ロレックスのデザイン

私には明確に、好きなロレックスとそうではないロレックスがあり、同時に、欲しいロレックスとそうではないロレックスがある。それは感覚的なものではあるが、とても明確なことでもあり、では一体それらを隔てているものは何なのだろうかということが気になった。

少なくとも機能や性能などではない。時計を単に正確な時間を知る道具としてのみ見なすならば、数千円の時計で十分だし、携帯やスマホでも時間を事は足りる。それはロレックスにおいても同様であって、デイデイトだろうがエクスプローラーだろうがエアキングだろうが、時計本来の“時間を知る”という機能において、その優劣の差はほとんどない。

そこは、価格によって機能的な、あるいは品質や性能の差が厳然とあるメルセデスやトヨタの車などとは決定的に違う。車にはエンジン、ブレーキ、高速時の走行、低速時の走行、排気量、その他多くの差異や優劣のようなものがある。エアコンやオーディオなどの電器製品もそうである。実用品において、モデルによる価格差は機能や性能の差異(優劣)によるものが一般的である。

ロレックスの価格差も他の工業製品と同じようにたいへん大きいものがあるが、そのことを冷静に考えてみると、機能や性能などではなく、せいぜい材質と宝石の有無や程度によるものが主である。例外的にはクロノグラフの有無、そして防水の等級であろうか。だが、日常の中でストップウォッチ機能を使うことなど稀であるし、数百メートルの深海に潜ることも同様であることを考えると、普通の購入者にとってそれらは実用的にあまり意味のあるものではなく、スペック上のことでしかない。私がもし潜水士であって、200m程度では足りないということであれば必然的にシードやディープシーを買うだろうが、潜水士ではない私はそういう観点で時計は選んでいないという意味である。

こんな当たり前のことを長々と書いて、一体何が言いたいか。それは、私が欲しいロレックスとは単に外観が好みであるということしかないのではということ。他の人のことはいざ知らず、少なくとも私にとって、ロレックスは(広い意味での)デザインがすべてなのではないかということだ。なぜサブマリーナが好きなのか、なぜヨットマスターが、なぜグリーンサブが。その機能やスペックなどではないだろうということが言いたい。いや自分に強調しておきたい。

デザイン?本当にそれだけであろうか?私は自問する。

私は過去にこのブログで、自分にとってのナンバー1ウォッチはオイスターパーペチュアル116034ブラック文字盤ホワイトバーだと書いた。実はそのことについて記事を書こうとして、ふと考え込んでしまったのだ。一体なぜそうなのかと突き詰めて考えていくと、私はこの時計のデザインが好きなのだという理由以外には何の理由も見いだせないことに気付いた。機能や品質による他の時計との差異などは何も知りえない。

私はGMTマスターの16700と16710をこよなく愛するくせに、それらの後継機種である現行の116710lnにはまったく興味がないのは、ひとえにデザインが好きではないという以外にやはり何の理由もない。

まさしく私は実用品ではなく装飾品としてロレックスを愛好していることを自覚せざるを得ない。それはもう熱病に冒されているようなものだが、私はその本質に迫りたい。これまでファッションやブランドに何の関心もなかった私が時計にハマるその情熱の本質が知りたいし、逆にいえば自分自身を知りたいという思いでこのブログを書いている。ロレックスが自分にとって、まるで女性がダイヤのピアスやリングを愛するごとく、男である自分もまた装飾品としてロレックスを愛好しているのなら、そうなのだという事実に向き合いたい。

更に性質の悪いことに、生来の希少モノが好きであるという志向がここに加わってしまった。稀少好きというのは観念の世界である。このムーブメントが、このシリアルが、この文字盤が。それらは言い切ってしまえば、生活や人生に何の益もなく、強烈な自己陶酔と自己満足へと突き進んで行く。

考えてみると、様々なジャンルにおいて人を熱情にかき立てるのは往々にして実用ではなく、その反対側にある何かだ。世にあまたいるコレクターは、それらが実用品として生活を向上させるものではなくとも、それらをこよなく愛する。それはもう混じりっけのない純粋なものであるといえよう。そして純粋であるがゆえにやっかいであるとも。

更にいえば、前に「ブランドとしてのロレックス」という記事で書いたように、私にはロレックスという高額な時計を他人に見せつけることによって優越感を得ようとする気持ちもまた皆無なのである。ここでもロレックスという時計は私に利を与えることなく超然としている。単に私の所有の中で輝くのみである。その輝きは私の目にしか映らず、私の心にしか存在しない。

そう本質はロレックスの側にはない。それだけははっきりしている。このことの本質は私の心にある。

それは何なのか。そして、そこにあるものが実に下らないものでしかなかったときに、私はロレックスという呪縛から解放されるのだろうか。それとも生涯に渡って魅了され続けていくのか。

今回の記事はもう数か月もの間、下書きにあって何度も推敲を重ねてきたのだが、どうやってもきちんとした文章にまとめることができないままこんにちを向かえ、もうギブアップして掲載する。書きたいことは確かにありつつも、それを言葉にすることはとても難しく、書いているうちにいつも希薄になってしまうのだが、そのぼんやりした感じこそが、私のロレックスへの曖昧さと同質のものだ。
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