個人事業者の時代
これからの中古&ヴィンテージ時計業界は「個人売買の時代」だとつくづく思う。法人経営者が何を言うかと思われてしまうかもしれないが、私の本音は実にそうである。時計は「個人売買の時代」だと。前に、皆さんのような個人も「時計売買の事業者」であり、私らとは同業者だと書いたが、その思いはあれからもまったく変わっていない。それどころか時計市場は直接・間接問わず、日増しに個人と法人の境界線があいまいになっている。直接とは知り合い同士の売買であり、間接とはヤフオクやトケマー、ショップの委託などを通じて行われている。これらをすべてひとくくりに「個人売買」と私は定義している。私のショップにおける委託販売もそう。私は場を提供しているに過ぎず、値段も委託者さんの自由設定なので実体は個人売買である。
インターネットの普及によって、どのジャンルであろうとも卸と小売業界は壊滅的な打撃を受け、スーパーもデパートも専門店も青息吐息である。ネットで世界がつながった今、リアル店舗が生き残るのは簡単ではない。特に中古品。これなど完ぺきにヤフオクやAMAZONマーケットプレイス、メルカリ等を始めとする個人間取引が主流になり、ブックオフなども苦しんでいる。ヤフオクは間にヤフーという企業が入っているとは言え、売買の責任を一切負わないという座組によって、実質は個人売買である。こういう広義の個人売買普及の本質にあるのは、無駄な中間マージンを「店(=仲介者)」に取られたくないという思い、つまりは強い損得勘定であり、また仲介者が高い利益を得ていることへの反発でもあろう。売りたい個人は出来るだけ高く売り、買いたい個人は出来るだけ安く買いたい、ただの仲介者が20%、30%もの大きな利幅を取るのは不当である、そんな思いがここまで個人売買を発展させた。
もうひとつ大事なこと。今の市場を支えているのはもちろん時計愛好家であるが、もう少し正確に書くと「時計売買が好きな人たち」でもある。買った時計を短期でどんどん手放して回していくという、そうではない人々からすれば結構驚くような個人売買者が大勢いて、程度の差こそあれその人たちのお陰で時計中古市場が成り立っている。小野さんが愛情をこめて「変態」と呼んでいるような人々。ありがたい存在である。時計を何本も何十本も売買する彼らを私は同業者であると認識し、「個人売買の時代」が本格的に到来したのだという強い実感と確信を込めて今この原稿を書いている。彼らを生み出したのはインターネットである。ネットが発達する前の時代、時計愛好家たちはショップに足を運ぶか、ショップの宣伝満載の雑誌からぐらいしか情報を得ることはできなかった。当然だが極めて限られ、操作された情報でしかない。買い取り価格だって横の比較はとても難しかったはず。圧倒的に売り手優位だった時代。あらゆる市場がそうであった。だが今は違う。インターネットが世界を変えた。覆われていた多くのことが露わになり、たくさんの情報が個人によってネットで発信され、交換され、それらは瞬く間に広まってゆく。個人(顧客)は受動から能動へと変わり、やがて積極的にモノの売買に乗り出し、その多くが事業者ともなる。メルカリなどを見るとそれを実感する。今、現実に起きていること。時計業界も例外ではなく、いや、むしろこれからさらに大きなダメージを受ける業界かもしれない。長年店を経営してきた側にとってはありがたくない時代の到来だろうが、多分この流れには誰もあらがえない。インターネットの出現によって顧客は変化した。いや、それは変化ではなく進化だと云ってもいいのかもしれない。
法人経営者でもある私は個人売買の時代到来を嘆いてはいないのだが、それは法人の構えを取っていても私自身が最初から個人事業者という感覚でこのマーケットに入ったからだ。再度書くが、私は個人の時計好きだった過去もそして現在も、自分を時計の個人事業者であると位置づけている。皆さんと同様に、である。皆さんと同様と書かれてもきっと皆さんの側にまだ実感はないであろうが、私は時計を買ったり売ったりすることにおいて、皆さんと何ら変わらないのだということをくどいがここにしっかりと書いておきたい。皆さんは時計を手放すにも買うにも中野の時計店を何軒も回り価格やモノを比較する、トケマーやヤフオクで転売する、「売ると買う」を繰り返す。そんな皆さんは、「時計を売買する」というその本質において正しく私の同業者である。他にも例えば皆さんは(当たり前の話だが)欲しくない時計は買わないであろう。これ、私も同様である。時計屋は時計であれば何でも買い取る、あるいは買い取るべきだと思っている人もいるがそんな考え方は、間違いというよりはもはや時代遅れである。あなたが要らない時計は、大抵他の人も欲しくはなく、私も同じである。個人事業者間による売買の時代、それは時計もまた淘汰される時代だということ。長くなったので今日はこの辺りで。
