またやってしまった

またやってしまったのである。何を??いや、腰である。先々週の日曜日23日の早朝、海外のディーラーとのGMTマスターのひじょうに気を遣うやり取りがあり、それこそ土曜日夜から日曜早朝までデスクに向かったままぶっ通しで10時間の英語のやり取り。たぶんこれで疲労が溜まったのだろう。翌日月曜日の朝にぐきっとやってしまった。女房殿と娘が笑う笑う。ちくしょー、家出してやる!と、それはもちろんジョークだったのだが、這うようにして事務所へ行ったら、それから数日本当に家に帰れなくなった。痛くて動けないのだ。床にトゥルースリーパーを引いて仰向けに転がっていた。くしゃみが怖いのでマスクして。情けない。ようやく歩行可能となったのは木曜日。どうしても神保町のショップに顔を出さないといけない用事があり、タクシーには乗れない(身をかがめられない)ので、歩きはしたものの牛歩状態。三輪車の子どもに「どいてー」と抜かれる始末。参った、参った。腰は本当につらい。きっかけはいつものように歯磨きで。「オエっ!」て。奥をゴシゴシ磨きすぎなのだろうな。

その疲労の元となった交渉は16710のM番だったのだが結局流れた。やはりM番の仕入れはひじょうに高い。スティックの赤黒。店に出すと中古でも軽く250オーバーになってしまうのと、やや取引内容に関して不安点があったため、私のほうからキャンセル。だが、本当に疲れたのは、ちょうど先々週から着手していた前回1675の記事かもしれぬ(ハハハ)。最終的にアップしたのはまさに激痛のさなか、これが回復を長引かせたのはたぶん間違いない(苦笑)。

先週売りに出たONOMAXさんのファットレディーは不思議。シリアル439のファットレディー?1976年にキャリバー3085?こんなことってあるのだろうか。不思議だけどすごく面白い。最高!誰か解明したら教えて欲しい。まだ机に向かうとつらいので今日はこの辺で。皆さんも体調には十分にご注意を。健康は大事です。あと普段の運動と食事も。もう若くない人は特に。

裕次郎のGMTマスター

先週末は仕事で北海道へ。ここは時計について書くところであって旅ブログではないので、北海道について書いたりはしないが、仕事の合間に小樽にある石原裕次郎さんの記念館に行き、彼が愛用したGMTマスター1675を直に見てきたので少しだけそのことを。

私にとって裕次郎さんは小学生の頃に欠かさず観ていた「太陽にほえろ」のボスのイメージが強いが、上の世代にとってはそれ以上の存在であることは間違いない。まさに戦後のどん底にあった人々の夢と憧れのスター。若々しくて格好良く、彼の映画を観るとそれがよくわかる。演技も下手、歌も下手。だがやっぱり戦後の昭和を代表するスーパースターである。

それがあるという情報を知らずに訪問したので、唐突にショーケースの1675と対面したときは少なからず感動した。周りに人はおらず私だけ、一体何分間眺めていただろう。ガラスを挟んで20cmぐらいの距離。他にも金無垢のGMT(茶)、ホイヤー、ルクルト、チェリーニなど複数の時計が展示してあったが、やはり私の眼はPEPSIに釘付けとなった。残念ながら撮影禁止だったので写真はない。

文字盤はマット。ミラーではない。そしてヒラメでもなく小針でもないので、おそらくは1960年代後半製造の1675だと推測。ブレスはリベット。文字盤とインデックスのトリチウムはとてもきれいだが、ガワはたいへん使い込まれており、彼が愛した軌跡が伺いしれる。一度出口まで行って、ここが今月で閉館になることを思い出し、最後の見納めにともう一度GMTの元へと戻った。

パネルに記してあったまき子さん(ご夫人)の言葉が実に感動的だったので記憶をたどって書く。「もしも私がもうすぐ死ぬということになったら、そしてもしあの世にも男と女の世界があるのなら、私はどんなことをしてもあなたを探し出します。私の思慕はそれほどまでに深いのです。裕さん、もう一度あなたに会いたい。そしてあなたを抱きしめてあげたい」。多少文言は違えど、そのようなことが書かれてあった。

