ロレックスというブランド

私は一般的なブランド品にはほとんど興味がないのだが、それを言うと知り合いや友人たちはロレックスこそが典型的なブランド品ではないかと口を揃えて言う。そうなのかなと思いながらも、気持ちのどこかに違和感を抱いてしまう。そのことについて少し書いてみたい。なぜならその違和感こそが私のロレックスに対する行動や思考の、多少他人と違う部分が潜んでいる気がするからだ。

服や靴、バッグや眼鏡など身につけるあらゆる物をブランドで固めたい人などは、基本的には人目を気にしてのブランド志向である。ヴィトンの財布は誰が見てもヴィトンとわかるデザイン柄だからこその価値なのであって、もしも外から見て何のブランドだかわからない図柄ならその価値は半減するはず。他人から「この人はルイヴィトンの財布を持ってるんだ」と認識してもらうことが大事。だからブランドメーカーは誰が見てもわかるように、自社ブランドのデザインを普及させることにやっきになる。ヴィトンやグッチのデザインやロゴがよい例。

従って、ブランド品とはその価値を知る他人への自己表現だといえる。富裕であること、おしゃれであること、流行に敏感であること、まあ他にもあるだろうが、あくまでそれを認識する相手があってこそのブランド価値。だから、人は街へ繰り出すときや誰かと外で会うときにブランド品を身につけるが、逆に言えば、極端な話、3ヵ月間南極や誰も生存していない孤島に行くことになったら、誰もヴィトンの財布は持って行かないだろう。ジャングルの奥地でも同じ。汚れるだけだし、そもそもペンギンやワニはブランド品を見て、「すご~い」などとは思ってくれない。それはその価値を知る人々の中にいてこそ効果を発揮する。

では私はどうなのだろうと考える。私はロレックスをこれ見よがしにさらしたことがあまりない。私は半袖シャツのその無防備な感じが嫌なので、夏でも長袖シャツを着る。従って一年中左腕のロレックスはシャツの袖に隠れているのだが、あまり人の目に触れないように気を遣うことの方が多いし、仕事上の重要な席では外すことにしている。それはこれまで自然にしてきたことなのだが、どうも私は左腕のロレックスを見せびらかしたくない傾向があるようだ。

だが、南極や無人島にでも行くことになれば(ないが)、私は嬉々としてロレックスをはめて行くに違いない。

これは一体どういうことなのだろう。そこのところを少し掘り下げてみると、どうも私は上に書いたようなブランド志向の人とは真逆のタイプであるようなのだ。そう認識したほうがよさそうだ。ロレックスを所有することに自己満足はあっても、そこに他者への自己表現はない気がする。私は自分をオタクと思ったことは一度もないが、時計に関してはそうなのかもしれない。そして結構多くのロレックス好きは、実は私と同じタイプなのではないかと思う。

ここから話は中古品のことに向かう。少々強引だがもう少しお付き合いを。私はこれまで保証書のない中古ロレックスが市場にあまりにも多いことが理解できなかった。なぜロレックスほどの時計を購入したのに、その価値を証明する大事な保証書を失くしてしまうのだろうか。あるいは保証書のない中古ロレックス(ヴィンロレ除く)を買うのだろうかと。もっと言えば、保証書のついていないロレックスがなぜあんな値段で売られているのであろうと。

そのことが、上の思考を経たことでようやくわかりかけてきたのだ。ブランドとしてロレックスを所有する人にとっては、家に置いてある保証書などにそれほどの価値はなく、ロレックスを身につけていること、それを他人に認識してもらうことこそが大事なのだと。多くの人にとってブランド品を身にまとうとはそういうことであり、保証書や付属品の一切ない中古ロレックスでも一向に差し支えないのだということに遅まきながら気づいた。

そして専用ケースに収納したロレックスを眺めてにんまりする私やあなたもまた間違ってはいない。緑のタグや赤いクロノメータータグの有無にすらこだわり、ブレスが汚れれば洗浄し、決して投げるようにデスクに置いたりせず、間違ってもガラス面を下にして置いたりもしない。他人にはわからないのにシリアルや文字盤の違いにもこだわり、時計屋のサイトを日々チェック。それもまた間違っているわけでもない。

どちらが良いとか悪いとかではない。ブランドなど自己表現だろうと自己満足だろうと、所詮は虚構である。正しいか間違っているかで論じても意味はない。そのブランド品が高かろうが安かろうが自分の稼いだ金で楽しんでいるのだから、人はそれぞれの考えや感性で生きていけば良い。

最後に蛇足だが、今回の文章を書いていて、世の中からパチモンがなくならない理由が少しわかった気がする。そういう人たちの需要もあるということか。それはもちろん間違ったことであろうが、私はやはりそれもまた正誤で論じても意味がない気がする。パチものを買うなど“虚”の典型ではあるが、その反対側の、大枚はたいて正規品を買うという一見正しいと思えるその向こうにも、やはり違う大きな虚が口を開けているように思えてならないからだ。おそらく私もまた大きな虚構の中にいる。だが、だからこそ、虚から実へとあがきながら進むことがこのブログの目的でもあるのだと、改めて今日ここに書いておく。

最初から結論があって書くタイプではなく、むしろ書きながら思考を深め自己確認していくほうなので、今回は思いの他、長い記述となってしまったが、少し胸のつかえが取れた気分である。

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