インターネットの普及によって、どのジャンルであろうとも卸と小売業界は壊滅的な打撃を受け、スーパーもデパートも専門店も青息吐息である。ネットで世界がつながった今、リアル店舗が生き残るのは簡単ではない。特に中古品。これなど完ぺきにヤフオクやAMAZONマーケットプレイス、メルカリ等を始めとする個人間取引が主流になり、ブックオフなども苦しんでいる。ヤフオクは間にヤフーという企業が入っているとは言え、売買の責任を一切負わないという座組によって、実質は個人売買である。こういう広義の個人売買普及の本質にあるのは、無駄な中間マージンを「店(=仲介者)」に取られたくないという思い、つまりは強い損得勘定であり、また仲介者が高い利益を得ていることへの反発でもあろう。売りたい個人は出来るだけ高く売り、買いたい個人は出来るだけ安く買いたい、ただの仲介者が20%、30%もの大きな利幅を取るのは不当である、そんな思いがここまで個人売買を発展させた。
もうひとつ大事なこと。今の市場を支えているのはもちろん時計愛好家であるが、もう少し正確に書くと「時計売買が好きな人たち」でもある。買った時計を短期でどんどん手放して回していくという、そうではない人々からすれば結構驚くような個人売買者が大勢いて、程度の差こそあれその人たちのお陰で時計中古市場が成り立っている。小野さんが愛情をこめて「変態」と呼んでいるような人々。ありがたい存在である。時計を何本も何十本も売買する彼らを私は同業者であると認識し、「個人売買の時代」が本格的に到来したのだという強い実感と確信を込めて今この原稿を書いている。彼らを生み出したのはインターネットである。ネットが発達する前の時代、時計愛好家たちはショップに足を運ぶか、ショップの宣伝満載の雑誌からぐらいしか情報を得ることはできなかった。当然だが極めて限られ、操作された情報でしかない。買い取り価格だって横の比較はとても難しかったはず。圧倒的に売り手優位だった時代。あらゆる市場がそうであった。だが今は違う。インターネットが世界を変えた。覆われていた多くのことが露わになり、たくさんの情報が個人によってネットで発信され、交換され、それらは瞬く間に広まってゆく。個人(顧客)は受動から能動へと変わり、やがて積極的にモノの売買に乗り出し、その多くが事業者ともなる。メルカリなどを見るとそれを実感する。今、現実に起きていること。時計業界も例外ではなく、いや、むしろこれからさらに大きなダメージを受ける業界かもしれない。長年店を経営してきた側にとってはありがたくない時代の到来だろうが、多分この流れには誰もあらがえない。インターネットの出現によって顧客は変化した。いや、それは変化ではなく進化だと云ってもいいのかもしれない。
法人経営者でもある私は個人売買の時代到来を嘆いてはいないのだが、それは法人の構えを取っていても私自身が最初から個人事業者という感覚でこのマーケットに入ったからだ。再度書くが、私は個人の時計好きだった過去もそして現在も、自分を時計の個人事業者であると位置づけている。皆さんと同様に、である。皆さんと同様と書かれてもきっと皆さんの側にまだ実感はないであろうが、私は時計を買ったり売ったりすることにおいて、皆さんと何ら変わらないのだということをくどいがここにしっかりと書いておきたい。皆さんは時計を手放すにも買うにも中野の時計店を何軒も回り価格やモノを比較する、トケマーやヤフオクで転売する、「売ると買う」を繰り返す。そんな皆さんは、「時計を売買する」というその本質において正しく私の同業者である。他にも例えば皆さんは(当たり前の話だが)欲しくない時計は買わないであろう。これ、私も同様である。時計屋は時計であれば何でも買い取る、あるいは買い取るべきだと思っている人もいるがそんな考え方は、間違いというよりはもはや時代遅れである。あなたが要らない時計は、大抵他の人も欲しくはなく、私も同じである。個人事業者間による売買の時代、それは時計もまた淘汰される時代だということ。長くなったので今日はこの辺りで。