女房を愛し、仲間を愛し、海を愛し、そして映画を愛した男。若くして亡くなった。そんな男のロレックスGMTマスター。記念館を出ると脇のヨットハーバーでは海と空が青く、きらきらと輝いていた。海のような空と、空のような海だ。何とも言えない気持ちを抱きながら、駅までの海沿いの道を私は歩いたのだが、その気持ちをうまく言葉にするのはとても難しい。豪華な調度品、外車、きらびやかな衣装、栄光のトロフィー、そしてロレックス。それらが残され、愛する人も今生に残され、本人だけがいないのに、外に広がる景色の何と美しく、そして残酷なことか。確かに生きてなんぼである。だがその残酷さも結局のところ、生まれてきた者はすべていずれは死ぬのだという事実によってのみ救われるのだとしか思えない。主がいなくなり自らも時を刻むことをやめたPEPSIの青と赤の残像は当分我が脳裏から消えそうもなく…。

お礼

まずは開業の初日が終わった。ありがたいことにオープンした直後にHOLDとなり、今は下取り品の到着を待っているところ。5名もの方にキャンセル待ちをしていただいている状況。ありがたくも申し訳ない気持ち。また今日はたくさんのお電話やメールをいただいたようで、ようやく顔を出せた昼過ぎには初の来訪者にお会いすることができ、短いながらも楽しい会話をさせていただいた。まだ展示品がほとんどなくて申し訳ないことであった。これから在庫も増やして楽しんでいただけるように努力したいと思う。

実はここ数か月、ブログを読んでいただいている方々から私個人へのありがたい商品提供の申し出やご紹介をいただいていた。そのいくつかは喉から手が出るほど欲しかったのだが、それはやはり開業を控えて在庫が少ないからであり、さすがにそこで入手させていただいた時計を法人で売りに出すのは失礼だと考えて辞退していた。コメント欄を閉鎖しているため、きちんとお伝えできなかったので、この場を借りてお申し出へのお礼とお詫びを申し上げたい。そして改めて下取り&買い取り歓迎。

過去に10本ほど個人輸入したことで、今回のビジネスでもそれが活き、今もいくつかの仕入れについて海外と交渉中であるが、それはまた追い追いと。一両日中に第二弾を予定。

今日は、ご訪問いただいた方からは直接、他にも電話やメールを通じてこのブログについて過分なお言葉を頂戴した。実は、このブログはもうやめて今後はHP一本鎗でと昨夜までは考えていたのだが、お褒めの言葉のお蔭で気分がアゲアゲになったこともあり(単細胞!)、これまで通り私個人の時計についての記事と、法人の時計に関する記事の両方を兼ねて継続させてもらう予定である。時計をビジネスにしようが、やはり私は一個人としての時計好きなのだ。そして継続は力なり。引き続きよろしくお願いする次第。今日はこのあたりで。本日はありがとうございました。

ビジネススタートのお知らせ

予告した通り、時計のバイセル(buy & sell)を行うこととなった。昨年長く勤めた会社を辞めて独立したときから考えていたことで、それで食べていくといった大それた構想は持っていない。あくまで今も継続してやっている本業の脇でしかできない。当初は個人でネットを使ってソロリソロリやってみようと思ったのだが、色々な経緯があって結果的には現物を見てもらうためのスペースを確保し、人も雇い、もちろん古物許可証も取得して臨むことになった。場所は東京の千代田区神保町である。が、私は毎日はいない。

スタート時はセールで安く出すが、安売り競争に参入の意思はなく、地味にかつ堅実にやっていくし、資金が尽きたらあっさりとやめるということを決めており、それはメインバンクにも伝えてある。前に時計にだって道はあるに違いないと書いた。私も大好き、皆も大好きな時計のやり取りを通じて多くの人と良い関係を築いていきたいと思っている。オープンは10/4の火曜日。当面は私の手持ちもいくつか放出するので、良いモノが出る(と書いておく)。最初の2~3個は相場より安く出すので、どうか大事な逸品を下取りさせてもらいたいと、ここで営業しておく。

単に売り買いだけではなく、メンテも含めて時計との付き合い方を深めていきたいと考え、いくつかの工房をあたり、提携していただくことになった。機械技術の面で私は素人だが、そこは安心していただける体制が出来つつある。時計のメンテの持ち込みも歓迎する。

ビジネスであってボランティアではない。当たり前のことだが利益を求める。その利益で最低限に抑えた固定費を賄えれば、次の仕入れへの投資となり、より良い商材入手への道となる。利益と顧客の満足度のバランスは、どっちにブレても仕事としては失敗するだろう。誠意や良心は決して失わずに、それでも事業として存続させていくことが当面の目標である。

