時計は飽きる

趣味は飽きる。冒頭から思い切って書くが、人間は飽きる生き物である。

「好き」の反対語は普通は「嫌い」である。好き⇔嫌い。だが、実は好きの反対は嫌いではなく、「飽きる」ではないかと私は思っている。マザーテレサが言った「愛の反対語は憎しみではなく、無関心です」に近いかもしれない。要するに関心が薄れるのである。人は、人に飽き、仕事に飽き、環境に飽き、あれほど情熱を燃やした異性や趣味にすら飽きる。

従って、当然ながら時計にも飽きる。

いや、時計は特に飽きる。大量生産の工業製品を買うだけの趣味である。ただ金を払って買うだけ。それも結構高い。私を含め多くの人にとっての高級ブランド時計とは自分の虚栄心を満たしてくれるものだから、次はサブ、次はデイトナ、次は金無垢、次は雲上…。ややもするとあれも欲しい、これも欲しいとなり、結局は金が尽きるのが先か、虚しくなって興味が尽きるのが先かの違いだけで、数年かそこらで離れていく人が多い気がする。時計のマーケットとはある時期にそういう麻疹(はしか)に罹ったような人を相手に回ってきた業界なのかもしれない。

同じ趣味でも、釣りやバイク、ダンスのように続けることによって技量が上がるわけでもなく、オーディオのようにクォリティーが向上するわけでもない。料理のような個人の創意工夫もない。鉄道オタクのてっちゃんが吹雪に耐え震えながら、通り過ぎていく列車に向けてカメラを構えるほどの努力や忍耐もない。つまり時計は行くべき道がないと言えばいいだろうか。お金を払って買えば一旦ゴール。その繰り返し。自己満足と虚栄を満たすだけだけで続けていれば、数年で飽きてしまうことがむしろ自然だともいえる。私もかつてその壁にぶつかった。要するに冷めた。もちろん、たかが個人の趣味、そうなればなったで、時計から離れて他に好きなことをまた見つければよい。広い世の中には他にも楽しいことはまだまだ他にもたくさんある。すべては個人の自由。

だが、一方で私はその感情に抵抗したい気持ちも持った。このブログを続けたのもそれである。せっかくこんなに好きになった趣味が、嫌になるならまだしも、飽きるというのは何とも悔しい。意地といっても良い。一体どれだけの時間と情熱を時計にかけてきたことか。決して大げさではなく、毎日、仕事以外の時間の多くを時計に割いてきた。それが結局のところはその程度のことだったのかと思うとやはり悔しかったのだ。50を過ぎると否応なく人生には限りがあることを知り、漫然と飽きることは敗北でもあるなあと思う。前々回、「自分のスタイルを持つと時計はもっと楽しい」と書いた。自分の心を、人生をも豊かにしてくれる、もっと違う時計との向き合い方があるのではないか、それを探していくことが今の自分の課題でもある。

もう少し続ける。仕事だろうと趣味だろうと人間関係だろうと、努力によってそれを黙々と続けてきた者にはまずかなわない。例えばひとつのことを続けてきた職人がいるとする。いや趣味でも良い。それが何であろうとも、その中身に共感はできなくても、続けてきた人にはある種の威厳があるが、それは掘り下げるならば、単に自分の虚栄や欲望のためにやっていないからだという気がしてならない。あえて言葉にすればそれはやはり「道」なのだと思う。仕事だけではない、夫婦関係だって、趣味のカメラだって、釣りだって、読書や映画だって、鉄道趣味、望遠鏡で星を眺めること、バイク…、みんなそうであろう。たかが趣味であろうとも、往くべき道というのはあり、時計にだってそれはあるのではないか。

戦国乱世に茶器が大流行したことを歴史好きな人はご存じであろう。初花肩衝、平蜘蛛、三日月茶壷…。手作りの茶器は世界にふたつとない。明日の生死も定かではない弱肉強食の戦国乱世。地球が丸いことも、生が遺伝子によって生かされていることも知らない無明の世界に産み落とされた彼らは一場の夢をそこに見た。下らないと笑うのは簡単である。茶器はお茶を飲む、たかが「道具」であったし、これもまた俗世では褒美や財力の象徴だった。まるで我々が大好きな何かとそっくりである。だが、そこに意味を与える者がいて道ができ、茶道というものが生まれている。

ただ暴れる者は単なる暴力者であるが、武に行くべき道があれば武道となり、剣にもまた道があり、柔の道もある。日本人はそうやって己の行くべき道を歩んできたのではないか。職人には職人の、商人には商人の道がある。料理にもお茶にも。夫婦にも師弟にも。50年連れ添って仲が良い夫婦など称賛ものである(大変だっただろうなー)。続ける者が続ける限り、そこには道が出来ると信じたい。歩ませているのは決して「欲望」などではなく、人間の意志ではないかと、少し偉そうに書いておく。それこそが欲望でしか生きられない他の生物と人間を隔てているものに他ならない。欲望の向こう側は人間にしか行けない場所。そんな道が平坦であるわけがない。

せっかく好きになった趣味だ。長く続けたいではないか。時計を買うことがゴールではなく、それをスタートとする向き合い方。私は65ぐらいで一線を引く人生設計を持っているのだが、少なくともその間は時計を愛好する日々を送りたいと思っている。あっ、後もう10年ちょっとしかない(笑)。いやいや、まだ10年もあると思うことにしよう。

さっきの茶の湯のオマケ。戦場で手柄を立てた戦国武将の滝川一益は、褒美として主人織田信長に珠光小茄子という茶器を所望した。ところがそれは叶わず、代わりに上野一国を与えられ大変落胆したという。一国一城より茶器。ハハハ。私はこの話が好きだ。また、城を攻められて自害する際に、これを奪われるぐらいならと自慢の古天明平蜘蛛に火薬を詰め、それを抱え込んで自爆した松永久秀という武将もいる。ちなみにこの久秀、ゲームの戦国BASARAでは倒すとやはり自爆する(笑)。人間の心というものは本当に面白い。
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