはあった。

5個も6個も、あるいはそれ以上を所有すると、どうしてもひとつひとつへの向き合いがおろそかになり、愛情や愛着は薄れがちになるが、思い入れのある時計は大事に持っておいたほうがいい。それはあなたにとってかけがえのないスペシャルな時計なのだ。

割と最近のことなのだが、ある日、あるお店で同じモデルが売られているのを見た。希少な時計なので滅多に売りに出ることはないので、売られていることがそもそも珍しい。案の定、それはすでに商談中の札がかかっていて、そこでまた私はかつての相棒を思い出し、少し胸がきゅんとなってしまったのだった。今はどこの誰の腕にあるのだろうなあなどとまたまた女々しい思いにかられつつ帰宅。

結論を書く。その時計こそが私が手放したその物であった。私は、私にとって奇跡のような再会を果たし、そして手に入れた。

経緯を簡単に記すと、店で見かけた翌朝、徹夜明けの寝ぼけマナコで昨日のショップのHPを開き、何気なく写真を見ていて閃光が走ったのだ。このギャラの手書き文字は見覚えがある。急いでPC内のピクチャーフォルダに格納されているかつての写真と比べてみると、まったく同じ字体と日付。ビンゴである!しかもラッキーなことに商談が外れている。これはもう損得ではない。縁としか言いようがない。電話してHOLDしてもらい、銀行で金を下して訪問。何年振りかでかつての相棒を手に取った。

帰宅し、ブレスを調整して腕に巻いた。大した感動が巻き起こりはしなかった。だが、それで良い。感情の奴隷となってはいけないのだ。激しくうねる波のもっと下、水底のように静かな場所で私はささやかな喜びにひたった。こんなことってあるのだなあと、窓の外に目をやると、初夏の日差しが眩しくきらめいていて、何とも言いようのない静かな幸福感を私は感じた。
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