少ない資金は時計に回したいので、拙いながら自力でHPを立ちあげた。古物免許も司法書士には任せず、この暑かった夏に何度も警察署や各役所に足を運んで取得した。スペース(店舗)は当然狭い。千代田区という都心のど真ん中で10万円以下の物件にたどり着くのに、数えきれない数の物件当たった。まったく激ヤセの2016年夏。安い代わりにそこはある会社の一室間借りゆえ、18時以降と土日は表からは入れないという不便さ。隣室の話し声が漏れ聞こえてくる壁の薄さ。これも最初は仕方ない。ショーケースもオンボロ中古、PCは自前。それでも開業前に資金の多くがすでに無くなった(笑)。

忘れていた。屋号は「ウォッチ・ザ・ウォッチ」。場所は古書街が近い東京は神田神保町、日月は休み。火から土曜日の10:30~19:00。事前にメールで連絡をもらって都合がつけば私も駈け付けるようにする。時計好きたちと会えるのがとても楽しみである。同時に、多くの良質な時計たちと出会えるのもまた楽しみ。普段は店長さんが店にいるのでこちらもよろしくお願いしたい。

ウォッチ・ザ・ウォッチ

最初のブツは年々希少になりつつあるエルプリデイトナとした。U番トリチウム白ギャラ付き。ピカピカのワンオーナー物をオープン記念として相場よりもかなり安く、120を切って出す。自分で言うのも何だが、程度が良いのでお買い得。まあ最初なので。上記リンク先のHPは明日の10時30には公開できる予定。

では、この船が何とか沈まぬよう私もがんばり、ここを時計好きの人たちのひとつの拠点としていきたく、みなさんにもご協力いただければ幸いである。よろしくお願いします。オイパペ

忘れ得ぬ写真

忘れ得ぬ写真がある。それは海外のサイトで、もう思い出せないし辿れないのだが、その写真は鮮やかに我が記憶に残っている。南国のリゾートっぽい場所のバルコニーだろうか、手前にはテーブルがあり、その向こうには海が、さらにその向こうには茜色した夕焼け空が広がっている。テーブルの上にはブルーハワイのような色をしたカクテルが2つ、その横にシードゥエラーが竜頭を上にして無造作に置かれている。頭の中でチャックスフィールドの「引き潮」のメロディが勝手に流れるようなきれいな写真だった。

私はその写真で想像をたくましくした。彼は日々を忙しく働く真面目な男だ。毎日がんばって働いている。ホワイトカラーかもしれないし、ブルーカラーワーカーかもしれないが、そんなことはどちらでもよい。多忙な日々における彼の相棒はあの写真の傷だらけのシードゥエラーだ。そんな彼が家族なのか恋人なのか、ともかく愛する人とともにつかの間の夏のバカンスを楽しんでいる。滞在型の長期バカンス。場所は地中海のマルセイユだろうか、マルタ島かもしれないし、ハワイやフィジーあたりかもしれない。それもまあどこでも良い。大事なことは、彼がまじめな労働者であり、やっと訪れた場所で昼から旨い酒を飲んで酔っ払い、そして奇跡的なぐらいにきれいな夕焼けに遭遇し、すべての景色がオレンジ色に染まる荘厳な景色の中で、そばには愛する人、そして共に長い時間を過ごしてきた相棒(=シード)がいることだ。すべてはとってもシンプルなことだが、どれも人生において簡単に手に入るものではない。もちろんこれは私のイメージでしかないが、このイメージが私にはなぜか強烈なのだ。飛行機が大の苦手な私の憧憬なのかもしれない。

前回の記事で、欲望にだけ任せた時計趣味は飽きると書いた。そして時計にも道があるのではないかと多少堅苦しく大げさにも書いた。実のところ、茶器の話などはヴィンテージの世界にそっくりである。独自の環境において、独自の経年変化を遂げたヴィンテージ時計は世界にふたつとないモノとして私たちの前に現れる。それに対峙したときに私たちは自らの感性が問われる。私たちもまた世界にふたつとない存在として。時計を長く続ける人が最終的にはヴィンテージという方向に向かうことはすごく良くわかるのだ。

