使い回せない

私はいま現在7本のロレックスを所有しているのだが、それらを日常で使い回せない自分がいる。人によっては、もっと多くのロレックスを所有していて、今日はスーツだからデイトジャストにしようとか、出張があるからGMTにしようとか、夏だからサブだとか、まあ色々あるだろうが、そうやって複数のロレックスを使い回しているのだと推測する。楽しそうだし羨ましくすら思う。

だが、私はこれがまったくできないのだ。そのマインドがない。基本的にはここ数か月の普段使いは旧シードだけであり、残りの6本はケースの中で眠ったままである。今回はこんなどうでもいいことについて書く。割と切実な問題である。

自分の心理を探っていくと、まず面倒くさいという身も蓋もない感性が私には確かにある。今日は月曜日だから、気分一新グリーンサブを着けよう!などとはまず思わない。シード以外は時計ケースの中で竜頭も巻かれずに眠っており、それらを一々巻いて日付と時刻を合わせることはどうしようもなく面倒だ。気まぐれでやることはあっても、それが日常レベルには降りて来ることはない。面倒だ。

ちなみに私はワインディングマシーン完全否定派である。使わない時計をぐるぐる回す意味がわからない。いや意味はわかる。私のように不精で面倒臭がり屋のために開発されたのだろう。実際に私は買ったことがあるのだ。だが使わないのにぐるぐる回されている時計は無駄というか何というか、とにかく私の感性にはまったく合わず、必要のないものとして捨ててしまった。

話を戻す。もう少し自分の気持ち、複数の時計を所有しているのに1本しか使わない自分の心理の奥を覗き込んでみると、最近これまでになかった微妙な感覚が生じ始めていることを自覚する。さてさて今日はうまく書けるだろうか。

この夏に旧シードを普段使いしていく中で、本来そうあろうとした“時計とともに時を刻む”ということの意味がようやくわかりかけ、そして実践できている実感がある。汗もかくし、突然のゲリラ豪雨で濡れることもある。働く多くの人と同様に私もしばしば仕事で行き詰り苦しい思いもする。そんなときも、時計は私とともにあり、そこで確実に時を刻んでいる。

何かを身につけるとはこういうことだったのかという思い。それは基本的に日々違うものを身に纏う衣服とは違う。これほどまでに自身とともにあるのは我が左腕のロレックスだけだ。基本的にはひとりで生きていくしかない人生において、いま相棒と呼べるものは旧シードなのだということを思う。私は喫煙しないが、喫煙者にとってのジッポのライターやキセルなどもそれに近く、文筆家にとってのペンも同様かもしれない。車やバイクこそがそうだと思える人もいるだろうし、ライカがそうだという人もいるだろう。いずれにせよ、ようやくそう思える物を手にすることができたという喜びが今の私には確かにある。

逡巡したあげく選んだのは、所有する中で私には最も似合わず、最も遠い存在のシードゥエラーであったが、その強い思いがまた他のロレックスを遠ざけたことも事実だ。私は心底自身とともにその時計を経年変化させたいと思っている。傷も厭わない。それはようやく踏み出せた新たな一歩であった。

だが、今日のテーマはそのことではない。長々と書いてきて、今回私が書きたかったのは違うこと、それは使われることなくケースの中で眠るその他のロレックスのことなのだが、ここまで書くのに結構な時間がかかってしまったので、そのことについては次回に続くとさせていただくこととする。今日はこのあたりで。
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