言い訳

年が明けてから、別の仕事で私のミスというか遅延で結構な数の人に迷惑をかけてしまい、ブログを更新する時間も余裕もなく今日まで来てしまった。店にもほとんど顔を出しておらず、店長さんに任せっぱなし、先週久々に顔を出したらずいぶんたくさん時計があってちょっとびっくり&うれしかったりもした。たまには更新しないとトップに変な広告が出てくるので、今日は没予定だった過去の原稿をアップ。去年の今ぐらいの時期に下書きした原稿である。最初に前置きしておくが、大した内容ではない。

時計を買う際、多くの人は自らに対してなにがしかの言い訳をするものだが、それらは本当に面白い。4~5万円の買い物だって安くはないのに数十万、時には百数十万円ともなると人はそれなりのエクスキューズを必要とするようだ。まだこのブログにコメント欄があった頃はよく「極上のGMTを見つけました。ギャラも付属品もバッチリ付いていて本体も極上の58万円です。オイパペさん、どうでしょうか?買いでしょうか。オイパペさんのような方に背中を押していただきたいのです」などというコメントを貰ったものだが、もうご本人はプールサイドで飛び込みの姿勢でいるようなものである。どうでしょうか?などと質問しながら、すでに前傾した身体の背中が「押して!早く押して!」と言っていて、手で押さなくても、尻にフッと息を吹きかけるだけで、勢いよくバッシャ~ンとプールに飛び込むようなもの。まあお勧めすることもあったし、正直にやめたらどうですかと返したこともある。

「言い訳」に話を戻すと、私もまた同じである。私もまたいつも自分への言い訳を必要としている。

よく見聞きする言い訳そのいち。「将来、息子にゆずる」。出た。これは美しい言い訳なのだが、実行できなかったときは実に見苦しい言い訳となる。だから安易には使わないほうが良い。大きなお世話だが、これの実施率、実行率はかなり低いと私は見ている。仮に子どもが乳幼児の場合、実施時期は成人を記念するなら15~20年後。2年も経たずに手放すロレ病患者には苦行のような長い長い歳月である。西暦2036年にそれを実行できれば立派だが、私にはその自信は到底ない(実は私も白の34mm径エアキングを将来娘に譲ると心で誓って、数か月後にあっさり売却してしまった痛い過去がある)。それに子どもがそれを喜ぶかどうかも極めて怪しいし、親の価値観の押し付けもよくない。20年後には時計など誰も身に着けない時代にだってなっているかもしれない。とは言え、実行できれば立派なことではある。

次。「がんばった自分へのご褒美」。基本的にこれは女性がよく使う言葉である。女性がちょっと贅沢な海外旅行やブランド品を買うときによく使う言葉。広告代理店はそれをよくわかっていて、旅行会社の宣伝キャッチコピーでしばしば目にする。「がんばった自分へのご褒美に今年の夏はバリ島で!」。これもまあわかるのだが、男ならがんばった自分へのご褒美はその日の一杯の酒ぐらいで済ませておこうではないか。「よくがんばったぜ自分、立派だったぜ自分、乾杯!!」と。さすがにサブマリーナはちょっと褒美が過ぎる。がんばった自分へのご褒美に80万円のロレックスを買いたいと女房に言ったら、全人類の98%ぐらいのおとっつあんはぶん殴られるか、最低でも罵声を浴びるはずである。だが、もし、「いいじゃない!あなた、がんばったんだもの。大賛成よ!」などと言ってくれる稀有な女房がいるうらやま男はどんどん自分へのご褒美としてロレックスを買い給え。遠慮することはない。多分、貴殿は神に選ばれた男だ、行先はもちろん東京の神田神保町であることは言うまでもない。大歓迎である。

次。「ビビッときた」。ハハハ。わかる、わかる。だが、これはもはや言語や思考の放棄である。冷静な判断、理性、踏みとどまり、我慢などのあらゆる人間的で高邁な精神の敗北とも言える。ビビッときて歯科医と結婚した聖子ちゃんもすぐに離婚したではないか。ちなみに彼女は「生まれ変わったら一緒になろうね」とも言った。怖ろしい言葉である。ひろみGOは震え上がったに違いない。私だったら別れた女がそんなことを言ったら、恐怖で髪の毛が逆立つだろう。「ビビッときた」は聖子ちゃん病と私は名付ける。他にも「時計が自分を呼んだ」というのも聞いたことがある。「ショーケースの中のサブが俺を呼んだんだよー」。呼んでない(笑)。呼んでませんよ、絶対。ただのメカ。機械。時計。道具。

夜中に独りで笑ってしまった。自分でブログを書きながらゲラゲラ笑っているのだからおめでたい男である。では私はどうかと言うと、私もまたたくさんのしょうもないエクスキューズをひねり出してきたが、最もひどいのは「人生には限りがあるのだから」というやつ。「人生には限りがあるのだから、今こそサブマリーナ!」。人生に限りがあることは事実であり、確かな真実である。だから、たくさん本を読むとか、人との出会いは大切にするとか、一日一日を無駄に過ごさないとか、そういう方向に行けばいいものを、なぜかロレックス。また少々似ているのだが、「自分はもう50だ、きっと60代になったら時計の売り買いをしても楽しめる人生ではないだろう。だったら今買ってしまおう」という言い訳も所有している。ご想像の通り、多分私は60になったら、「きっと70代になったら時計を楽しめる人生ではないだろう、だから~」と言い訳するに違いない。

結論めいたことを書くならば、欲しい、買う。もうこれしかない。それはそれなりの十字架なのだ。あとは背負って生きていくしかない。その十字架を下ろしても、人生にはまた別の十字架がある。名誉欲、出世欲、その他への物欲、性欲、すべての煩悩を避けるのなら坊主になるしかないのが人の世だ。そもそも我々は他の命を食らって生きている。大切なのは言い訳ではなくそれを背負って生きることではないかと、最後はやや抹香臭いことを書いておく。

「人生には限りがあるのだから、今このサブマリーナを思い切って買うぜ!」。これ、実はそれほど間違っていないのではないかと思っている。だが、ロレックスは特大の欲望だから、その代わり他のことで特大級にがんばらないと駄目だ。がんばったご褒美にロレックスとは真逆。がんばったからロレックスではなく、ロレックスを買ったからがんばるのだ。似て非なるもの、私にはこの方がスッキリする。
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