時計が富の象徴であることもわかりやすい。それで良いと思う。原始の時代に人が獰猛な動物を倒した象徴としてその牙や骨をアクセサリーにしてジャラジャラ首からぶら下げているのと同じこと。下品だと思う人もいるだろうが、世界は残酷であり、不公平であり、そしてリアルである。金持ちもいれば貧乏な人もいて、金持ちはいい家に住み、銀行にはたくさんの貯金があるのだろう。それが現実。その金の使い道として高級な時計を買うことが悪いことでは決してない。それらを否定すれば資本主義社会も競争社会も成り立たず、最後は僧籍にでも入るしかない。平等社会など嘘である。50年も生きてみろ、人生がどれだけ不平等かわかる(笑)。不平等だからこそ、一生懸命働き、少しでも多くの金を稼ぐことが悪かろうわけがないし、その金を遣わずに貯金しようが、車や時計、旅行に遣おうが結局は同じことだ。だが、それらを踏まえた上で、私はただ欲にまかせてモノを買い漁ることは虚しいと感じて、前回の記事を書いた。それは時計の処し方というよりは、生き方として書いたつもりである。

冒頭の写真は、おそらくは実現することのない私の憧れの心象風景なのだろう。前回私は「65ぐらいで一線を引く人生設計を持っているのだが、少なくともその間は時計を愛好する日々を送りたいと思っている。」と書いたが、書き終えた翌日にこれは違うと感じた。正確に書く。私はいつか時計は一本にしたい。その一本への道を往きたいと思う。それまでは迷走するだろう。散財もするに違いない。一本への道も道だが、それがゴールではなく、そのまた先の人生はその一本とともに往きたい。今はまだ妄想で良い。その道の中継地点にあの黄金色に染まった写真の風景がある。

前にこのブログで軽く告知したが、近々時計ビジネスをスタートさせる。本業があるのであくまで緩く。まだ準備に少し時間がかかるが用意が出来たらここでお知らせする予定である。それもまた私が考えた道といえば道のひとつ。週末は仕事で札幌へ。飛行機がダメなので当然、電車で行く。私には黄金色の風景はいろいろな意味で遠い(ハハハ)。今日はこの辺りで。

時計は飽きる

趣味は飽きる。冒頭から思い切って書くが、人間は飽きる生き物である。

「好き」の反対語は普通は「嫌い」である。好き⇔嫌い。だが、実は好きの反対は嫌いではなく、「飽きる」ではないかと私は思っている。マザーテレサが言った「愛の反対語は憎しみではなく、無関心です」に近いかもしれない。要するに関心が薄れるのである。人は、人に飽き、仕事に飽き、環境に飽き、あれほど情熱を燃やした異性や趣味にすら飽きる。

従って、当然ながら時計にも飽きる。

いや、時計は特に飽きる。大量生産の工業製品を買うだけの趣味である。ただ金を払って買うだけ。それも結構高い。私を含め多くの人にとっての高級ブランド時計とは自分の虚栄心を満たしてくれるものだから、次はサブ、次はデイトナ、次は金無垢、次は雲上…。ややもするとあれも欲しい、これも欲しいとなり、結局は金が尽きるのが先か、虚しくなって興味が尽きるのが先かの違いだけで、数年かそこらで離れていく人が多い気がする。時計のマーケットとはある時期にそういう麻疹(はしか)に罹ったような人を相手に回ってきた業界なのかもしれない。

同じ趣味でも、釣りやバイク、ダンスのように続けることによって技量が上がるわけでもなく、オーディオのようにクォリティーが向上するわけでもない。料理のような個人の創意工夫もない。鉄道オタクのてっちゃんが吹雪に耐え震えながら、通り過ぎていく列車に向けてカメラを構えるほどの努力や忍耐もない。つまり時計は行くべき道がないと言えばいいだろうか。お金を払って買えば一旦ゴール。その繰り返し。自己満足と虚栄を満たすだけだけで続けていれば、数年で飽きてしまうことがむしろ自然だともいえる。私もかつてその壁にぶつかった。要するに冷めた。もちろん、たかが個人の趣味、そうなればなったで、時計から離れて他に好きなことをまた見つければよい。広い世の中には他にも楽しいことはまだまだ他にもたくさんある。すべては個人の自由。

だが、一方で私はその感情に抵抗したい気持ちも持った。このブログを続けたのもそれである。せっかくこんなに好きになった趣味が、嫌になるならまだしも、飽きるというのは何とも悔しい。意地といっても良い。一体どれだけの時間と情熱を時計にかけてきたことか。決して大げさではなく、毎日、仕事以外の時間の多くを時計に割いてきた。それが結局のところはその程度のことだったのかと思うとやはり悔しかったのだ。50を過ぎると否応なく人生には限りがあることを知り、漫然と飽きることは敗北でもあるなあと思う。前々回、「自分のスタイルを持つと時計はもっと楽しい」と書いた。自分の心を、人生をも豊かにしてくれる、もっと違う時計との向き合い方があるのではないか、それを探していくことが今の自分の課題でもある。

