お祖父さんの舟

去年のこと、遅くに帰宅すると娘が高校受験の問題がさっぱりわからないと言う。読んでみるとこれがさっぱりわからない。高校受験の問題がわからないなどというのは、いくら普段父親らしいことをしていないとはいえ、沽券と威厳に関わるので、何度か読見返してみたが本当にかなり難解な問題であった。

それはある日本の学者の論文なのだが、こういう内容である。漁師だったお祖父さんの使っていた船がある。子の代となり、孫の代になるに従い、古い木材を部分部分で新しく補修していき、とうとうお祖父さんが使っていた当時の木材はまったく無くなってしまった船となった。さて、この船は「お祖父さんの船」と言えるのかどうか、という問いかけが文章ではなされる。これは「テセウスの船」と同じ議題である。

お気づきのように、この命題はヴィンテージ時計におけるオリジナリティの問題にも通じる。例えとして書くが、お祖父さんから子へ、そして孫へと代々譲られた1966年製のサブマリーナがあるとする。この50年の間に幾度か実施されたOHという節目節目にその時計のパーツは交換された。風防、竜頭、針、ベゼル、場合によっては文字盤やケース交換も有り得るし、ムーブの幾つかの部品も交換されたかもしれない。成人となった孫が父から「これはお祖父さんが使い、私が譲り受けた時計だ。今日これをお前に譲ろう」と渡された時計。これは果たしてお祖父さんの時計と言って良いのであろうか。

オリジナル完璧主義者は「それはジイジの時計などではない」というかもしれない。後年に大部分のパーツが交換されたそれはもはや当時の時計とは別物であると。一方、時計に精神性を求める者は、「いや、それは間違いなく爺様の時計である」というかもしれない。代々に渡りその時計を大事にしてきた気持ちが込められているのだからと。

私はその答えには大して興味は持っていない。ただ、時計とは一体何であるかという根本を考えるきっかけにはなった。いや、それ以上に、お祖父さんの舟(時計)をどう扱うべきかという問題を考えるようになった。偉大なる祖父の舟だからと、それを使うことなく後生大事に保管し、そのままの状態を保てば、それは確かにお祖父さんの舟ではあろう。しかし、舟が作られた目的は海に出ていくことであり、保管されることではない。同様にサブマリーナもまた海で使われることを目的として作られたダイバーズウォッチであることを忘れてはいけない。

私は40年以上前に作られた古いチュードル(サブ)を所有するが、防水性への不安から間違っても水洗いは出来ないし、きつい日差しと汗を避けるために真夏には使用しない。私はデザインさえ保たれればそれほどオリジナルであることにはこだわらない(事実1680のケース交換をした記事を前にアップした)が、古いチュードルはすでに日ロレ受付不可である。そういう時計や、あるいは「ヴィンテージはオリジナルこそ命」と考える者にとって、これまでの50年は奇跡的に保てたかもしれないが、これからの5年、10年、更にその先はどうするのかという問題が立ち塞がる。

今日はここまで。私の浅はかな考えをこれ以上ダラダラ書いても、それは皆さんの思考の邪魔にしかならない。さてさて皆の衆、冒頭の舟はお祖父さんの舟であろうか??

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