もう少し続ける。仕事だろうと趣味だろうと人間関係だろうと、努力によってそれを黙々と続けてきた者にはまずかなわない。例えばひとつのことを続けてきた職人がいるとする。いや趣味でも良い。それが何であろうとも、その中身に共感はできなくても、続けてきた人にはある種の威厳があるが、それは掘り下げるならば、単に自分の虚栄や欲望のためにやっていないからだという気がしてならない。あえて言葉にすればそれはやはり「道」なのだと思う。仕事だけではない、夫婦関係だって、趣味のカメラだって、釣りだって、読書や映画だって、鉄道趣味、望遠鏡で星を眺めること、バイク…、みんなそうであろう。たかが趣味であろうとも、往くべき道というのはあり、時計にだってそれはあるのではないか。

戦国乱世に茶器が大流行したことを歴史好きな人はご存じであろう。初花肩衝、平蜘蛛、三日月茶壷…。手作りの茶器は世界にふたつとない。明日の生死も定かではない弱肉強食の戦国乱世。地球が丸いことも、生が遺伝子によって生かされていることも知らない無明の世界に産み落とされた彼らは一場の夢をそこに見た。下らないと笑うのは簡単である。茶器はお茶を飲む、たかが「道具」であったし、これもまた俗世では褒美や財力の象徴だった。まるで我々が大好きな何かとそっくりである。だが、そこに意味を与える者がいて道ができ、茶道というものが生まれている。

ただ暴れる者は単なる暴力者であるが、武に行くべき道があれば武道となり、剣にもまた道があり、柔の道もある。日本人はそうやって己の行くべき道を歩んできたのではないか。職人には職人の、商人には商人の道がある。料理にもお茶にも。夫婦にも師弟にも。50年連れ添って仲が良い夫婦など称賛ものである(大変だっただろうなー)。続ける者が続ける限り、そこには道が出来ると信じたい。歩ませているのは決して「欲望」などではなく、人間の意志ではないかと、少し偉そうに書いておく。それこそが欲望でしか生きられない他の生物と人間を隔てているものに他ならない。欲望の向こう側は人間にしか行けない場所。そんな道が平坦であるわけがない。

せっかく好きになった趣味だ。長く続けたいではないか。時計を買うことがゴールではなく、それをスタートとする向き合い方。私は65ぐらいで一線を引く人生設計を持っているのだが、少なくともその間は時計を愛好する日々を送りたいと思っている。あっ、後もう10年ちょっとしかない(笑)。いやいや、まだ10年もあると思うことにしよう。

さっきの茶の湯のオマケ。戦場で手柄を立てた戦国武将の滝川一益は、褒美として主人織田信長に珠光小茄子という茶器を所望した。ところがそれは叶わず、代わりに上野一国を与えられ大変落胆したという。一国一城より茶器。ハハハ。私はこの話が好きだ。また、城を攻められて自害する際に、これを奪われるぐらいならと自慢の古天明平蜘蛛に火薬を詰め、それを抱え込んで自爆した松永久秀という武将もいる。ちなみにこの久秀、ゲームの戦国BASARAでは倒すとやはり自爆する(笑)。人間の心というものは本当に面白い。

中野のヴィンテージ2つの話題

先週は中野へ。さすがに平日の夕方なのでどこも空いていた。軽くレポート。

まずジャックさんに置いてあった古いサブマリーナ5513。ご覧あれ。→ここ。スーパーファット(極太)フォント、kissing 4。4が0にチューしているのがおわかりだろうか。3の背中のくぼみがとても小さく、遠目にはストレートに見えるのも特徴のひとつ。ベゼルだけで30万円ぐらいの価値がありそうである。時計は77年製とのことだが、この年代のサブにマーク1ベゼルが装着されていることが正しいのかどうかは知らない。私はこのベゼルだけ欲しい、出来れば12万円ぐらいで(笑)。古いサブのベゼルには他にもskinny 4という、異常にやせ細った4のベゼルがあって、こちらも高価である。ちなみにマーケ2がロング5。写真アップは面倒なので興味がある人はググっていただきたい。マニアックな話題。

その5513とは対極的と言っても良い、ひじょうにきれいな私好みの赤サブがかめ吉さんにあった。→これ。インデックスも針もほぼ白。文字盤もきれいでケースもぶっとい。もしかしたらケース交換されているかも?というぐらいにラグのエッジが立っている。オープン6のマーク3ダイヤルで、値段も赤サブにしてはやや安い130万円台。ガラス越しにシゲシゲと眺めた。惜しむらくは、ブレスが後付けの溝有りハードブレス。巻きブレス好きとしてはそこがやや残念。ここを見て買う人はいないだろうが、一応忠告をしておくと、もしケース6時位置に刻印されているシリアルが44、又は47から始まる6桁だとケースが交換されている。オリジナルにこだわる人は要注意。ただ、この時計はブレスだけではなく、ベゼルも後付けであるよ。それにしても、たったこれだけのweb上の情報で100数十万出して買えないのでは?と思ってしまう。遠方の人にとって、もう少し優しいセールスを考えてもらいたいものである。時計は直接見て、手に取って買うのが基本なのはわかるが、そうもいかない人もいるわけで。

別の店でだが、カマボコ(チュードル79160)の文字盤がテカテカのミラー調とマットの2種が並べて展示されており、初めて見比べることが出来たのが、これもまたマニアックな収穫であった。そうそう、新型デイトナの現物も見た。ブラックだが、もうギラギラである。多くの人同様、私もネットの写真では白が良く見えるのだが、実物の黒は意外にも非常に格好良かった。それと、つい先ごろまで150オーバーだったディープの青は130万円強まで下がっていた。

総体的にはまだ価格は高値安定といったところだろうか。客数はまばら。外国人は少なかったかと。見たかった新型エクワンはどこにも在庫なし。以上、中野レポート。

つぶやき2

せっかく順調だったのにまた間が空いてしまった。そこそこ下書きはあるのだが、いかんせん殴り書きのような状態なのでそのまま掲載はちょっとまずい。まずいというのは、自分の文章が誰かを極端に不快にさせたり傷つけたりしないかどうか、あるいはショップさんに迷惑がかからないか、これらは一応気にしている。このブログにそういう意図はまったくないので。だが、その一方であまりにも無難な内容というのも、これまた書いていてもおもしろくないし、読んでいてもそうだろうから、そのあたりのバランスは結構難しい。実は委託手数料×%(すごく安い、5%よりも安い、おわかり?)などという真っ赤な嘘を公言している店があって、さすがに腹が立って、今日はそれを糾弾する詳細な記事を書きかけたのだが思うところあってやめた。皆の衆、騙されては駄目だ。柄にも合わず私は簿記資格を持っていて、自分で言うのも何だが数字にはすごく詳しい。騙す方もイカンが、騙されるほうも又ダメなのだ。その騙しの鍵は消費税だ。美味しい話には必ず裏がある。

今日はつぶやきスタイル。続ける。
新型GMTマスター青黒がいきなり中古ショップに並び始めた。つい最近まで価格コムでは正規店で探し回っていた人たちの書き込みで溢れていたが、おそらくは供給が増えたのだろう。良いことである。デイトナも欲しい人は多いだろうからそうなれば良いと真に思う。並行店でサクッと買って喜びに浸るのも又良しだ。特にお金のある人。有り余っている人はぜひ天下の回り物としてお金をグルングルン回して欲しいもの。個人的には白が格好いいと思う。

夏は白文字盤と言うが、確かになあと思う。夏の日差しに、例えばエクツーの白は映えるだろうな。私が所有する白文字盤はエルプリデイトナだけ。こういうときに手放した時計のことをフト思ったりするものだ。前のエアキング(114234)とか。でも、もうすぐ夏も終わりだ(笑)。

最近、海外のサイトで旧GMTマスターⅡ16710のキャリバー3186が急激に増えてきているのだが、これがどうにも怪しい。Zの6番台が出始めたのだ。ご存知の通り、M番はすべて3186だが、Z番に限っては8か9の一部に搭載。たまに7でも散見されるのだが、6番台というのは以前はまったくなかった。最近、キャリバー3186のムーブメント単体が出回っているので、乗せ換えの可能性があるのではないかと疑っている。もちろん実際のことは不明だが、私ならそんなリスクは絶対に回避する。高くても狙うなら、やはりM番だ(個人的見解)。

せっかく触れたので最終シリアルのことを。実に馬鹿馬鹿しいと私も思っている。だが、時間を知る道具に数十万円、場合によっては数百万円をかけている時点で、すでに馬鹿馬鹿しい輪っかの中にいるとも言える。私のデスクの上にある、時間を知るための時計(クロック)は1200円であって、時間は実に正確で見やすい。少なくともデイトナよりも見やすい。ロレックスだパネライだパテックだと、原価の百倍ぐらいのブランド使用料に大枚を払っている時点で、まあ全員同じ穴のムジナであるし、その中でもスパイダーだ、フルオリジナルだ、ミラーだと、様々な価値を見出す馬鹿者がいるからこそのマーケットであり、多少大げさに書けば文化でもあって、馬鹿馬鹿しいと思いながら私は今でも最終品番が心底好きであるし、誰かに踊らされているとも思っていない。それに希少であるがゆえに、安易に時計を手放すことの歯止めにも充分なっている。←ハハハ。自己弁護、自己弁護。笑って下され。

先週の休暇中にヴィンテージ物の巻きブレスの駒詰めに挑戦。これは難事である。時計職人ですら嫌がるというこの作業。実は中野の某ショップで青サブを買った際にやってもらった時も、実は少々いびつな仕上がりだった。これはマジで難しい。一応やるにはやったが、やはり完璧には出来なかった。私はハードブレスの予備をいくつか持っているので、巻きブレスはこれかNATOストラップに替えようと思い始めている。しかし、この巻きブレス、びっくりするぐらいに安っぽい。安っぽいのに中古で買うと10数万円。まったく難儀な趣味である。4桁、5桁ではなく、現行だけを追う人の気持ちがよくわかる。最新こそ最良。うむ、うむ。

今日はこんなところでお終い。つぶやき程度での更新は楽であるナ。もうすぐ夏が終わり秋になる。少し名残惜しい。最後に、関係ないが、映画の『シン・ゴジラ』が面白いらしい。日曜日に娘と行こうと思ったら、友だちと花火大会に行くからダメーと。ショボーンである。昔はきゃあきゃあ言いながらついて来てくれたのに。本当、ショボーン(しつこい)。ではまた次回!

夏季休暇

昨日の金曜日は久々の休み。平日に休んだのはいつ以来であろうか。仕事をしようと出社したのだが気が変わったのだ。この土日は休みと前から決めていたのでこれで3連休である。昨年私は永年勤めていた会社を辞めて独立し、ひとりで働いているので今は完璧に自由なのだ。やろうと思えば何でもやって良い立場になり、それならば念願だった時計ビジネスでも始めようかとも画策しているがそれはまた別途。会社を辞めるということは上司がいなくなるということを意味するが、もう少し突っ込んで書くと、あらゆる会社のルールというものは、基本的には怠惰な人間を縛るために権力者が自身の利益保護のために作ったものだということがよくわかる。要するに自己管理が出来るなら、本来人はもっと自由に働いて良い。

ということで昨日は完全オフ。ランチはビール付き。プハーーーー!っと葛城ミサト状態。ハハハ。昼間のビールは実に旨い。お代わりまでしてしまったではないか。暑い中ふらふらと散歩をし、ほろ酔いのまま事務所に戻って、今度は缶チューハイ。それで競馬でも観るかと思ってテレビを付けたらやっていない。そうだ、今日は平日だった!いやあ、贅沢だなあと、またうれしくなってしまい、昨日着用していた16710のM番を鼻歌を歌いながらゴシゴシと洗浄。何だかんだと複数本購入したM番の中で最初に手に入れた最も思い入れの強いブツ。このブログで以前裏蓋を空けた写真を公開した。更に置きっ放しにしている古いチューサブも。さすがにヴィンテージの本体は洗えないので、巻きブレスだけ外して、そのすき間を歯ブラシでゴシゴシと。時計を洗うというのは実に気持ちが良いもの。私も一時期はそうだったから偉そうには書けないが、時計など自分でブレス調整をし、自分で洗わないとダメだ。所詮はモノである。腕に付けるよりも、収納したそれを眺めている時よりも、私はブレスを外したり洗浄している時にこそ自己所有の実感を強く抱く。

そのあとは、夏だからとオーディオでビーチボーイズをかけソファーにごろんと。いやあ夏休みだよ、サマーヴァケーションだよ、楽しいなあと思って(ただの酔っ払い)「サーフィンUSA」などを聴いている内に、やがてグースカピーと昼寝(ぜいたくダナー)。

夜はテレビでオリンピックを観ながら今度はウオッカのコーラ割り。帰宅するタイミングを失ったのでそのまま夜中も観戦。柔道、アーチェリー、競歩。そして最後は錦織のテニス。観た人は分かると思うが大接戦。最後はテレビの前で立って応援。がんばれー!がんばれー!今年の日本人選手はがんばっているなあ。終わったら朝の6時過ぎ。倒れ伏した。昼に起床して寝惚けまなこでONOMAXさんの16520A番黒158万円を発見。これは買いだなと思い、トイレに行き、コーヒーを入れてデスクに戻ったらHOLD。は、はやい。恐るべし、ロレ好きたち!

高校野球もオリンピックも宴たけなわ。お盆が来て終わると、夏も終わる。花火も海水浴も、今年もまた夏らしいことは何もせぬまま終わるのかとしみじみする。子どもの頃は夏があんなに楽しかったのになあとも。盆休みの人はどうぞ良い休暇を。仕事の人は誠にお疲れ様である。それぞれの夏である。

時計という趣味は良いものである

いつかは出る出ると皆が期待するも、ここ数年出なかったSSデイトナ新作が出たせいで、結構な盛り上がりを見せているロレックス市場。欲しい人がたくさんいるのだからもっと供給してあげればと思うのだが、これも同社のマーケティングなのであろう、なかなか入手は難しいようで、中古ショップや並行店では200万円近い値付け。定価からすると高いなあと思うし、腹立たしい人もいるだろう。

よく「並行ショップに踊らされて~」という記述を目にするが、私にはやや違和感があって、人を最も踊らせているのはロレックス社ではないか。マーケットで飢餓感を煽るのは、企業にとってメガヒットが出たときに、売上だけではなく、もっと高い見地からの企業ヴァリューを最大化するための割とありきたりな手法で、ロレックスの得意技でもある。大ブームのときのたまごっちと同じ。高度に技術が発達した現代社会において、いくらクロノグラフだからといっても工業製品の大量生産はいくらでも可能なはずである。ここ数年はパッとしなかったが、やはりさすがロレックス。デイトナ欲しい、デイトナ欲しい、でも手に入らない!が世に蔓延していけば、企業ヴァリューはどんどん上がる。今年のデイトナ新作によって、他のメーカーはこの先数十年は追いつけない、企業としての決定的な差をつけられたのではないだろうか。パネライしかり、オメガしかり。

ランダム番導入以降、ロレックス社は富裕層取り込みに主眼を置いた高級化や宝飾化を図ってきたが、いまひとつ効果を上げることができなかった。手巻きデイトナへのオマージュとも思える今回の新デイトナ活況によって、同社の方針が変わる可能性は大いにある。振り返ると意外と柔軟に同社は過去に評価されたヴィンテージモデルの要素を積極的に取り入れて来た歴史がある。エクスプローラー文字盤ブラックアウト、ミルガウスの稲妻針など。今後はサブマリーナやGMTでのラグジュアリー化も見直され、ヴィンテージテイストに回帰していくようなデザインのスポロレ新作が出てくることで、6桁初期のスポロレは早々と陳腐化していく可能性も有るかもしれない。あー、もちろん、無いかもしれない(笑)。

写真を見る限りでは214270から改良されたエクスプローラー1が良さげに思えるのだがどうだろうか。私のように15cm強しか腕周りがない人間には114270の方がベターだが、それなりの体格の人にはやや小さく映るのも確か。針の長さが改良されたことで文字盤全体のバランスはとても良くなったように感じる。前の214270を持っていて、同じように感じる人は多少売り値は下がろうとも躊躇せずにGOして良いのではないか。

新作を追っかけるのも良し。古いのにこだわるも良い。私はどちらも否定しない。私個人について書けば、新しいものはいつでも入手の可能性があるので、程度の良い古いサブや黒いエルプリデイトナのほう、つまりはヴィンテージ志向バリバリである。先日、海外のサイトでちょっと魅力的な赤シードを発見して、ようやく冷ましたはずの1665熱が再燃してしまった。高いんだなあ、これが。新作を追うのも大変、古いのを追うのも大変ときた。まったく難儀な趣味である。だがやはり時計はいい。心からそう思う。物が無かったり、高かったりして、実物を買えずに妄想しているだけでもこれだけ楽しいんだから、ある程度の理性さえ持っていれば健全な趣味なのかなと思える。さてさて、ふと気づくと子どもたちは夏休みだし、戸外ではミーンミーンとセミが鳴いているではないか。梅雨が明けきらないとは言え、はや夏の到来であったか。年を取ると本当に時が経つのが早くなるなと実感。今日はこの辺りで。
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